「幸せなデザイン。」

デザインという言葉ほど、人にとっての定義が違う言葉も珍しい。今の時代にあるべきデザイン、デザイナー、デザインチームの再定義。

デザイン×社会性

自分が受けてきたデザイン教育も含め、数多くの先人がデザインのあるべき姿について論じて来たと思う。そしてその多くは「デザインx社会性」であり、「より多くの他者を幸せにする」を求める事と言った言い方である。

社会性とは「他者に何を求められているか」であり、要求を指す。それを前提としてデザイン業とはクライアントの要求にデザインで答える事で対価を得ることにある。

逆に言うとクライアントの求めにさえ答えていればデザインは一定の社会性を持っていることになる。

デザインの中にも、グラフィックデザイン、ディスプレイデザイン、インテリアデザイン、建築デザイン、etc..と多岐にわたるので一概には言えないが、総じて優秀なデザインとは、より扱いやすく、より伝わりやすく、寿命が長いデザインのことを指している事が多い。

一方で敬遠されるデザインは、扱いにくく、意味不明で、瞬間的なデザインである事が多い。

デザイナーを育てていく過程でよく用いられる言葉にアートとの対比がある、「アートとデザインの違いは独善的であるかどうかであり、アートは自分の表現である一方デザインはとのコミュニケーションの結果であるから、自分の好きを押し通すことはデザイナーとしては正しくない。」と言ったものである。

デザインからプログラムへ

しかし、その社会性の構図が、今の、これからの世の中からデザイナーに求められている事なのかというと疑問が生じる、デザインを「人々の営みの中に、快適な秩序を生み出すためのシステムづくり」だと定義づけるのであればおそらくそれはデザイン以上に今はプログラムに求められている事だからだ、

もはや、プログラムによってデザインを解決することは容易い、無料のロゴの生成アプリなどあまた存在し、デザインのフォーマット化などのフレームワークなどのサービスはどんどん増えている。つまりこの側面から見ると社会は旧来的なデザイナーを求めているのではなく、プログラムによるデザイン的解決を求め始めているとも言えるであろう。

プログラムによるデザインは当然のごとくデザイナーを多数必要としない。クリエイティブは無くならないと言われていてもAI革命の淘汰の中に実はデザイナーもいるのである。

デザイン×アート

「一方で敬遠されるデザインは、扱いにくく、意味不明で、瞬間的なデザインである」これはデザインとしては敬遠されるが現代アートとしては歓迎される概念と言える。現代アートは多くの人にとっては難解で、一握り人によっては共感を得て、瞬間的であり、しかし多くの人に驚きと気づきを与える。その驚きが肯定的であれ否定的であれ、求めていなかった、予期していなかったものを提示されたことにより、受け取った人が何かしらの気づきを得ていることは確かであり、そこに芸術が存在する意義の一つがある。

恐らくこれからよりデザイナーに求められるのはマスに対する社会性=「より多くの人が求めている事へのソリューション」ではなく、「より多くの人に驚きと気づきを与えることのできる芸術性」ではないだろうか。

AIがより賢くなり、様々なものが予期とリコメンドによって手に入れる事が可能になる。そんな中デザイナーが何をクライアントに提供できるかというと、予期しない驚きであり個性により生み出された個性のあるデザインだろう。しかし一方でそこには最低限の社会性=「他者とのコミュニケーションによって生み出された」という状況が必要だと感じている、デザインとアートは今後より近づきながらも、自己表現を前提とするアートとの差は「他者(クライアント)とのコミュニケーションにより導き出された個性である」事が決定的な違いとしてなお存在する。

試されているデザイナーという職種

コロナ下において多くのパラダイムシフトが発生しているが、もっともわかりやすいのはDXの加速だろう、多くの会社と同じく、うちの会社もリモートワーク体制をとって顔をあわせる機会は激減した。そんな中でもZoomを代表されるコミュニケーションツールや営業管理アプリケーションによって支えられ業務を進める事ができている。ただ一方でそれによりクライアントとの密接度が減っていることも確かであり、やりとりの仕方によっては顧客から見て自分たちがデザインAIに見えてしまう可能性もなくはない。そうなってしまえばもちろんより優秀なデザインAIを顧客は求めるだろうし、レベルが同じだとするならより安価なそれを求めるのが当然であり、そこに社会のニーズが存在している。

