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★エッセイ集 視座

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2024年1月の記事一覧

エッセイ 戦争への分岐点(降る雪や 昭和は遠く なりにけり)

11(いちいち)に 22(にに)を足せば 6となる 昭和の歴史 忘れじ と思う 1+1+2+2=6。この判じ物のような文章は一応短歌である。出て来た数字を並べると 11226   昭和11年2月26日の数字だけを並べたものである。昭和11年2月26日。2・26事件の起きた日である。私は時々2・26事件の起きた年がわからなくなる。それでこの短歌を作った。たまたま年月日が1+1+2+2=6になっていることに気づいたので、面白半分に作ってみたのである。  2・26事件は昭和史のタ

エッセイ 母の耳たぶの子守歌(改題)

風呂上がりの火照った体に心地よいその冷たさとマシュマロのようなほどよいその柔らかさを指先で楽しむように確かめながら、安心して眠りに落ちていった・・・  母が死んだ時、葬式の祭壇の片隅に供えるつもりで、短歌を作ろうと思った。母の思い出を手繰り寄せようとしたが、なかなか出て来ない。遥か幼児期、物心つくかつかないかの頃まで遡らざるを得なかった。  母は、私が夜寝る時に、必ず添い寝をしてくれた。風呂から出たばかりの私は、湯冷めをするといけないからと言って、すぐにふとんに寝かせつけら

エッセイ 祖母の故郷

 (ここか。ここがゑつが生まれて育ったところか。ここから汽車に乗って町にも出かけたし、嫁いで行ったんだな。) そう思うと感慨深かった。我ながらよく来たと思った。    私には祖母が三人いる。父方の実の祖母と母方の実の祖母と義理の祖母の三人である。実の祖母二人は早死にしたが、母方の義理の祖母は104歳まで生きた。その人が、私の祖父の再婚相手というわけである。私の母は、最初の奥さんとの間の子なので、祖母とは継母継子のなさぬ仲ということになる。  私の母方の実の祖母は、もともと体が

エッセイ もうひとつの祖母への挽歌

(桜か・・・。おばあちゃんに見せてやりたかったな。どこかで見ているかな・・・。)       一枝を  柩に入れたき 春の夜     先にアップした『祖母への挽歌』で紹介した短歌 病室の 百を越えたる 我が祖母の 手鏡見つめ 髪くしけずる の他にもうひとつ、祖母の霊前に供えた俳句がありますので、そちらも紹介させてください。    祖母が亡くなった連絡を受けて私は妻とふたりで病院に駆けつけました。祖母はすでに霊安室に移されていました。その時は私たちふたりだけでした。お坊さん

エッセイ 祖母への挽歌

病室の 百を越えたる わが祖母の      手鏡見つめ 髪くしけずる  私の祖母が104歳で死ぬ少し前に老人ホームのトイレでころんで、大腿骨を骨折して入院した時のことだ。私はもう退院できないだろうと思った。祖母の母親が、やはり自宅の庭でころんで腰の骨を折り、20年間寝たきりとなり、そのまま亡くなったからだ。しかし、現代医学はその頃から驚くべき進歩を遂げていた。100歳を越えている老婆の太腿にボルトを埋め込み、折れた骨を固定したのだそうだ。祖母の骨が太くて年の割には丈夫だっ

エッセイ 軍歌を歌う少女

 小学校6年の時である。今から55年も昔の話である。修学旅行で京都・奈良へ一泊のバス旅行へ行った帰りの車中でのことである。お定まりのバスの中での歌の時間になった。指名された人間がみんなの前で歌うのである。ある少女が指名された。その少女はボーイッシュなタイプの女の子で、自分のことを「ぼく」と言ったりしていた。 「ぼくは今はやりのグループサウンズはあまり好きではありません・・・」 (グループサウンズとは簡単に言えばバンドである。ビートルズの人気にあやかろうと芸能事務所が粗製乱造し

エッセイ 大災害と政治

 私はこれがポピュリズムなのだと思う。国を、世界を、敵と味方に分断する。政治家には架け橋になってもらいたい。政治家に限らず、すべてのリーダーに私は、それを望む。  1995年1月17日早朝に阪神淡路大震災は起きた。私は古い借家で一人住まいをしていた。大きな揺れで目を覚ました。ふとんの中でじっとしていたら、揺れは収まった。大したことなくてよかったと思った。その日は朝のテレビのニュースも見ずに仕事に出かけた。昼のニュースを会社の食堂で見て驚いた。(まだネットの発達していない時代

