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人間はひとりでは生きられない生き物である。




家族、友達、仕事の関係、趣味の仲間
学校の仲間、ご近所さん、子供関係の知人
生きていれば良かれ悪しかれ人と関わることを
避けることは出来ない。

決して人間はひとりでは生きられない。
人間には自分以外の他者との関わりが必要だ。
「触れ合い」というものが必要だ。

以前からわかっていたことではあるけど
最近になって特にそう思う。

それは、父が居なくなって一人になった母を
見ていると感じずにはいられない。

今、母は何かにつけ触れ合いを求める。
会話などによる心の触れ合いももちろんだけど、
文字通り「触れ合う」という意味でだ。

スキンシップを求めているのだ。
一人になり以前以上に愛情ホルモンである
オキシトシンを欲しているのだよね。

誰かと肌と肌が触れ合うということは
ある意味とても特別な行為だ。

背中を摩る、肩を揉む、Hugをする、手を繋ぐ、
腕を組む、肩を抱く、頬ずりする、キスをする、
もごもご…する。などなど(笑)
これらはほぼ親密な間柄じゃないと成り立たない。

まあ、親密じゃなくても仕事などとして
触れ合う瞬間も例外としてはあるだろうけれど。

それも含めて「触れ合い」をスムーズにするものは
お互いに抱く好意でしかない。

少なくとも私自身は「好き」という感情が無ければ
「触れ合いたい」とは思えない。
大切で愛おしいからこそ触れたい、撫でたい
手当てしたいと思うのだ。

それは間違いなく愛情なのだ。
だから人には愛が必須なのだ。

言い換えれば、愛が人間を作っている。
そして繋がりの中でしか愛も生まれない。
だから人との関わりが重要になる。
愛し方も愛され方も関わりの中で学ぶのだ。

愛を知らない、愛し方を知らない人が
自分自身も含め誰かに愛を与えることは
とても困難なことだ。
自分の知らないものを教えることは出来ないから。
だから愛情を知らないで成長した人間は
いろんな意味でバランスが悪い。

どんな人でも人生の始まりには必ず家族がいて、
それに加えて成長と共に自分に関わってくれる
人たちとの輪ができるのだろう。

誰だって誰かと繋がって生きている。
その繋がりの質が大事なのだ。
絶対的に量より質なんだ。
個々の繋がりは何によって築かれているのか。
それが「愛情」であればいいなぁと私は思う。

世の中には残念だけど様々な事情で家族でも分かり合えない、家族と愛し合えない人もいる。

友達にしても簡単ではない。
思春期や多感な年齢の頃は友達がいないのは
死んだも同然だと思う子たちがいる。
(そんなことは決してないのに)
いい大人になったって友達がたくさんいること
に価値を持つ人もいるのだから集団の中で
子供たちがそう思ってしまうのは当然かもしれない。

だけど、家族だから繋がっていなければ
ならないという決まりもないし、
友人にしたって本当の友達、本当の親友なんて
そうそう簡単には出会えない。

どんな関係だって出逢いだって何でも良くて
大事なことは大切だと思う人と繋がって
いること、心から信頼できる人と手と手を
取り合えること。
大変な時にこそ向き合い、話し合い、触れ合い
手を差し伸べることが出来るのが愛だと思う。

人間関係についてどんな考え方であってもいい。
それも人それぞれだ。
自分の人生の舵を取るための選択肢のひとつ。
その思いが個々の価値観なのだろう。
それが近かったり似ていたりすることが
きっと相性が良いということなんだろう。

たとえ家族であっても相性というものは必ずあるし、お互い違う人間同士なのだから自分が相容れない人とは上手くいかないのは当たり前だ。

逆に赤の他人が愛し合い信頼し合い支え合って恋人や夫婦、パートナーや親友となれるんだしね。

人との繋がりをどんなものとするのか…「輪」を「和」にするのも自分の手をどこで誰とどう繋ぐのか、逆に繋いだ手を切るのか、どっちにしても大人は自由に選ぶことが可能だ。

大人になることで与えられる一番のギフトは
「人間関係を選ぶことが出来る」
ことだと私は思う。
それは「幸せになることを選ぶことが出来る」ということだ。

本当に一緒に過ごしたい人は誰なのか
損得無しで仲良くしたい人は誰なのか

愛は世界でたったひとつの万能薬だ。
自分も幸せにするし、誰かも幸せにする。

愛と笑いのある人生を生きる幸せ。
自分以上に大切な人が居てくれる幸せ。
自分を分かってくれる誰かがいる幸せ。
日々を楽しみ味わう幸せ。
誰かと分かち合える幸せ。
愛する人たちと触れ合える幸せ。
私の幸せが私の繋がりの中にはある。

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