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★エッセイ集 視座

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エッセイを集めました。
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記事一覧

エッセイ 『春よ、来い』はユーミンのいろは歌

 ユーミンの『春よ、来い』が好きです。そこで、私なりの解釈をしてみたいと思います。  この歌はNHKの連続テレビ小説『春よ、来い』の主題歌として作られたので、歌詞の内容もドラマに則した内容になっているらしいのですが、私はドラマを見ていないので、詳しいことはわかりません。作者の橋田壽賀子の自伝的内容のドラマということで、橋田壽賀子の、愛する男性との死別をモチーフにしているらしいということは、何となく知っているのですが、そのこととは、関係なく、私の好き勝手な解釈をしてみたいと思い

エッセイ 「子犬 あげます」

 私は大学を中退した後、父親の自営業を7年間も手伝っていた。主に工業用のゴム製品をつくる仕事である。それを母、祖母も含めた家族労働で営んでいた。仕事場はトタン張りの掘っ建て小屋である。  その間、一匹の犬を飼っていた。名を「メリー」といった。雑種のメスである。子犬の頃、捨てられて近所をうろついていたところを、近くの人が拾って、うちに持ってきたのであった。以前我が家で飼っていた犬に似ているから飼わないかというのである。前の犬が病気で死んで数年経っていた。私はその死がとても悲しく

エッセイ 私はどう生きるか。

 宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞を受賞したそうですね。私は見ていないし、内容も全然知らないんですが、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』に触発されたようなことを聞きました。以下の文章に出てくる『君たちはどう生きるか』は本の『君たちはどう生きるか』のことだと思ってください。  私が初めてこの本を手に取ったのは、中学の時でした。学校の推薦図書の一冊としてリストアップされていたからです。しかし、その小説っぽくないタイトルから私はなかなか読む気が起きませんでした。

エッセイ モチベーションは上がるものなのか、上げるものなのか?

 「モチベーションが上がらない」とか「○〇のせいでモチベーションが下がった」とかいう言葉を時々耳にする。それを聞くたびに私は違和感を覚える。私にとって、モチベーションは誰かに上げてもらったり、何かのせいで下がったりするものではなく、自分で上げるものだと考えるからだ。私の性格、好みが他人とは大きく違っていて、自分でモチベーションを上げるしか、他に方法がないからかもしれないが、私はずっとそう思ってきた。気分が落ち込んだ時や、やる気の出ない時、どうしたら自分をシャキッとさせられるか

エッセイ 内職の下請け

 内職というのは、会社の仕事の半端仕事を外注に出してやってもらうということである。社内で社員にやらせる時間的余裕がないとか、かえって高くつくという場合に使う。私が以前勤めていた印刷会社では、内職の仕事は結構多かった。印刷物を手で折ったり、封筒に封入封緘したり、ポケットファイルを両面テープで組み立てたり、こまごまとした仕事が多い。  それを去年の7月から、女房がやり出した。会社に頼まれたわけではない。こちらからお願いして出してもらうようにしたのである。はっきり言って、女房は暇を

エッセイ ロシアはヨーロッパか、アジアか?

 ロシアは難しい国だ。民主国家とは言い難い。と、いうのは欧米国家の言い分だ。日本もそれに倣っているのだろうが、それはあくまでもロシアが白人の国であり、ヨーロッパの一員だという前提に立っての話ではないか。ロシアをヨーロッパではなく、アジアに属する国だと考えれば話は変わってくるのでないかと思う。  ロシアも中国も似た国家の発展過程を辿っている。専制国家から、本格的な資本主義を経験せず、社会主義となった。従って民主主義の発達も未成熟である。北朝鮮も似たようなもので、あそこはいまだに

エッセイ 俯瞰的視座

 きょうは2月26日。やはり2・26事件のことを書かねばなるまい。事件そのものに詳しいわけでは全然ない。その歴史的な意味に重要性を感じているのだ。  組織の力とか、集団の力というものはあると思う。一人ではできないことが集団ならできる。集団として、個人の力を結集させて、一つの方向に向かっていけば、大きなことができるだろう。ただ、それは向かっていく方向が正しいければ、の話だ。結果的に良くない方向に向かってしまったのが2・26事件だと思う。問題は、「正しい方向」がどちらか、というこ

エッセイ 3月3日は何の日?(改題)

