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②【実録】僕たちは、家にいながら旅に出た。 (ゲストハウスのラウンジを探して)

もともとゲストハウスで出会った僕たちは、ラウンジで夜通しいつまでもお喋りをしていた。

僕たちの共通点は、浅草橋にあるLittleJapanというゲストハウスが展開していた月額泊まり放題のサービス「ホステルパス」の利用者ということ。

セイヤくんはそのホステルパスの宣伝担当として。
トモキさんは、固定の家を持たずに生活をするアドレスホッパーとして。
そして僕は、都内に住みながらもときどき旅気分を味わうように。

職種も年齢もバラバラだったけど、それに加えて何となく僕たちは「暮らし」とか「居心地」というものに対する価値観が似通っていたと思う。

普通というのが何をもって普通とするかはさておきーゲストハウスに出入りするという、ともすればやや変わったクラスタに所属している僕たちだったが、決して「エクストリームな」人種というわけではないと思っている。

例えば、人と交流するのは好きだけど、それが続くと疲れるよね、とか。
楽しいのは楽しいのだけど、結局負荷がかかっている状態ではあるから、自分では気づかないうちにストレスをためてしまっているよね、と。

「旅するように暮らす」を銘打っている旅人の中には、常に移動していないと落ち着かない、ナチュラルにずっと人と喋っていられる、というようなエネルギッシュな方も多いが、僕たちは決してそういう人ではなかった。

だから、自分自身の「ニュートラルポイント」や「凪」がどういう状態か、自覚しておくことが大事だし、逆に言えば「旅するように暮らす」ことで、自分にとっての居心地の良さって何だろう、というのを考えるきっかけになる。

そしてそういう「自分の凪を知る」感覚は、物理的な移動を伴う旅に限らず、変化が多いこの時代だからこそ、持っておくといいんじゃないか。

こんな話をコロナショックのおよそ半年前にしていたのが我ながら感慨深いが、それはさておき。


そんな僕たちにとって、ゲストハウスのラウンジというのは、何だか特別な「居心地の良い空間」だった。


ホステルパスの利用者や地元の常連さんと、その日泊まった旅人(日本人も外国人も)が混じり合って、「どこから来たの」「何してる人なんですか」と、気がつくと飲み会とも言えないような、ふわっとした“場“が生まれる。

そこは別に、全員が参加しなくてはいけないわけではなくて、というのがミソ。
ソファの片隅でパソコン作業している人や本を読んでる人もいて、同じ空間でそれぞれの時間を過ごしている。でも時々、「さっき話してたアレだけど」とふらっと入ってきてくれたりする。

ぽつりぽつりと人が抜けて夜が更けると、だんだんみんな力が抜けて、ふっとエアポケットに落ちたようにディープな話題になったりする。
気づくと12時を軽く回っていることも珍しくなくて、その時間は何というか、穏やかな高揚感、優しい気怠さ、そして修学旅行の夜のような名残惜しい感じ……そういう何とも言えない感覚が溶け合った空気が流れている。

そんな夜を共に過ごすと、会社の同僚や普通に出会った友達とは、またちょっと違った絆みたいなものが生まれるのだ(そもそも、大人になってから「友達」になるっていうのは意外と難しいよな、と思う)。


そんな場所で、僕やセイヤくんやトモキさんはつながった。
コロナによって隔てられてしまったのは、単なる宿泊施設ではなく、そういう“場”だったのだ。

経営のピンチに陥っているゲストハウスに対して、この時期だから出来ることはないか。

それがまず第一の目的ではあったのだが、その実このリモートトラベルというのは「ゲストハウスのラウンジ」という“場“を探す旅でもあったとも言える(と、僕は勝手に思っている)。

それが、旅に出たくても出られない旅人の「旅したい欲」を解消したいというもう一つのテーマにつながっていくのだが、それは結局、僕たちのごくごく個人的なノスタルジーからはじまったのだ。


〜つづく〜





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