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これまで出会ってきた音楽たち 〜私の音楽履歴書(その1)〜

このマガジン「No music, No life」では、色々な音楽ネタについて書いていきますが、まずはじめに、私がこれまで出会い、触れてきた音楽にはどんなものがあったのかということを"音楽履歴書"という形で時系列的に書いてみたいと思います。

とは言え、もうすでに50年以上も生きてきたのでそれなりに長くなってしまいそうですが、一度こんな形でまとめてみたかったというのもあるので、おつきあいいただけたら嬉しいです。

恐らく、このマガジンで今後記事を書き連ねていく上では、ここに書かれた事項から拾っていくことになるはずで、ある意味インデックス的な役割を果たすものとなるかと思います。これから新しい記事を書く度に、該当箇所にリンクをつけていこうかと考えています。

では早速、私のMusic Lifeを遡って辿って行きたいと思います。

※実際に書いてみると長くなってしまったので、今回は最初の2項目のみとして、残りは次回以降で書かせていただきます。予めご了承ください。

クラシックから歌謡ベスト10、そしてニューミュージックへ  〜幼少期から小学校まで〜

幼少期はとてもおとなしくて、幼稚園では一言も話さないような子供でしたが、唯一、歌だけは大きな声で歌っていました。私が物心ついて初めて「あ〜、これいい曲だな〜」と思ったのは、卒園式でよく歌われる「思い出のアルバム」という曲でした。今聴いてもいい曲ですね。

このというカテゴリーは、今後の人生を通じて常に傍らにある存在となっていきます。

またその頃、叔母がピアノ教師だったことからピアノを習い始めるものの、こちらは練習が続かず一年足らずで挫折。今でもピアノを聴くのは大好きですが、残念ながら全く弾けません。これだけは、あの時もう少し頑張っておけば良かったかなと思わなくもありません。

そして小学校の低学年から中学年頃には、母がクラシック好きということもあり、子供向けの分かりやすいクラシックの小品を集めたレコードを買ってもらってよく聴いてしました。要は小学校の音楽鑑賞の時間に聴くような有名かつ短めな曲です。なので、学校に本物のオーケストラが出張演奏に来て、スッペの「軽騎兵序曲」などを生で聴いた時は、子供心にかなり感動しました。

また、TVではNHKの「名曲アルバム」や、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートなどもよく聴いていました。ということでこのクラシックというジャンルも、私の人生でこの後何度かフィーチャーされてくることになります。

その後、小学校高学年になると友達の影響もあり、歌謡曲、特にベストテン番組に夢中になっていきます。TVだけでなく、AMやFMのラジオのベストテン番組なども聴き、ラジカセでお気に入りの曲を録音し始めたのもこの頃からでした。

そのうち、ベストテン番組でも流れていた、アリスやオフコースなどといった、自分達で曲を作り、バンドで演奏するスタイルのグループがヒットを飛ばすようになり、いつしかそれらのグループや、以前はフォークと言われていたジャンルのシンガーソングライター達の音楽は、「ニューミュージック」と呼ばれるようになり、私はその人達の歌を聴くようになってきました。

ちなみに、私が初めて自分のお小遣いでレコードを買ったのもこの頃で、そのアルバムは「アリス武道館ライブ 栄光への脱出」でした。今思えば、小学生が買うにしてはかなり渋いチョイスでしたね(笑)

こうして、親の影響から離れて少しずつ自分の好きな音楽を見つけていきました。そしてここからいよいよ、がっつり、どっぷりと音楽に浸っていく中学、高校時代がやって来るのでした。

ビリー・ジョエルから80年代洋楽にどっぷりハマる 〜中学校時代〜

中学に入ると、英語を勉強し始めるからか、徐々に英語の曲を聴くようになっていきました。たまたま、FMで聴いていた歌謡曲のベストテン番組の後に、ポップスのベストテン番組があったので、流れでそちらも聴くようになり、歌謡曲とは全く違う雰囲気の洋楽に、少しずつ親しんでいきました。

