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開き直る、というのは武器だったのか

トイレぴえん事件

東京で働いていた頃、営業現場に異動して2年目の最初に、とてつもなく荷が重いプロジェクトのシステム提案を担当した。

というのも、過去にシステムを導入した際に重大なトラブルを起こしてしまった顧客で、二度も同じ轍を踏むことは絶対に許されない中、元々担当していた技術担当が異動してしまったせいで、ぺーぺーの私が担当にアサインされてしまったのである。


今回提案するのは自身が初めて扱う製品で、かつ顧客の基盤システムは複雑かつ特殊な構成、今までとは技術レベルが明らかに違うが、ミスは絶対に許されない。

私は提案前のチームミーティングでその荷の重さ、プレッシャーに追い詰められてしまい、不安に押しつぶされてしまった。

「こんなのできっこない、前任者もいないし、これを私にアサインした上司はついこの前異動してきた人で私の経験も分かっていないまま仕事を振っている、技術レベルが高すぎて理解すら追い付かないし、もうどうしたらいいんだ、、」

トイレにこもって、泣いてしまった。

ひとしきりぴえんぱおんして、不安とプレッシャーに究極に追い詰められた結果、こんな考えに至った。

「やっぱり、やるしかないんよ。失敗しても死にはしないし、頭下げるだけ。だったらやるだけやってやる。恥を捨てて、先輩や上司に泣きついてでも教えを請い、それでダメだったらそれまでのことよ。」


開き直り、である。


失敗しても死ぬわけじゃないし、ならやるだけやってみよう、という思考が生まれて、とにかく目の前の事に集中して、人を巻き込み、行動した。

その結果、提案は何とか成功し、最終的にシステム入れ替えも成功した、とのことだった。
(システム設計を終えて導入直前にさらに後輩に引き継いだので伝え聞き)

禅の教えの「開き直り」

話は変わるが、最近kindleアプリでプライム会員なら無料で読める本を読み漁っているのだが、とりはけ今は禅の思考に関する本を読んでいる。
(参考までに、リンクは最下部に貼っています)

その一部に、以下のような言葉があった。

失敗への恐れへの妙薬は、「開き直り」にある

分からないことは放っておく。失敗に縛られない。
それが禅の基本的な考え方である。

失敗への不安は脇において、開き直ってください。躊躇わないで、きっとできます。そして、何であれその事を一所懸命にやることだけにつとめる。その経験がまちがいなく、心を少したくましくします。

実は数日後にとある面接を受けるのだが、それにあたって「挫折したことは何ですか?」という質問へのカウンターを考えていたところで、上述のトイレぴえん事件を振り返っていた。

そのときの恥ずかしい「開き直り」の思い出が、まさか禅の思考で根本となる大切な考え方に通ずる行動だったなんて、と呆気に取られている。

まだこの本を読み終えてはいないのだけれども、ずっしりと構えて、動じない心を身につけるための考え方が、僧侶の方に優しく語りかけられるかのような何とも慈悲深い言葉で書かれているので、読んでいるだけで落ち着いてくる。
(私がお遍路に憧れていることにより、多少誇張した表現になっているかもしれない)

久々にこういった本を読んだ。ふっふっふ、面接が楽しみだ。
もし挫折したことはあるか、と聞かれたら、堂々と答えてやろう。


「仕事で大きな困難に直面し、心が折れそうになったのですが、開き直って一所懸命に行動したことで、困難を乗り越え成功を納めることができました!禅の教えを生かすことができました!」

「それって、心が折れそうになっただけで、挫折していないのではないですか?」

「・・・はい。」

(恥ずかしながら、挫折の意味を今日知りました。)

読んだ本はこれです。
図太くなれる禅思考(枡野俊明著)- Amazon

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