エッセイ 『春よ、来い』はユーミンのいろは歌
ユーミンの『春よ、来い』が好きです。そこで、私なりの解釈をしてみたいと思います。
この歌はNHKの連続テレビ小説『春よ、来い』の主題歌として作られたので、歌詞の内容もドラマに則した内容になっているらしいのですが、私はドラマを見ていないので、詳しいことはわかりません。作者の橋田壽賀子の自伝的内容のドラマということで、橋田壽賀子の、愛する男性との死別をモチーフにしているらしいということは、何となく知っているのですが、そのこととは、関係なく、私の好き勝手な解釈をしてみたいと思います。
「夢よ 浅き夢よ 私はここにいます 君を想いながら ひとり歩いています 流るる雨のごとく 流るる花のごとく」
この歌の鍵となるのは、この歌詞です。1番、2番で「春よ」、「春よ」と繰り返されて、ここだけ「夢よ」になっています。しかも、曲調が、ちょっと変わってしんみりした感じになって、さらにそのあと、曲が終わったかのように無音部分が挿入されます。これは明らかにここだけ他の部分とは、違っているよというサインだと思います。
では、どう違うか。1~2番まで「春」という言葉に懐かしい思い出やら、希望を託して来たけれども、それらはすべて、儚い夢(希望という意味の「夢」ではなく、「所詮は「夢」にすぎない」という意味の夢)にすぎないんだと言っているのだと思います。私はいまだにあなたと過ごしたこの場所にいて、これからもあなたの思い出にすがりながら、ひとりで時を見送り、年老いていくのでしょう・・・。諦めの気持ちですね。
でも、やっぱりそれではいけない。希望をもってこれからの人生を生きていかなくてはいけないと、気を取り直して、「春よ・・・」と再び力強く歌いあげて、曲は終わります。
さてここからが、私独自の解釈ですが、この希望に満ちた最後のリフレインを除けば、全体的なイメージは弘法大師が作ったといわれる「いろは歌」によく似ていると思います。諸行無常。色即是空。「君」が仏様のような感じさえしてきます。「沈丁花の香り」、「明日を越えて」、「浅き夢」といったフレーズも「いろは歌」の歌詞にどこか通じる物を感じます。
色はにほへど 散りるぬるを 我か世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず
この世は儚く、浅い夢のようなものだけれども、それでもこの世に生まれ落ちた以上は、明日に希望を持って生きていきましょうという、「いろは歌」を越えた、ユーミンのメッセージがそこに込められているのではないでしょうか。
※私の個人的な解釈ですので、軽く読み流してください。なおユーミンの『春よ、来い』の歌詞、歌唱はネットでご覧になってください。
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