そこで出会ったのがビリージョエルでした。初めて聴いた曲はそのポップスベスト10でかかっていた「マイ・ライフ」。その後、忘れもしない中1の冬、近所のレコード屋さんでかかった「ニューヨーク52番街」というアルバムに強く魅了され、そこから思いっ切り洋楽にハマっていったのでした。ちなみに初めて行ったコンサートもビリージョエルでした。中3の春に、部活をサボってなけなしの8千円を握りしめ、ひとり武道館で当日券に並んだのでした。コンサート中、仄暗い観客席で、一曲歌われるごとにメモ帳に曲名を書き留めていた時のことは、今でもはっきりと覚えています。

それからは、アメリカの音楽チャートでヒットしていた曲を中心にひたすら聴いていました。ビリージョエル以外では、イーグルス、トト、ジャーニー、スティクス、REOスピードワゴンなどのアメリカで活躍するバンドや、JDサウザー、カーラ・ボノフなどのいわゆる西海岸(ウェストコースト)のシンガーソングライター達の曲を好んで聴いていました。

ちょうどその頃、TVでは「ベストヒットUSA」という番組が始まり、MCの小林克也さんが最新の全米ヒット曲をカッコよく紹介していました。またラジオでよく聴いていたのは、FENという駐留米軍のラジオ放送で流れていた「アメリカントップ40」という番組。土曜日の午後、FM雑誌に載っていた全米ヒットチャートを片手に、曲名とアーティスト名だけはなんとか聴き取りながら、ヒット曲の数々を夢中になって聴いていました。当時はこれらの番組を聴いている時間が、私にとって最も至福の時間でした。そしていつの間にか、今まで聴いていた日本の歌謡曲やニューミュージックなどの曲は、全く聴かなくなっていました。

こうして、中学から高校にかけて洋楽をよく聴いていたことから、この頃にヒットしていた洋楽の曲にはやたらと詳しくなっていました。特に80年代前半の曲にはめっぽう強く、85年に発表されたあの有名な「ウィ・アー・ザ・ワールド」でソロを歌い回した歌手達の名前は全員分かりましたし、今でも、近所のスーパーでBGMとしてかかる80年代洋楽のほぼ8〜9割は、曲名と歌手名がすらすら出てくるほどです。

↑ちなみに、この曲の12インチシングル盤(LPレコードサイズ)は、今でも大切に保管しています。あと、ダイアナロスが着ている白いスウェットシャツも、レプリカですが通販で買って持ってます!

まさかあの頃は、当時の洋楽が後に80's(エイティーズ)というカテゴリーとなって、今でも流れ続けているなんて想像もできませんでした。でも多感な中学生時代に、メロディやハーモニーがキレイで、いい歌が沢山あった80年代洋楽をそれこそ浴びるように聴いた日々が、今の私を培っていってくれたように思います。

さて、ここまでつらつらと書いてきましたが、やはりかなり長くなってしまいそうなので、ひとまず今回はここまでとして、全体で3回ぐらいに分けてお届けしていこうと思います。

今後の見出しタイトルとキーワードをこの下に書いておきますので、何か興味が持てそうなものがありましたら、また読みに来てもらえると嬉しいです。

ひとまず、ありがとうございました。

↓以下、次回以降に予定している内容です。

古典ギターとカシオペアでアンサンブルに出会い、佐野元春に熱くなる 〜高校時代〜

クラシックギター、バロック音楽、アンサンブル、フュージョン、カシオペア、佐野元春など

カラオケ、アカペラそしてテープ編集に凝る 〜浪人・大学生時代〜

スターダストレビュー、アカペラ、カラオケ、波の数だけ抱きしめて、ビーチボーイズ、オリジナルテープ編集など

歌からインスト、そしてまたアコースティックへの回帰 〜社会人・結婚・子育て期〜

シングライクトーキング、ミスチル、ザ・ブーム、ゴスペラーズ、山崎まさよし、パーカッション、ジャンベ、STOMP、glee、ペンタトニックス、ゴスペル 、アカペラグループ結成、マスコーラスグループ参加、海街diary、押尾コータロー、ケリー・ヨストなど

そして今、YouTubeで音楽を聴き、ちっとも上達しないウクレレを弾く

ハモネプ、アカペラ動画、sinfonia、PLUS unison、ウクレレ、弾き語り、ミュートピアノ、かてぃん、haruka nakamuraなど

結婚したとき、実家から選び抜いて持ってきたレコードはすべて洋楽でした🎵

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