どんな弔辞を読まれたいか?なんてクソ食らえだ!

実在する人物で、あの人は誰に対しても敬語で話していた、という逸話があって、そういうの格好良いなぁと思ったことがあったのだが。

そもそも、その人は、常にお付きの人が何人もいる故、そういった話が伝わるのだが、自分が敬語一本で生き通したとして、who cares??

そして、誰に対しても敬語を使う、というのは、年下や立場の違う人に対しても驕ることのない人、という風にポジティブに捉えることができるわけだが、

時と場合、関係性によっては、自分より年上の相手でも、タメ口で話してもらった方が嬉しいという時もあるし、打ち解けるため、場を和ませるためには、タメ口の方が必要なときもある。

年下の相手であっても、敬語で接した方がいいことももちろんある。

そもそも、敬語かタメ口かという二択ではなくて、同じ言葉でも、どういう話し方をするかで、全く受け取られ方が違う。

一人一人、あらゆることを考慮に入れながら、相手に対して最適な言葉を使う。
一つだけの正解があるわけではない。

これは本当に、相手のことをよく考え、もちろん、自分のことを良く知っていないと出来ないことだ。

そういったことを考えずに敬語一本で突っ張り通すのと、どちらが素晴らしいことなのか、疑問の余地はないだろう。

何を言いたいのかと言うと、死んだ後、どんな人間だったと評価されるかは結果論であって、そんなことを考えて生きるのではなく、一つ一つ、一人一人、常に本質を考え全力で向き合うことこそが大切だということだ。

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