エッセイ ミステリーは文学にあらず

 誤解をして欲しくないのだが、私はミステリー小説が大好きである。初めて読んだのは、シャーロック・ホームズで、小学校の時だった。中学では江戸川乱歩の怪人二十面相に夢中になり、大学の時は横溝正史を読み漁った。  しかし、あえて言う。ミステリー小説は文学にあらず、と。もっとも文学の定義にもよるのだが、私は文学とは、作者と作者以外のものとの戦いであると思う。葛藤と言ってもいいし、私個人的には、摩擦という言葉が好きなのだが、戦いの相手は、時代であったり、社会であったり、組織、家族であっ

エッセイ  東京上野 忍岡と不忍池

 東京に遊びに行く予定である。相撲好きな女房に本場の相撲を見せてやるというのが、第一の目的であるが、ついでに東京見物をして来ようと思っている。いろいろ行きたいところはあるのだが、迷ってなかなか決められないので、参考までにと思って、「東京八景」というものがあるだろうかと、ネットで探してみた。案の定、太宰の『東京八景』が出てきた。太宰の場合は、一般的な東京八景ではなくて、個人的な東京八景なので、今回はパスすることにする。あとはあまり参考になりそうなものがないので、「江戸八景」に変

エッセイ  新釈 蛙の起こした波紋

 以下の文章は、何の根拠もない、私の全くの想像である。フィクションとして読んでもらって差し支えない。         古池や 蛙飛び込む 水の音  松尾芭蕉の超有名な俳句である。この評価の定まった句に新たな私なりの新解釈を与えようという大胆にして無謀な試みである。  芭蕉がデヴューした当時の俳壇は、まだ俳句が俳諧と呼ばれ、芸術性、文学性に乏しい言わば言葉遊びを自慢し合うような場所だった。芭蕉はその傾向をよしとせず、俳諧に新風を吹き込んで、俳諧の芸術性を飛躍的に高めようとし

エッセイ  古いエアコン 

やっぱ、新しいエアコンはいいなあと思った。思いながら、和室のエアコンのことを思った。捨てずに取っておいてよかった。ありがとう。  突然リビングのエアコンが動かなくなった。酷暑の真っ最中に。買ってもう10年以上たっているから、替え時だったのだろう。壊れるとはこういうことなのだろう。  人間も同じ。年をとれば、あちこちがいかれてくる。若いうちは修理をすれば元に戻るが、年をとれば、戻らない。不具合が普通になってしまう。そのうち、うんともすんとも言わなくなってお陀仏である。覚悟はで

エッセイ ジャーマンアイリスに抱かれて(改題)

闘病の 陰さえ見せぬ 明るさの  秘密を知るや 手首の古傷 朝毎(あさごと)に 花を飾りし  君が今 花の棺に ひとり眠れる  これは、僕が印刷会社に入って間もない頃、仕事をアルバイトで手伝いに来てくれていた竹内美貴さんの死を悼むレクイエムです。  美貴さんは若くして骨肉腫を患い、余命宣告を受けた状態で会社に働きに来たのでした。大学へ進学予定だった彼女の最後の望みは、少しでいいから、働いてみたいということ。悪い足を引きずりながら、朝早く来て、職場に花を飾ってくれました。彼

エッセイ 立体的読書のすすめ

 「立体的」読書などという言葉はない。私の造語である。* 本を高く積み上げようとか、跳んだり跳ねたりしながら本を読もうとか、そういう「立体的」ではない。あくまでも頭の中での作業である。  私はいつも本(小説に限る)を読む時に、年表と地図を手元に用意しておく。その小説に書かれている舞台、時代が、具体的にどんな場所でどんな時代なのかを想像するためである。舞台となった場所や時代が、書かれていなかったり、ぼかされている小説も多いが、それを追及するのもまた、また楽しいのである。そのため

エッセイ 老いの境界線

 老いとは何か。老いるとは、人間が壊れていくこと。物は、車にしろ、家電にしろ、長い間使っていれば、劣化してくる。それと同じように、人間も劣化してくる。車や家電以上に、60年も70年も使っているのだから、なおさらだ。頭も体も劣化して壊れてくる。それは当然のことだ。  長い年月をかけて少しずつ壊れてくる。だから、いつからが老いという、はっきりした区切りはないし、区切りをつける必要もない。若くても少しずつ老いは始まっているし、その進行は止まらない。逆に、ここからが老いだと区切りをつ