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「手を伸ばすから 掴んで欲しい」 長渕剛と共に生きてきた起業家の35年

1989年1月。昭和が平成に変わった。

13歳の私は、その時初めて、「元号」というものを意識した。時代が変わるという時の流れを感じた。

「傷つけば傷つくほど優しくなれた・・・
悲しめば悲しむほど思いやれた」昭和(1989)

長渕剛、「昭和」という曲をその時知った。
中1だった私は、それなりに少年として悩みも、悔しさも、憤りも感じ始めたころだった。

以来、35年、私の人生は、いつも剛さんの背中を追っている。


「じめじめと暗く腐った憂鬱な人生を俺は憎んでばかりいた」Captain of the ship(1994)
2011年、35歳の時、この曲をカーステレオでガンガンに流しながら向かう成田空港への道、起業に踏み切れない自分を呪い、涙ながらに聞いていた。

大阪から東京に出たのは、2002年だった。社会人になって10年。社会をそれなりに知っていたはずだった。

「今日から俺 東京の人になる」東京朝焼け物語(1991)

いや、私は東京の人にはなりきれなかった。東京じゃない。ずっと、海外へ行きたいというコンプレックスがあった。

17歳の時、初めて海外に行った。

ドイツだった。

当時、叔父がその国に住んでいた。両親に連れて行ってもらった。この旅行が、私の人生を変えた。

高2の私は、まったく使い物にならない人間だった。英語はまったくしゃべれなかった。出た言葉は3つだけ。

Thank you, Hello, It is rain

「たとえば、挫折が目の前に立ちはだかる そんな夜は心で命の音を聞け たかがこんな自分は!と一度だけからかってみなよ」Stay Dream(1988)

それなりに自信家だった自分の、鼻っ柱が折れた、17歳の夏だった。

大学に入った。

バックパッカーにあけくれた。

バイトで金を貯めては、海外に飛んだ。

10回、20回と行った。20カ国以上歩き回った。自分の過去の挫折を振り払うように。

大阪、枚方市に生まれ、大学を出るまでその地にいた。

自分の挫折。

海外。そこで生き抜くこと。そこで住むこと。それをしたことがない。留学へのコンプレックス。海外に住むことへのコンプレックス。そんな気持ちを携えて、東京に出た。

経営コンサルタントという職についた。

本当は起業したかった。根性のない私は会社員を選んだ。

「やりたい事とやりたくねえこととが 思いとおりにいかなくて」Myself(1990)

働き始めて数年経てば、ただただ現状に憤るだけだった。

「たとえ雷雨に打ち砕かれても、意味ある人生を求めて明日船を出せ」Captain of the ship(1994)

私が船を出し、起業したのはこの歌を聞いてから18年後の2012年だった。海外へのコンプレックスから、私が起業したのは、シンガポールだった。

意気揚々と起業した私。10年社会人経験を踏んだ。自信があった。どうにかなると。成し遂げてやると。

しかし、現実は甘くはなかった。

37歳の夏

「ぶっ飛ばしたいほどの怒りや悔しさ」Stay Dream(1988)
「上を見ると負けたくなくて悔しさと羨ましさを隠して笑ってみせた」Myself(1990)

剛さんが32歳と34歳で書いた歌だった。

37歳の自分は、ようやくその心境に追いついた。

その直後、3番目の子供を授かった。

「Never Change 今 子供がうまれた」Never Change(1988)

その子は、8度の入院を繰り返し、障害を持ちながら生きている。10歳になった今、まだ話すことができない。

そして、私は、シンガポール、インドネシア、東京と、8つの会社を創業し続け、いまを生きている。

「泣くな泣くな たかだかそんな事で 叩かれだまされおまけに追い詰められ 生きることが嫌になることくらい 俺にもある」泣くな泣くなそんな事で(1994)

うまくいかない事業。だまされる。誹謗中傷も飛び交う。人間不信。生きることが嫌になることくらい、剛さん、あなたにもあったのか。

「傷つき打ちのめされても はいあがる力が欲しい」Hold Your Last Chance(1984)

この歌を聴くことで、力を沸き立たせた。


2024年。今年で起業して13年を迎える。

テクノロジーの力で世界を1mmでも良くする、というパーパスを引っ提げ、毎日生きている。

「くよくよするなよ あきらめないで Just like a boy
人はみんな手探りしてでも Stay Dream」Stay Dream(1988)

追い続ける。追い続けても届かない時もある。それが大人?大人だから?

「夢と書いてよじれるほど笑った」カラス(1990)

手探りしながら生きている。まだまだあきめていない。毎年、毎月、毎日、新しいことが起きる。新たな問題が起こる。

1つ乗り越える。1つの危機が去る。

そして、すぐにまた次の危機が訪れる。いっときの安らぎも訪れない。

「苦しみを超えたら いつかきっと誰かがこの僕を必ず待っていてくれるだろう」誰かがこの僕を(2017)

起業して12年。

いま私の周りには、数多くの仲間がいる。

私を助けてくれる人がいる。こんな幸せなことはない。

「後悔と屈辱の今日をにらみつけ 明日への用意をしよう 超えてゆけ そこを」明日へ続く道(2014)

明日は超えていける。

今日もまた私の会社は危機が舞い降りてくる。

今日もまた私の会社はチャンスが舞い込んでくる。

「手を伸ばすから 掴んで欲しい」しゃくなげ色の空(2021)

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