写真はプリントアウトしなさい
無事穏やかに年末を迎えることができて何よりである。
今日は劇場版エヴァンゲリオンの過去3作を一気見し、混沌とした鬱世界の物語に染まった頭を、今日のこの冬晴れのしとやかで平和な景色で中和したくて、小学校の時に通っていた通学路を歩きながらシャッターを押していました。
おうちに帰ってパソコンを開いて、写真をハードディスクに転送する。今年もたくさん撮ったなあ。
一年で撮った写真は、年の終わりにまとめて整理してプリントするようにしています。
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大学生の時に携わっていた東日本大震災の復興支援活動の中で、宮城県で出会った仮設住宅のおばあちゃんがいました。
おばあちゃんの仮設のおうちにお邪魔して、そのおばあちゃんとお茶しながらおしゃべりしているときにおばあちゃんの家族の話になり、「写真を見せてあげるから待ってて」とおばあちゃんを待っていると、ボロボロのフォトアルバムを手渡されました。
それは、震災のがれきの中から見つかったフォトアルバムでした。
全体が水につかって乾いたせいで表紙はしわだらけ、砂もついていて、お世辞にも綺麗とは言えないアルバムでした。
ぺりぺりと少しずつ中を開くと、そこには砂が混じり角が擦れながらも、色が残る写真がたくさんありました。
私は衝撃を受けました。
黒い津波に家が丸ごと呑まれ、何もかもが瓦礫と化した中、アルバムに保管されていた写真は、水に浸かり砂にまみれようとも、写真は生きていて当時の景色を鮮明に残してくれている。
そして恐ろしくなった。
もしこの写真が携帯電話やハードディスクなどに保存される電子データだったら、一切の思い出は、もう二度と取り返せないものになっていたのではないか。
写真がデジタルになり、写真としての寿命は圧倒的に伸びた。
でもそれは、あくまでデジタルのデータとしての寿命である。写真は見ることができなければ意味がない。
写真データにアクセスするスマホやPCが動かなければ写真は見れないし、クラウドにデータを保存したとしても、パスワードを知っている人がいなくなったら、その写真は永遠に見ることができない。
そして、データとして蓄積する形も時代と共に変わっていく。フロッピーディスクなんて、今や誰も使っていない。自分が残したデジタルデータは、放っておいたら数十年で誰もアクセスできなくなる。クラウドだって、どうなるかわからない。
モノとしてこの世に存在するということが、どれだけ価値があり、どれだけ意味をもたらすかを知った。
実体があるものは、その場所に行きさえすれば、誰もが平等にその手にすることができる。
写真は、劣化しようとも、鮮明でなくとも、自分以外の誰もが手に取ることができ、その目で実物を見ることができることが大切なのではないかと思った。
写真は、プリントアウトしなさい。
あなたが撮った写真は、きっとあなたがずっと忘れたくないものや、
他人と共有したいもの、後世に残したいもの、美しいもの、
あなたがこの人生で出会った大切な瞬間ばかりが、写っています。
そんな素敵なもの、ちゃんとこの世に形として残しましょう。
写真はすべて、誰かが大切にしたい何かが写っている、想いの詰まったものですから。
あなたを大切に思う人が、あなたの大切にしている瞬間に触れられるように、フォトアルバムとして写真を残してほしいなと思います。
サポートいただいても自分ではうまく活用できなさそうなので、もしいただいたら東日本大震災等の災害ボランティア活動団体に寄付させていただきます◎