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映画『福田村事件』

関東大震災から100年の今年。
9月、関東大震災に関するテレビ番組がNHKであり、今後の知識として子供と一緒に観ていた。番組で震災後の朝鮮人虐殺事件についても少し触れていたため、子供に各地で起きていたことについて説明した。

朝鮮人虐殺事件は、私の地元近くの町でも起きていた。それを知った時はとても衝撃を受けた。自分の知っている場所で、普通の住民が自警団という名で武器を手に取り、朝鮮人というだけで殺傷していた。信じられない気持ちでいっぱいだったが、慰霊碑を立てて毎年慰霊祭を行っているため真実なのだと思うしかなかった。

福田村事件のことは映画広告で知り、子供に「朝鮮人と間違われて殺された日本人がいたらしいよ」と話した次の瞬間、「朝鮮人だからって殺していいわけじゃない」と思い直し、なんと説明すべきか言葉に迷った。自分の言葉が足りないと伝えたい内容と違うことになる気がした。
朝鮮人だって日本人だって殺していいわけがない。
それをきちんと伝えるために観てみようと思った。でも映画の内容から重い話とわかっているため、観るのに気力が必要だった。


福田村事件とは


関東大震災後の9月6日、千葉県内で実際に起きた、香川からの薬行商団15人が朝鮮人に間違われ、地元の自警団に竹槍やとび口などで子供、妊婦含めた9人が殺されたという事件。



※ ここから先は映画の感想です。ネタバレあります。


感想


戦争での生死や戦争に対する考え方、村の閉鎖感、閉塞感が前半からずっと続き、終始重苦しい雰囲気だった。
薬行商団は「穢多」と呼ばれる部落民のため、行商をして日々をなんとか暮らし、苦労して生きている様子だった。差別される朝鮮人の気持ちも分かる存在でありながら、自分より下に見ている者もいる。

村の中も住民の考え方はそれぞれ。それでも多くの住民は村八分を怖れ多数になる。村は他の目を気にしながらの生活を強いられ、何を言われてもそこで生きていかなければ行けない息苦しさがあった。女性だけの場面は噂話をしていることが多く、何ら今と変わらない気分にさせる。

「朝鮮人では無い、日本人だ」と行商団を助けようとしたのは、村に馴染まない者。デモクラシーでの多数決なら少数派だった。
興奮した村人の口火を切ったのは、流言飛語を信じ夫の生を諦めた者。集団が不安に怯え、目の前に敵かもしれない者がいると思った時の興奮状態。冷静にさせるのは困難に思えた。結局、複数の住民が家族や村を守ろうと行動に出ると、それは波及し、多くの住民が加勢した。
村長は強く行動出来なかったが、村を守ろうとはしていたことはわかった。それは加害者擁護なだけだが。在郷軍人会も自分の村を、住民を守るため。妻は夫の敵討ちとして。

最後、警察が鑑札は本物だから手を出すなと戻ってくるが時すでに遅し。
助かった薬行商も殺された仲間もみんな名前があって、みんな毎日を生きていた。
朝鮮人だからって殺していいわけない。
関東大震災後に関東各地で起きた事件で、この話はずっと隠されていたらしい。遺体は利根川に流し、被疑者も捕まるもその後の恩赦で釈放。
香川に戻った薬行商の6人もこの事件のことを大きく騒がなかった。自分たちの立場から言えなかったのだろうなと想像するとつらい。

ずっと最後まで鬱々とした。


 震災後の通常と違う中で、不安要素を排除したくなる気持ちは分かる。上からのお墨付きがあれば行動に力は入る。少数派より集団の方が安心できる。
方法は違っても同じ様なことは時代が変わっても起きている。今はSNSやインターネットの普及でもっと広範囲の多数から個人が攻撃される機会が増えた。言葉でより簡単に。見知らぬ相手まで監視できる社会になった今、発言、行動には十分気をつけたいと思う。
何がきっかけになるのかは分からない。色々な立場があり、意見があるということだけは想像できる余裕を持っていたい。

映画『福田村事件』はスマッシュヒットしているという。気が重くなるけれど、色々なことを考えされる作品だった。

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