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B線TNS日記45 ギャンブル

某月某日 TNSにて


日々いろいろなことが自分の思い通りにならない。ため息の後に出るのは「うまくいかないなぁ。順調に進まないなぁ。」の言葉。

たとえば育児のこと。子供たちは自分の思い通りには動いてくれないし考えてもくれない。私の「こうしたほうがいいよ。」とか「あとあと困るから、こうしたら?」なんていうアドバイスには耳を傾けるどころか反抗される。

そして私は、彼らが困るのではないか、失敗するのではないかとはらはらと心配をする。こんな心配やじれったさがこの先もずっと続くのだと考えると、人の親であるということは相当にストレスフルなことだなと思う。

そして、「思った通りにいかない。自分の子育ては順調ではない」と感じてしまう。

夫に相談すると、「何を言うてんの?めっちゃ順調やで。」と返される。

子供たちは、元気に成長している。それが順調ということ。

子供が自分の思った通りにならないとか、言うことを聴かないとかは、物事が順調か否か、とはかけ離れた次元の、「人を自分の思い通りにコントロールしたい」という不自然な欲求が叶えられていないというだけのことだと。

素直にその通りだと納得できない私に、夫はこんなたとえ話をした。


私は競馬場の馬券売り場にいる。事前に何誌も買った競馬新聞の予想、オッズ、自分のラッキーナンバーや今日のラッキーカラーなど、持てるすべてのデータを総動員して、私は「順調にいけばこの馬が勝つ」と確信した馬に、なけなしのお金をすべてつぎ込む。

私は自分の買った馬券を握りしめながら自分が賭けた馬が1位になることを祈る。

10数頭の競走馬たちが出走ゲートに並ぶ。ゲートが開き、馬たちは一斉に走り出す。

自分のかけた馬が、途中にあり得ないような減速をし1位どころか最下位争いを始める。私はもうレースを見ることすらできなくなり、目をぎゅっと閉じてしまう。

レースが終わると、その競走馬にかけた自分の期待を裏切られたと嘆き、空に向かって罵りの声を上げ、その興奮が冷めると、あり得ないほど意気消沈する。こんなに思い通りにならない、順調に進まないものに二度と大事な金を賭けるものかと、次のレースを待たずして競馬場からそそくさと逃げ出す。

帰る道すがら、先ほどの大番狂わせの結果に、みな「面白いレースだったな。」とか「あの馬じゃなくて、あっちの馬が獲るなんて予想できなかったよ。」なんて楽しそうに談笑している声が聞こえてくる。


夫は私にこう言った。

自分が賭けた馬が1位になろうが、最下位になろうが、レースは滞りなく完結する。それが順調ということ。

自分の勝ち負けなんて矮小なことには意も介さず、現実は順調に進んでいくのだ。そしてその予想のできない紆余曲折に人は喜んだり、悲しんだりしていくしかない。どうせなら、自分の思い通りならないことも大きな気持ちで受け止めて、楽しんでいけたらいいのだけど。

今のところ、私はその段階に至っていない。性格的にこれからもそういう風には考えられないかもしれない。

そんな私だから、ギャンブルを楽しめない。

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