ダイアナ妃の亡くなった次の日にロンドンにいました。お店のショーウィンドウには白い花が飾られていました。
未来を見に行く冒険 7
ダイアナ妃の亡くなった次の日にロンドンにいました。
お店のショーウィンドウにはカサブランカが大きな花瓶に活けられて、その脇にモノクロのダイアナ妃の写真が置いてありました。
どの店にもです。
1997年9月にロンドンのヒースロー空港に降り立ちました。ゲートにはガールフレンドが迎えにきているはずです。
入国審査はかなりの人が並んでいましたが、あまり並んでいないところからすぐに出ることができました。
外に出るとガールフレンドはいませんでした。到着時刻は教えておいたがはて、右も左も分からない、仕方がないのでそこで立ち竦んでいました。
「ごめん、もう出られたの?」
「ああ、何も言われずにすぐ出られたよ」
「ロンドンは入国審査が厳しくて2、30分はザラだよ下手をすると1時間、それを見越してゆっくり来たのにな」
確かに並んでいるところは長者の列だった、私は知らずにアッパークラスのところに並んでいたのだろうか。
「あなた職業欄はなんて書いてあったの?」
「プロフェッサーだよ」
「それか」
「えっ」
イギリスは階級意識がはっきりしていてプロフェッサーはアッパーかミドルクラスなので入国審査はフリーパスらしい、さすがイギリス女王陛下の国だね。
ガールフレンドとタクシーで市街へ向かいました、あのロンドンタクシーです。ホテルはピカデリーサーカスに近い小さなファッションホテルを予約してくれていました。
その頃、出始めた都会の小さくておしゃれなホテルです。権威を押し出すイギリスのホテルと対局に位置するホテルでした。
イギリスのトレンドホテルを予約してくれるのは建築家の私に対する配慮でしょう、さすが元社長秘書ありがたいことです。
荷物を置いてガールフレンドと街を歩くと、お店のショーウインドウは白い花で溢れていました。
8月31日に亡くなったダイアナ妃への追悼の意を表したものでした。
ジャーミンストリートにあるどの店もです、路地に入ったどの店にも白い花が飾ってありました。
「ねえ、ダイアナ妃ってこんなに愛されていたの?」
とガールフレンドに聞いた。
彼女はアロマセラピーを学ぶために1年前からロンドンに留学していた、お母さんが義務教育拒否で小さい頃からアメリカンスクールだったので言葉には困らない。
私と知り合って自然系のセラピーに興味を持って学ぶなら本場じゃないとね、と外資系企業の社長秘書をあっさりと辞めて留学した。
思い切りと行動力がアメリカンだよね。
「うん、人気は高いし慕われているみたいだよ」
「日本の報道だと恋多き女というイメージが先行してるけど」
「こちらだとダイアナを幸せにできるのはドッティくらいじゃないとダメで彼なら安心できるとホストマザーが言ってたよ」
だって、
確かにそうだ、現地の捉え方と日本のTVの捉え方は随分乖離しているようだ、日本の報道は大衆ウケや興味本位のフィルターがかかっている、よくないな。
ダイアナの見方がちょっと変わって私の中では、カッコいい女性になった。
私たちは葬儀の日はロンドンは混み合うだろうからとエディンバラへ移動することにしました、キングスクロスからエディンバラまでの列車の旅です。
車窓から見えるイギリスは意外なほど平野で、川の流れが止まってまるで池のようです、なるほどフライフィッシングが盛んになるわけだ。
エディンバラに着くまで山を見ることがありませんでした、日本と同じ島国なのに随分違います。後で知るのですが日本は人が住めるところは国土の10パーセント程度、それに比べてイギリスは60パーセント程あるらしい、なるほど広々とした感じがするわけだ。
エディンバラに着いて駅前のホテルに向かいます。周りは古いゴシック建築でまるで中世の世界に来たようです。
古い建物の中に近代建築がバランスよく入っているロンドンとは違って頑固な威厳を醸し出す街でした、さすがイギリスを牛耳る王室の街という感じでしょうか。
入ったホテルも古いゴシック建築でした、天井も高くイギリスらしい装飾がしてあり少し威圧される感じです。明治以降日本はイギリスを手本に建築を含め多くのものを取り入れたり、真似したりしてきましたが本家は流石でした、本物の威厳がありスケール感が違うのです。
