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妻を思いやる気持ちを大切にしたい

朝から色々なタスクをこなしながら、ふと天気予報を見ると、向こう数日も雨の予報。まさに梅雨末期といったところなんだろう。
なかなか洗濯物を干せるタイミングがないなぁ、毎年この時期に出てくる
悩みに今日も悩まされている私がいる。

私の要らぬこだわりと「べき思考」の押し付け

ふと、妻との過去のシーンが脳裏に浮かんだ。我が家では私が洗濯物への要らぬこだわりがあり、基本的に私が洗濯物を干すところまではやっていた。
こだわりとは、洗濯物はバルコニーに干し、自然の風で乾かしたい、きちんとしわを伸ばして干したい、種類ごとに並べて干したい、それがこだわり。
それ自体は決して悪いものではないのだが。

ただ、その「私の」価値観を妻に押し付けてしまっていた。洗濯物はバルコニーで干すべきだと。
それを知っている妻は、私に乾燥機使っていい?とか、浴室乾燥使っていい?と時に私に伺いを立てていた。ただ私は「私の」べき思考を譲ることができず、何とか外干しを挙行し、突然の雷雨にびくびくしながら、バルコニーとにらめっこといった始末。

なぜ私は要らぬこだわりをもっていたのか?

妻と別居以降、私の過去の重たい蓋を自分でこじ開けて、その理由がよく分かった。いわゆるトラウマに侵されているのだと。
そのトラウマは、小学校の頃にさかのぼる。当時の我が家は体操着を1着買えるのがやっと。それに借金やらなにやらで近所の人の冷ややかな目線が怖かった私は、常に自宅の居室に洗濯物を干していた。
1着しかないので、毎晩洗濯からの室内干し。夏の時期、ましてや汗かきな子どものころ。そりゃ洗濯をしてもニオイはとれないはず。
その匂いをある日同級生にひどくバカにされ、逃げ場のない焦燥感を感じたのを覚えている。
1着しかないからだ、外に干せないからだと自分を責めた。
その後、知り合いから体操着のお古を譲ってもらった記憶が残っている

ただ、私はトラウマをモラハラや支配をしてしまうことの言い訳には使わないと決めているので、この話はここまで。

妻は乾燥機を自由に使いたかった

そもそも乾燥機や浴室乾燥を使うのに、夫の許可なんて必要ない。
私も妻も自立したひとりの人間であり、何ごとも意志と自由が保障されている。
でも、妻は私を気遣い、気分を害さないようにと配慮してくれていたことに気づいた。

私が良かれと思って善意でやっていても、妻には妻のやりたいやり方がある。私はその気持ちを受け止め、妻を思いやることができなかった。
妻は私を、何を言っても通じない、私の気持ちなんてわかってくれない、ましてや支配しようとする、そんな焦燥感に駆られていたはず。

失敗から何を学んだか

夫婦はそれぞれ違った価値観をもっている、だからこそ互いを思いやる気持ちと配慮が何よりも大切だと思う。
私のしていた思いやりとは、良かれと思ってやったことでも、一方通行の自分勝手な価値観の押し付けであり、妻の気持ちを思いやることにはなっていなかった。

別に乾燥機を使って、少し電気代があがってもどうってことない。夫婦の思いやりや安心感を金で買えるのなら、いくらでも払いたい。
金ではない、大きな代償をこの経験から得た私。
ほかにも同じような事例は多くある。別居以降、一つずつ妻の気持ちに心を寄せ、今日も自分の歪んだ認知を正している。

大切な妻へ

乾燥機や浴室乾燥の問題に限らず、妻の気持ちを尊重することができず、
自分の理屈染みた「べき論」を押し付けてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
今すぐ、その当時に戻って、温かい言葉の一つでもかけたいよ。でも過去には戻れないという今この瞬間が悔しくてなりません。
あなたが負った傷の痛みは、今となっては同じほどの痛みとして私も受け取っています。私も同じ痛みをともにさせてください。私はあなたの痛みに
生涯寄り添っていくからね。

自分を変えると決めたら、すぐに行動する

今日も昼からは雨予報。
でも、この記事を書き始める前に洗濯機のスイッチを入れました。
そしてそのまま、乾燥機を使うことにしました。

幸いにも今のわたしは自分に向き合い、自分の言動に気づき、それを改めようとする時間的な猶予がある。それにこの数か月で自分でもびっくりするほど、気づきを認め、改めることに躊躇しなくなった。
だから、乾燥機も躊躇なく使えるようになった。
いま私に与えられた幸せな時間を無駄にはしたくない。

自分の間違いに気づき、それを素直に認め、すぐに改めることができる。
それが当たり前になれば、夫婦のすれ違いがあっても、立ち止まり、互いの考えを思いやり、妻を尊重することができるはず。

私は絶対に変われると自分を信じている。
そして大切な妻と子どもを幸せにできる夫、父になると心に決めている。


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