勘違いしてはいけないのはこれは素晴らしいことである。人々はデザインをより身近に感じ、より安価にデザインを依頼できるようになった事で、世の中にいいデザインが増える可能性があるのだから。

一方その中で、世の中のデザイナーがアップデートしていかなければいけないのは、プログラム以上に量をさばくという不利な戦いを挑むのではなく、また、既存顧客との人間的なつながりの保持にのみ依存するのでもなく、自分たちの商品に対する芸術性の追加に他ならない。そしてそれはクライアントとのコミュニケーションによって生み出された、対話から導き出すアートをデザインするという行為である。それによってクライアントに驚きと気づきを与え、要求に対応するだけのデザイン以上の価値を生み出し、それは同時にデザイン業務の単価をあげる事に繋がるのである。

そのためにまず必要なのは自分自身の芸術性を磨くという行為であり、恐らく全てのデザイナーがデザインを志した頃に考えていたような、自分にとって好きなデザインとは何か?を考え、常に自分の感性に触れるもののインプットを行い、自分にとって好だと感じるデザインを高レベルで追求することである。プロである以上、自分の好きを自己満足で終わらせず、自分の好きによって他者を肯定的に驚かせる事ができる次元まで持っていく必要がある。

これは試練であると同時に、デザイナーという職種が今以上に幸せな職種になれる可能性を持っている。クライアントから言われたことをやるだけの仕事ではなく、クライアントを驚かせる事が仕事に変わっていく中で、自分を抑えなくてはいけないから、自分自身の個性の表現をやらなくてはいけないに変わっていくのである。これは実はデザインを志す際に誰もが望んでいたけれども一握りの人しか許されていなかった事であり、デザイナーにとって幸せなデザインは今すぐそこに存在するようになっているのである。

デザインチームの重要性

そして同時にそのデザイナーにとって幸せなデザインは趣味的な楽しさに留まってはならない、趣味的な楽しさとは対価を得ずに(むしろ対価を支払って)行う行為にある。そこには感情による商品の品質の波が存在する、趣味のランニングがやる気大きく左右されるのと同じ事で、対価を得ずに行う行為には(それが金銭的対価でなかったとしても)やはり自分を安定的にモチベートする要素がかけた状況に陥ってしまう。そうなってしまうと芸術性を持ったデザインの品質は下がってしまうし、クライアントの対話から導き出す行為自体も希薄なコミュニケーションとなってしまい、結果として価値を下げることになってしまうからである。

それを避けるためには対話によるデザインを行なっている事の価値を伝え、その価値に気づいてもらえるクライアントを常に集める必要がある。潜在的に驚きを求めているクライアントを集め、そのクライアントがまだ気づいていない求めていることのヒントを見つける行為を先んじて行なっていく必要がある。

更にそれは「なんでも出来ます、やります」的な営業ではなく、そのクライアントの個性を捉え、チーム内のデザイナーの個性をと掛け合わせた際に発生するであろう化学反応を予知し、クライアントの気づいていないニーズを整理する事のできる高度なコミュニケーションを必要とする。

「対話から導き出すアートをデザインする」ことを商品とした場合もはやこの行為からすでにデザインが始まっていると言えるだろう。つまり、営業は営業という単一職種ではなく営業行為によりデザインを行うチームの一員である必要がある。

クライアントの選定を行い、デザイナーとの化学反応を見極めるスタッフとそのスタッフにより選定され、芸術的個性によりより大きな化学変化を起こす事のできるスタッフが必要であり、そのプロジェクトをマネジメント的に補助するスタッフが存在し、物事の上流下流があっても上下関係が存在しないチーム作りができるのならばストレスなく「幸せなデザイン」に近づけるのではないかと考えている。


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