何故、明治政府は長く続いた日本文化を否定して真似ばかりしたのでしょうか、所詮偽物にしかならないのに、まるで日本はイギリスの属国のようです。
次の日、私たちはエレンタカーでハイランドを超えてネス湖へ向かいました。市街地を抜けて山岳道路を走ります、道路は舗装されていて道幅もあり、ゆるい丘陵を気持ちよく走れます、周りの景色も素晴らしく運転好きにはたまりません。
ですがこの1時間あまり、すれ違う車もなければ後ろからくる車もなく、ずーっと私たちだけです。もちろんお店もなけれえば、町もありません。家も見なければ人もいません、数頭の羊と羊飼いを1人見ただけでした。
イギリスってこんなに広いのかと少し驚くのと、日本とずいぶん違う景色を楽しみましたが、ふと燃料計を見ると半分くらいのところに針はありました。
えっ、大丈夫だろうか、街を離れてからガソリンスタンドなど見たことがありません。日本のように10キロも走ればどこでもガソリンスタンドがある環境ではないようです。
まだiPhoneも存在していない頃です、GPSで検索することもできません。レンタカーに積まれているマップを頼るも、出発したところから辿るもずーっと山道で現在地が確定できない、なんてことでしょう。
こんなところでガス欠したらと不安になります、なおかつ携帯は圏外、当たり前か。もう助けは呼べない、どうしましょう。
「ねえ、どこまで行ってもきれいね、まるでイギリスの昔話の中にいるみたい」
「確かに、100年くらい昔にタイムトリツプしたみたいだね」
「あなたと二人でタイムトリップか、すてきすぎる、あーっ愛してる、って言っちゃう。ホントよ」
「えっ」
今更不安になっても遅いのでガールフレンドと楽しくゆくことにしました。彼女となら遭難してもいいか、楽しいかもしれないと思えてきました、ホントに。
燃料計の針はさらに下の方に下がった時に、丘の下に一軒だけ家がポツンと現れました。ちょっとホッとして丘を下ったら、どうやら一軒丸ごとセーター屋さんのようでした。
「何十キロも走って山の中にセーター屋さん、おかしくないか?まだ夏だし」
「なんで、きっとすてきなセーターがあるよー、行こう」
「こんなところで、悪党の住処だっったらどうするんだよ」
「今どき悪党なんていないわよ」
ガールフレンドはどんどんセーター屋に向かって歩いて行きました。危機管理能力ゼロだな、まったくと追いかけます。
中に入ると膨大な量のセーターが積まれていて、デザインもサイズも様々に山積み状態、確かにセーター屋に違いありません。
「この周辺の村々で秋から冬にかけて編まれたセーターが集まってくるんだって、ちょうどここが村々の中心なので、この建物を作って売ってるそうだよ。みんな村まで同じ距離らしい、平等だね」
だからこんなところにポツンとあるのか、村までの距離が同じことが第一で、今時のマーケティングもへったくれもないのだ。1枚か2枚多く売れるよりも、みんなが同じ距離で来れることの方が重要なのだ。なんだか、かえって清々しい気がしてくる。
「あと30キロも走ると村があるんだって、その手前にガソリンスタンドもあるそうよ、安心した?これ買って」
ガールフレンドは極太ニットの靴下を左右の手に持って振っていた。
「えっ、それだけでいいの?」
と思ったら肘から下げたカゴにステキなセーターが入っていました。
先が見えると不安がなくなる、景色を楽しみながら教えてもらった村へ向かいました。
ハイランドの丘陵を降りてゆくと平坦な道になり、しばらく走ると道沿いに3メートルほどの城壁が現れ、反対側にガソリンスタンドが見えたので車を止めました。
「この城壁の向こうに村があるんだって、ステキな村らしいよ」
「城壁の向こうが村なんだ」
「昔は侵略者やオオカミから村を守るために城壁を作ったんだって」
なるほど、今時侵略者はいないだろうがオオカミはいるかもしれない、危なかった、山の中でガス欠になったらオオカミの餌食になっていたところだ。異国に来たら日本のように安全だと考えちゃいけないな。
城壁の入り口の反対側にパーキングと公園があって、そこに車を停めて城壁の中に入って行きます、昔のような扉は無く広く開かれています。
中に入るとタイムトラベルの始まりです、教会もホテルも町並みも中世のようです。
