「見える!そこ!」と言うニュータイプは、もはや実在するという話と教育観
2回延期されていた「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」がようやく公開されました。
私はまだ見ておりませんが、コロナで出かけられていなかったと言うのもあって、出だし好調のようです。
私はどっぷりガンダム世代で、ファースト、Z、(ZZはあまり見ず)、逆襲のシャア、ユニコーン、Seed、Seedディスティニー、00などを見てきました。
その中で描かれる人類の革新たる「ニュータイプ」と言う人間の存在。
最近、実体験から、本当に「ニュータイプ」と言うものの存在を強く感じています。
ニュータイプとは
世の中には、スターウォーズを見たことがない人もいるし、ガンダムを見たことがない人もいる。同様にハリーポッターを見たことがない人もいるし、ロードオブザリングを見たことがない人もいるだろう。
(ただし、となりのトトロを見たことがない日本人はほとんどいない気がする)
まず、「ニュータイプ」とは何か? そんな見たことのない人のために少し解説を。
ニュータイプとは、宇宙(宇宙に浮かぶ人口星のコロニー)で生活することが当たり前になった人類は、人への理解を空間を超越して認識できるようになる人たちのこと。
そして、ガンダムのような人型操縦ロボット(モビルスーツ)も乗った瞬間に、操縦の仕方がわかり、ケータイや衛星通信などを必要とせず、宇宙空間で戦う相手とコミュニケーションが取れたり、何kmも離れた高速で動く相手型モビルスーツをマニュアルで百発百中で射撃できたりと、そうした人間の能力の非連続な成長を体現した人たちのこと。
それをニュータイプと呼んでいます。
身近な例えを言えば、2000年ごろ、50歳以上の方々に取っては、当時ボタンが100個くらいに増え、複雑になってきたリモコン(テレビ、DVDプレーヤー、ハードディスクレコーダーが1つになったもの)の操作に四苦八苦してるところに、10歳の子供が、何も見ずいきなり録画予約ができた、あの感覚です。「いきなりリモコンが操作できてしまう感覚」これがニュータイプの走りだと私は思っています。
ニュータイプが初めて出てきたのはファーストガンダム(1979年放送)で、15歳のアムロ・レイ少年でした。そのアムロが大人になったZガンダム(1985年放送)で、有名なシーンがあります。
Zガンダムでアムロの再来と言われた次のニュータイプ、カミーユ・ビダン(16歳)とアムロが一緒に戦っているシーンです。
見えるんです。ニュータイプには、敵が。
レーダーで見えなくとも。視覚で見えなくとも、見えるんです。
これがニュータイプです。
現実世界のニュータイプ
そして、実はこれと同じ感覚が私にも起きました。
私はかつて、初めて触ったTV/DVD/HDDレコーダーリモコンを、いきなり操作して、録画予約をものの数秒で成し遂げたことがあるニュータイプです。
今日10歳の息子とFORNITEをプレーしてた時の1シーンです(画面はイメージ)
FORTNITE
360度視点で動く3Dシューティングゲーム。5kmほどの大きさの島に100人が降り立ち、サバイバルしていく。
息子「あ、そこ、いた」
私「どこ?」
息子「そっちじゃない。右の方。抜いた(射撃を命中させたこと)。ヘッドショット」
私「え、いつ?どこ?」
息子「はい、こっち(左)にもいた。当たった。抜いた。」
私「あれ、武器ってどうやって切り替えるんだったかな(半年ぶりのプレーなため)」
息子「あ、あそこラマ(馬の形の宝箱)がいる」
私「どこ?」
息子「ほら。あの点」
ーーー以上、ずっと続くのでこのくらいでーー
アムロは後ろにも目をつけろと言いましたが、私の場合は、同じ50インチのディスプレイを見てるわけで、この限られた同じ空間を見ているにもかかわらず、見えないこの感覚。いや、見えてしまう息子の感覚。これは紛れもないニュータイプ
革新は10代に生まれる
25歳くらいの時は思ったものです。とはいえ、知力体力反射神経。自分の中でもピカイチな感覚があるわけで、15歳でガンダムを操縦するなんて、流石にありえないだろう。
そういう考えです。そう言うエースになるのは、やはり25歳から35歳じゃないの?と言う。
でも、世の中を見渡してみると多いんです。10代で革新が生まれることが。
例えばエンダーゲーム。これは10代の子供たちにシューティングゲーム感覚で宇宙船を操縦させます。実はそれはリアルな宇宙船とリンクしていて、エイリアンをそれによって駆逐しようというものです。
はっきり言って、未来にもしこのようなエイリアンに攻められるシチュエーションがあるとするなら、この戦法はもっとも有効だと思います。確実に10代のニュータイプの方が、大人より優れていることでしょう。
スピルバーグが監督したこちら。レディ・プレイヤー1(もうすぐ2が出ますが)は、仮想世界で生きることが当たり前になった近未来。その生みの親であるエンジニアが残した宝を争奪することを、仮想世界の中で行われます。当然ながら、そのレースの上位を閉めるのは、10代の子供たちです。
シン・エヴァンゲリオンは見てませんが、こちらも10代の少年少女が使徒と戦う物語。
開催が物議を醸し出しているオリンピックも、フィギュアスケート、器械体操、スケボーなど10代がピークの種目はたくさんあります。
フレデリック・ショパンが初めて作曲したのは7歳の時の「ポロネーズ第11番ト短調」でした。8歳には公開演奏に参加しています。モーツァルトなんかは、5歳の時には、アンダンテ ハ長調 K.1aを作曲しています。
最近の事例だと、27歳以下で競われる日本の音楽コンクールのピアノ部門も2012年反田恭平さん(18歳)、2020年山縣 美季さん(18歳)など10代の躍進はたくさんあります。
ただ開放。成り行きで広がるだけ広がればいい
うちの12歳娘と10歳息子ですが、全く家で勉強はしません。宿題もほとんどしているところを見たことがない。上の子は中1で、あと2週間で定期試験のようだが、何もしてないけど余裕綽々で、Youtubeの動画編集を今日もしておりました。それが終わったと思ったら、iPadでひたすら絵を描き続ける。
息子の方は、Youtubeを閲覧し、世界トッププレーヤーのエイム(FORTNITEで敵に狙いを定めること)をじっくり見たと思ったら、今度は実践。この間は、8時間エイムの練習をしていたらしい。(そんな集中力があったのかと、ただただ驚く)
FORTNITEについては、以前こんなポストもしていたので、ご参考に。
言われてみれば、私も宿題を家でしたことはなかったし、こんなにも集中できるものがあるのは、良いことかと考えています。
彼らには、「見える」んです。大人には見えないものが。だったら、ひたすら、それを「見る」ことを限界なくさせた方がいいのではないか。そんな考えです。
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