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エッセイ 祖母の故郷

 (ここか。ここがゑつが生まれて育ったところか。ここから汽車に乗って町にも出かけたし、嫁いで行ったんだな。)
そう思うと感慨深かった。我ながらよく来たと思った。

 
 私には祖母が三人いる。父方の実の祖母と母方の実の祖母と義理の祖母の三人である。実の祖母二人は早死にしたが、母方の義理の祖母は104歳まで生きた。その人が、私の祖父の再婚相手というわけである。私の母は、最初の奥さんとの間の子なので、祖母とは継母継子のなさぬ仲ということになる。
 私の母方の実の祖母は、もともと体が弱く、母を産むと半年で死んでしまった。私の母でさえ、祖母の記憶はない。私はかなり年をとってから、結婚当初の写真と思われる、祖父と並んだ写真を一枚見たことがあるだけだ。名を「ゑつ」といった。
 私はそのゑつが無性に恋しく思うことがあった。嫁いで数年でこの世を去り、その存在が顧みられることすらなくなった薄幸の女性が愛おしく思われた。
 私の両親が相次いで亡くなって、残された写真やら、手紙を整理していると、例の写真と、ゑつの兄の33回忌の法事を知らせる母宛ての案内状が出て来た。住所は北設楽郡の鳳来寺という山の中である。かなり前の葉書なので、住所の町名は、もう古くなってしまっている。その鳳来寺がある木曽山脈の南端にあたる美濃三河高原のゆるやかな山並みが、私のマンションのベランダから見えるのである。
(ああ、あのあたりがゑつが生まれ育ったところなのだな。いつか一度行ってみたいものだ。)
と思いながら、私は、山並みをいつも遠くに眺めていた。
 私は、その古い一枚の葉書に書かれた住所だけを頼りに、ネットで探しまくった。そしてやっと、ほぼ、ここに間違いないというところを探し当てた。ネットとはありがたいものだ。昔、鉄道が走っていた跡に作られた県道沿いで、想像していたほど山奥ではなかった。さらに奥へ行くと四谷の千枚田がある。女房には、千枚田へ行きたいんだけど、途中でちょっと寄りたいところがあるから、といって誤魔化して連れ出した。


四谷の千枚田

 私の予想は的中していた。ゑつの甥にあたる人の家があった。甥はもう、亡くなっていたが、奥さんが一人で住んでいた。初めは家を外から眺めるだけで帰ろうと思っていたが、玄関の前まで来ると我慢できなくなった。もう何十年も前に亡くなっているゑつのお兄さんの名前を出して、自分はその人の妹のゑつの孫であることを話した。写真と葉書を見せながら。これが役に立った。お婆さん(奥さんはもうそういう年であった)は信用してくれて、家の中まで上げてくれた。大きな仏壇があった。欄間にはゑつの両親や、兄夫婦の写真がずらっと掲げてあった。私はそれらの写真を携帯のカメラに収めながら、仏壇にも手を合わさせてもらった。
(ここか。ここがゑつが生まれて育ったところか。ここから汽車に乗って町にも出かけたし、嫁いで行ったんだな。)
そう思うと感慨深かった。我ながらよく来たと思った。感慨に浸っていると、女房から電話がかかってきた。女房は車に待たせてきたのである。なかなか戻って来ないので、電話をかけてきたのである。もうちょっと感慨に浸っていたかった私は女房を呼び寄せた。女房も家に上げさせ、奥さんにも合わせた。奥さんは私たち夫婦を快く迎え入れてくれたばかりか、お土産に地元産のお茶まで持たせてくれた。
 22歳という若さで亡くなった私の祖母ゑつへのほんの心ばかりの供養になったのではないかと思っている。


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