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【旅行記】落し物 #ニューヨーク

これまで一人旅で訪れた国での出来事をあれこれ綴るエッセイ。ちなみに英語はまともに話せません。ニューヨーク編⑤です。


 大晦日にスモールズというジャズクラブへ行った。前夜のヴィレッジ・ヴァンガードがあまりにも居心地の良い空間だったため、再びジャズクラブの心地良さを体感したくなったのだ。
 スモールズもヴィレッジにあるジャズクラブ。その中でも比較的若い店。小さな扉の上に〈smalls〉の文字とトランペットが飾られていた。店先のベンチに座っているおじさんにお金を払い、階段を下りて中へ入る。隠れ家に入るような気分で心が弾んだ。
 スモールズは事前に予約はできないそうだが、その分気軽に立ち寄ることができるのである。

 開演時間に少し遅れて到着したため、演奏は既に始まっていた。この日はデヴィッド・キコスキーというピアニストのソロ演奏。床に並べられた椅子とバーカウンターがあり、好きなところを選んで良さそう。空いていたバーカウンターに座りビールを注文した。
 スモールズも気取った様子はなく居心地の良い空間。名前の通り店内も小さい。心なしか天井も低い。大晦日のため〈HAPPY☆NEW☆YEAR〉と手作りのカラフルな装飾がステージに吊るされていた。タイムズスクエアではきっとお祭り騒ぎ。一方スモールズではしっとりとピアノの演奏に酔いしれ、この空間を楽しむ。そして僕はそのままホテルに戻り、年越しを待たずにひっそりと眠る予定であった。新年の迎え方は人それぞれだ。

 終演後、浮かれ気分でスモールズを後にした。地下鉄に乗ってホテルへ戻り、財布に入れていたカードキーを取り出そうと鞄の中に手を入れた。むむむ。財布が見当たらない。まさかそんなことはないだろうと思いつつ、一瞬笑ってしまった。しかし鞄の中をどれだけ探してもやはり財布は見当たらない。まずい!財布にはクレジットカードや必要のない免許証まで入れたままだった。一年の終わりにまさかの非常事態発生。

 急いで再びスモールズへ向かった。地下鉄で電車を待っている時、ふとスマートフォンを見ると、いつもは繋がらない地下鉄のWi-Fi(おそらく有料)がこの時ばかりは何故だか繋がった。日本ではすでに年が明けていたため、友人から〈あけましておめでとう〉のメッセージがなんとも絶妙なタイミングで届く。しかし全くめでたくない年越しを迎えようとしている今、そんな呑気なメッセージに構っている余裕もなく放置。不安と焦りばかりが募った。

「あれ、また来たの?」 
 僕のことを覚えていたらしい。スモールズに着き、店の前にいるおじさんに理由を話す。ピンチの時には自然と英語が出てくる不思議。人間の能力恐るべし。
「急いで入りな!」
 中に案内されて、財布を探し始めた。おじさんが一緒にかがんで床を一生懸命探してくれている。その姿を見た途端、非常に感激してしまい泣きそうになった。その気持ちだけが嬉しくて、もう財布は出てこなくてもいいと一瞬思ってしまったが、それではやはり困るので探す。すると驚いたことに、財布は親切な人が拾ってくれていたようで、中身もそのままバーテンダーの女性が預かってくれていた。まさか出てくるとは。
 サンキューベリーマッチ!
 …しまった。安心したと同時に、思わず大きな声で静かな演奏中にもかかわらず叫んでしまった。当然みんなに振り向かれ赤面。ははははは。しばらくスモールズには来られないな。あぁ、いい思い出になった…。
 それにしても、ニューヨークで財布を落とした衝撃が大き過ぎて(さらに、出てきた驚き!)、演奏の記憶があまりない。居心地の良い空間だったのは確かだが。

 ホテルへの帰り道は少し遠いけれど、地下鉄には乗らず歩くことにした。一人で勝手に引き起こした財布紛失事件によって、ニューヨークという場所がより好きになった。これから新年を迎える街中が浮かれていただけなのかもしれなが、街並みがより輝いて感じられた。

 翌朝、寝不足も限界で、頭がぼやっとしていた。そう、時差と初めての海外一人旅の不安な気持ちからか、寝付けない夜が続いていた(着いた日は寝すぎなほど寝てしまい、アラームの必要性を学んだ)。
 朝食を食べるためにホテル近くにあるカフェへ。
「Happy new year」
 扉を開けた時の男性店員の一言で、元旦だったことを思い出す。
 客がまばらな店内でおせちではなくパンケーキを食べながら、元旦らしくない元旦を初めて過ごしていたように思う。コーヒーのお代わりを持って来た店員に、客の男性が〈Yes please〉と返答。僕も透かさず真似て〈Yes please〉と返答。ちゃんとコーヒーを注いでくれた。案外簡単だな。たったこれだけでのやりとりで、すっかり旅慣れた日本人を気取ってみるのだった。
「Happy new year」
 会計をレジで済ませて帰る時、先ほどの男性店員が改めて目を見て非常に丁寧に言ってくれた。たったその一言で疲れなんて吹っ飛んでしまった。
〈今年はあなたにとって本当に素敵な一年になりますように〉
 そう微笑んでくれた気がしたのだ。

 人は自分の気持ち次第でいくらだって感じられる温度は変わっていく。ニューヨークで強く感じたことである。日常生活においてもきっとそうなのだと思う。ただ日々を繰り返していると自分が置かれている立場に疑問を抱き始め、全てが平坦に見えてくる。僕自身がそうだった。いつまで同じ場所に居座るのかずっと考えていた。そんな時一歩海外へ踏み出してみることで、日常生活の延長線上に旅という楽しみを見つけられた。今いる場所からもっと先の方まで知りたい。そんな気分。
 また人との出会いの中で、ささやかな事に対して幸せを感じるようになった。人の優しさ。日差しの暖かさ。食事ができるありがたみ(だから今日も美味しくごはんを食べる)。世の中が回っていることにひとつも当たり前はない。人や自然が常に周囲には溢れ、日常が日常として成り立っている。当たり前に感じることを当たり前と思わずに、いつも考えていたい。自分の置かれている立場について。その上で違うと思ったことは変えていけば良い。時に身を委ねるのも良い。今後どう歩んでいくか選ぶのはいつだって自分自身でしかないのだから。

 ニューヨークでのちょっとした出会いによって感じた人の温かみが一人旅の原動力になっている。どの国も気さくに接してくれる人たちばかりだけれど、改めて振り返ってみるとニューヨークが最も出会いの溢れた場所だった気がする。
 大都会でありながらも、人間味の感じられる街、ニューヨークであった。

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