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④【実録】僕たちは、家にいながら旅に出た。(二度と行けなくなる場所がある)

2020年、7月12日。

とある記事がTwitterで流れてきた時、冷たい手で胃の下を「ひゅっ」と掴まれたような気がした。

ひとつのゲストハウスが、「閉業」という決断を下した。

ゲストハウス好きなら、『有鄰庵』を知らない人はいないと言ってもいいだろう。
単なる安宿に留まらない、旅人と地域の人との交流という「日本におけるゲストハウスの概念」をつくったとも言われる宿だ。

観光業界に逆風吹き荒れる中、これ自体はもう決して珍しい話ではない。
それに対して無力感を感じられるほど、図々しくもなれない。

それでも、それでも……。
こういうゲストハウスに対して、何か力になれないかという思いから「5月中毎日開催」で走ってきたのが、リモートトラベルだったのだ。

僕自身、いつかは泊まりたいと思っていたゲストハウスのひとつ。
やるせない気持ちの中でふと思い出したのは、リモトラのある夜に聞いた「“いつか“は二度と訪れないかもしれない」という言葉だった。



「日本を出られない事情が出来まして、っていうのも裁判で訴えられたんですけどね」
「義理の父親なんですけど、借金1500万返さないまま亡くなったということで相続人の僕が被告人になって」
「偽造の借用証書だったので、それは裁判で証明して勝ったんですけど」

会がはじまって早々、衝撃的な過去を淡々と語ってくれるのは、『横浜セントラルホステル』のオーナー前田孝紀さん。

もともと旅好きだったので、日本にいながらでも多国籍の雰囲気を味わいたい、とゲストハウスを回るようになったのがきっかけだというから驚きだ。

ピースボートの出港地である横浜という立地も相まって、世界一周に出かける旅人たちが多く立ち寄る宿を切り盛りされている。

そしてもう一人のゲストは、6年半で世界192カ国を制覇したという渡辺大介さん。
リビアと南スーダンとイラクの南側以外は全部回ったという、バックパッカーの中でも相当のツワモノだ。

「二人だと安くなる」という理由で北朝鮮に行ってくれる人を渡辺さんがSNSで募集したところ、「ちょうど暇だった」前田さんが手を挙げたという出会い方も何とも面白い。

色んな国や、旅先で出会った人の話を聞かせてくださったご両人。
その内容を文字で起こしても面白くならないので、是非お時間あるときに、お二人の訥々とした語り口で聞いていただきたい。


彼らのようないわゆる「旅人」を、僕なんかはついつい、自分とは違う特殊な人種と思ってしまいたくなる。
実際、「変わり者オーラ」が隠せない人や、(我ながら言い方がイヤらしいが)それを自覚されているんだろうな……と感じる人も、やっぱり多い。

一方で前田さんも渡辺さんも、どちらかというと物静かで控えめで、何というか極めてフツーな人だった。
ただただ単純に、旅がしたかったからしただけの人、という感じだった。

例えば渡辺さんが旅をするようになった理由は、『世界ふしぎ発見!』。
「ミステリーハンターに憧れたんですけど、男だとできないなーと思ったので、自分で貯金して旅に出ました」とのこと。

「もしかしたら行けなくなるかもしれないから、行けるときに行けるだけ行こう、と思って行きました」
「もし50代とかでアフリカ行きたいなーと思ったときに、そこまで頑張れるかなーと思ったので、今行っておいた方がいいなって」

あっけらかんと話す渡辺さんを見ていると、「旅に出る理由とは?」「これからの時代、人が移動する意味とは?」などと考えている自分が、何だかアホらしくなってきた。


そう、僕のようなタイプの人間は、頭で考えてあれやこれやと理屈をつけないと行動できない。
そして実際に行動した人のことを、自分とは違う人種の方なのだと、憧れの対象にしてしまう。
もしくは、その人だけの強烈な原体験や運命があったに違いないと、勝手にストーリーの主人公に仕立て上げる。

もちろん、希有な体験をきっかけにして素晴らしい経験を積む方はいる。
そしてそのストーリーに多くの人が惹きつけられ、勇気づけられるケースも沢山ある。

でも。

ミステリーハンター、僕だって憧れたよ。
ピラミッドとか、探検してみたいよ。

僕と渡辺さんの違いは、至ってシンプルだ。
行ったか、行ってないか。ただ、それだけなんだ。


お二人とも、最後の参加者へのメッセージも同じくシンプルだった。

「行けるうちに、行った方がいい」。

コロナによる自粛期間中に聞くその言葉は、簡単だけど重たかった。

それに、「行けなくなる国ってこれからどんどん増えていく」とさらりと口にした渡辺さんの言葉の裏には、もしかしたら彼だから感じる世界の潮流があるのかもしれない。

……いや、それはやっぱり穿ちすぎかな。

付け加えて「特に50歳すぎるとマラリアに罹りやすくなるから」というアドバイスをくれた渡辺さんは、別にウケを狙っているようには見えなくて、最後までフツーの人だった、と思う。



リモトラの毎日開催が終わって、7月。

連日東京の感染者は増え続け、GoToキャンペーンから東京は除外され、僕はまた立ちすくんでいる。そして、日本を代表するゲストハウスの閉業。


僕たちはこの1ヶ月で、何ができたんだろう?


後ろ向きな思いが脳裏をよぎるけど、何をおこがましい、とそれを振り払う。

意味も、価値も、決めるのは僕自身のこれからの行動だ。


頭でっかちに考えるのではなく、シンプルに動くことの大切さを教わった夜のことを、僕はまたきっと幾度となく思いだすだろう。



ネガティブに書いてしまったかもしれないが、『有隣庵』は極めて前向きに、新しいステージへと踏み出している。
宿泊はもう叶わなくても、倉敷の美観地区、必ず訪れたいと思っている。今はまだ、“いつか”としか言えなくても。




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