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恩人

昭和32年当時、鳥取西高校3年生だった私は、絵画部に所属していました。夏休みには部員全員の東浜海岸1泊スケッチ合宿が楽しみでした。3人の先生が引率に付きました。

合宿当日の朝。
海岸に到着し休む間もなく水着に着替え、宿から飛び出し砂浜を走り抜け、海に飛び込みました。
沖に向かって泳ぐとあまりにも早く進むので振り返ると、あっという間に波打ち際から100mほど離れていたのです。浜には、自分に向かって、みんなが戻ってこいというそぶりで手を振っているのが見えました。

慌てて引き返そうと思い、海岸へ向かって必死に泳いでも泳いでも、流れに逆らっている感じがしました。当時は”離岸流”というものを私は知らなかったのです。
波が顔にかぶさり、したたか海水を飲んでしまいました。疲れて動きも鈍くなり、呆然となりかけたとき、友人が自分に向かって泳いできました。

「おい!横に泳げ!!」と大声を掛けながら私の背中を押してくれ、私は横向きになりました。2、3メートル真横に進むと、底は浅く海面は胸のあたりとなり、歩いて浜に戻れたのです。そのあとはもう、吐き気や心身ともに疲労困憊、宿に帰って寝込んでしまいました。

現在、自分の子・孫は12人となります。命ある限り、今も付き合いが続いている恩人である友人に、心から感謝する日々です。

画像:鳥取砂丘、アクリル画、20号。

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