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カミングアウトについて思うこと

著名な方を中心に、LGBTQなどのセクシャル・マイノリティをカミングアウトすることが「素晴らしい」「勇気ある行動」として報じられることがあります。もちろんそういう面はありますし、それで勇気づけられるひともたくさんいると思います(これはよいこと)。

ただ、気をつけなければならないのは「ひとそれぞれ環境や考えが違うので、みんながみんな不特定多数にカミングアウトすることがいいとは限らないし、必要ってわけでもない」ということ。

なので、よかれと思っても周りのひとが「◯◯さんもカミングアウトしなよ!応援するよ!」などとセクシャル・マイノリティ当事者(以下「当事者」)に迫るなんてことはあってはならないです。したいと思ったひとが、したい相手に、打ち明ければよいと思います

ましてや、「飲み会などで誰かにセクシャリティについてのカミングアウトを迫る・問い詰める」などということはもってのほかです。問われたひとが異性愛者だった場合や、オープンにしている当事者、また当事者でも“嘘で誤魔化す”ことができるひとであったならダメージは少ないかもしれませんが(嘘をつかなきゃいけないのもどうかと思うけれど)、「場の雰囲気で」、「先輩から迫られて断れず」、「嘘はつきたくない」などの理由から、望まぬタイミングで、望まぬひと達に対して強制的にカミングアウトさせられることは、パワハラでありセクハラです。たとえその場で周りのひとがみんな肯定的であったとしても。

多くの当事者はカミングアウトする際、悩みに悩んで、相当な勇気を持って、準備をして、信頼できる限られたひとに、打ち明けると思います。それも個人的に話すことが多いでしょう。誰にも話さない(話せない)ひともいるかもしれません。ものすごく繊細な問題です。特に若いころは(僕もかつては若かった)。

一方で、「カミングアウトされても理解できないひとだっている」ということもわかっておかなければなりません。そして、理解できないからといってそのことは悪ではないし、そのひとが責められてはならない。理解につながらない教育を受けたり、情報が少ない中で育ったりしたひとも多いし、さらに「頭で理解できたとしても受け入れられないひと」もいます。そもそも、ひとの考えは自由です。
もちろん、それで誰かを傷つけたり制限したりしてもいいってことにはならないけれど。
「理解」については今後の教育や社会、制度の変化などで、きっと変わっていくと思います(変わってほしい)。

それから、たまに「当事者からカミングアウトされたらどうすればいいか」という話があるけれど、「こうすればいい」という万能な答えはないです。みんな違うから。
抽象的になってしまいますが、「“多くのひとには打ち明けていない大切なこと”を誰かから打ち明けられたとき、あなたはどうするか」というふうに想像するのがいいかもしれません。

ちなみに僕は、「僕に話してくれたことが嬉しい」「話してくれてありがとう」と思うし、「そのことを僕も大切にしたい」と思います。
それから「それはあなたを構成するひとつの要素であって、全てではない」とも思います。

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