広場を中心にしてホテルと教会、ビジターセンターだけが近代建築で一つずつありました。お店も衣料品店と八百屋とパン屋さんと酒屋さんが広場に面して一つづつありました。
何もかも一つづつです。
それも古くからの建物で今風に改装したり、他と差をつけたりしていません。古いけれどいい味になっていて、きれいに掃除されていて、わかりやすい看板が出ています。
今はこれがトレンドといってオシャレでカッコいいお店に4年ごとに改装したり、他より目立つ看板にして集客力を上げるんだ、などのマーケティングなど微塵もなさそうです。
城壁の中は直径1キロもないくらいの小さな村です、ここはゆったりとしたリズムが流れています。競争などなさそうです、農業と羊と国立公園の観光がこの村の産業のようで、それで十分なのでしょう。
広場に面したビジターセンターが観光案内所にもなっています、そこで今日のお宿を決めるのですが当たり前のように目の前のホテルになりました。一軒しかありませんからね、でも星が五つついているホテルでした。
夕食はホテルのレストランです、時間が来たので軽いドレスコードで向かいます。200年前の建物のレストランは暗く案内されたテーブルについて目が慣れるのにしばらくかかりました。
周りを見渡すと200年前にタイムトリップしていました。男性は赤いタータンチェックのスカートを履いてネクタイをして髭をはやしています。スコットランドの民族衣装キルトです、女性もドレス姿で食事を楽しんでみえます。
30人ほどみえたでしょうか、もちろん日本人は私たちだけです。
「200年前にタイムトリップしたみたいね、空間も食事している人たちもステキすぎる」
「本当にすごいね、こんな空間に巡り合えるとは思わなかった」
「200年前もきっと私たちはここにいたのよ、ステキね」
「かもしれないね」
「ねえ、後で200年分愛してね」
「えっ」
ガールフレンドといると不思議なことばかり起きる、それもステキなことばかりだ。200年前も500年前も一緒に冒険をしていたのかもしれない。
この小さな城壁で囲まれた村は、教会とホテルとそれぞれのお店がひとつづつあり、国定公園を中心とした観光業があり、誰もにひとつづつ仕事があり、フラットな権利を持っている、理想的な地方創生の原型になるかもしれない、と考える建築家でした。
ロンドンへ戻ったのはダイアナ妃の葬儀が行われた次の日、ウェストミンスター寺院は膨大な量の白い花で埋め尽くされていました、門から中に入ることの出来ないくらいに。
ガールフレンドと二人でしばらく佇んでいました。
「ねえ、何か感じた?」
「宗教の時代が終わったとダイアナ妃が言ってる」
「えっ、なにそれ?」
「文字や言葉にしたものは寿命を持つんだって、それが尽きようとしている。宗教がつくった経典や貨幣、経済も終わろうとしているそうだ」
「えっ、すごいじゃん、ダイアナ妃が言ったの」
「さあ、頭に浮かんできたんだ」
時代のプリンセスを殺してしまっては、宗教や貨幣価値は本当に終わるかもしれません、空を見上げるとダイアナ妃が微笑んでいるような青空でした。
その後、ずっと憧れていたJHON LOBBへ行ってお揃いの靴を買いました、ロンドンでお世話になったお礼のつもりで。
「嬉しい、今晩最後だから、たっぷりお返ししないとね」
「えっ」
次の日、ヒースロー空港からピッツバーグ、ブリテッシュコロンビアに寄って日本へ向かいました。
次の年、帰国したガールフレンドはアロマセラピーの小さなスタジオを開いて日本一の花屋さんグループの運営するスクールでアロマセラピーの講座を持ちました。まだアロマセラピーなんて知る人が少ない時代です。
彼女の母親が営む駅ビルの2階にあるジュエリースクールの一角にアロママッサージができるブースを造ってと言われました。
透明のチューブの中に羽毛を詰めて壁にしました、中に入ると羽毛に包まれた空間の中でアロママッサージが受けられる不思議な空間を造ったのです。
親鳥に温められている卵になれる空間かな、日本で初めてのアロマブースになりました。
そこからガールフレンドと未来を見に行く冒険が始まりました。
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