 サトウハチロー作詞の『うれしいひなまつり』が好きです。特に3番。 「金の屏風にうつるひを かすかにゆする 春の風 少し白酒めされたか 赤いお顔の 右大臣」 金の屏風、揺れる炎、白酒、赤い顔と色彩豊かでいかにも女の子のおまつりという感じがします。いま、「女の子のおまつり」と言いましたが、ちょっと待てよと思いました。  なぜ、ひなまつりが女の子のおまつりなのでしょう。「お内裏様にお雛様」(サトウハチローのこの用語は間違いらしいですが、ここでは触れません)って言っているんだからこ

エッセイ 私流読書法~相手の立ち位置を知ってから読む~

 私は本を読むとき、特に評論を読む前には、必ずすることがある。それは、筆者の経歴を知ることだ。どういう傾向の考えの持ち主かを知るためだ。性格(血液型)は簡単にはわからないから、その人の経歴から、どういうことを勉強してきて、どういう仕事をしているのかをネットも使って調べる。これを先入観という人もいるだろう。しかし、そういう予備知識なしに無防備に読み出すと、特に読書にあまり慣れていない人が読むと、とんでもない方向に連れて行かれることがある。  ある自己啓発書を読んだ時だ。書いてあ

エッセイ 青春の門~数学0点作戦~

 今から50年も前の3月のことである。確か3月の1、2、3日と大学の入試があったと記憶している。一応、国立大学を受けたものだから、文科系でも数学と理科も受けなければならない。私は数学が大の苦手である。どれだけ時間を費やしても効果がないことがわかったから、高3の時に数学の受験勉強をするのをやめた。もう数学は0点でいい。他の科目で稼げばいい。合格ラインの点数に到達するためには、それぞれの科目で何点とればいいのかを計算した。何とかなるだろうと思った。  試験当日となった。数学は最終

エッセイ 捨てられなかったエアコン

 今から30年近く前の3月。私は風邪をこじらせて会社を1週間も休むことになった。ひとり、ボロ借家のふとんの中で悪寒に襲われながら震えていた。結婚する前の話である。原因不明の病であった。悪寒というのが適当かどうかわからないが、体の芯で寒気を感じていたので、目いっぱいの厚着をして、ありったけのふとんを重ねて、さらにエアコンをガンガンかけても、背筋をゾクゾクっと寒気が走った。医者で注射を打ってもらっても、半日で薬の効き目が切れると、元に戻ってしまった。  なんとかしなくてはいけない

エッセイ わが青春の深夜放送

「深夜放送」と聞いて若い人は何を想像するだろうか。「ラジオの深夜放送」と言ってもいい。「深夜にやっているラジオの放送」では正解とは言い難い。「深夜放送」とは我が青春時代に、主にミュージシャンがディスクジョッキーを務めていた若者向けの長時間のラジオ番組のことである。全盛期は1970~1980年代ではなかろうか。私は主に高校時代(1972~1974)にお世話になった。深夜放送が当時の若者に受けた理由を考えてみた。 ① 当時はテレビの深夜放送がなかった。12時ぐらいで放送は

エッセイ 自分自身を見つめて

 吉田拓郎のファンで『我が良き友よ』を紹介したりしましたが、彼は、ラジオなどを聞くと(中島みゆきもそうですが)すごく饒舌で、面白いんですね。だけど歌う歌は暗いものが多い。特に初期のものは『自殺の詩』とか『どうしてこんなに悲しいんだろう』とか『人間なんて』『たどりついたらいつも雨ふり』と、暗い歌が多いです。自分の悩みを正直にストレートに歌っている。それによって、彼自身もストレスの発散になっていただろうし、聴いている私も自分の代弁者のような気がして嬉しく思ったものです。しかし、私

エッセイ こころ優しき摩擦人間たちへ

 文学者は変人です。変人なるがゆえに、この世に生きていく上で、いろんな摩擦が生じます。ザラザラ、ガリガリと音を立て、時には血も出ます。その血を、心の血を、インクとして作品を書くのが文学者という人間なのです。摩擦解消のために。  そんなものにどんな価値があるのかって本人は思ってしまいますが、それが、案外価値があるのです。摩擦は本当は誰にでも起きるものなんです。普通の人はそれを我慢しているか、あるいは鈍感過ぎて気が付かないだけなのです。  そういう人が文学作品に触れることによって