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99.9%は仮説 (竹内 薫)

はじめに仮説ありき

 副題は、「思いこみで判断しないための考え方」、数年前にかなり売れた本です。

 この本では、繰り返し繰り返し、

「世の中には『確定』したものはない、ほとんどが『仮説』に過ぎない」ということを理解したうえで、「自ら考え、人と接するようにすべきだ」

と説いています。

(p74より引用) 世界の見え方自体が、あなたの頭のなかにある仮説によって決まっているわけなのです。
 ・・・事実はすべて、実は仮説のうえに成り立っているんですね。
「裸の事実」などないのです。
 ということは、データを集める場合も、やっぱりその仮説-最初に決めた枠組みがあって、その枠組みのなかでデータを解釈するわけです。
 つまり、「はじめに仮説ありき」ということです。

 通常、ものごとを理解する場合、人は自分の「世界観」をベースに考えます。「世界観」とは、それまでの経験やそれまでに獲得した知識、さらにはそれらを基礎として培われた価値観等の総体です。
 したがって、それは、人により、時代により、場所により異なります。

(p109より引用) われわれは現在、ガリレオのことを偉人としてとらえていますよね。でも、ガリレオが生きていた当時は、彼は偉人でもなんでもなく、ただの変人、狂人だったわけですよ(もちろん、ガリレオを高く評価していた人がいたにしても・・・)。・・・
 つまり、時代と場所によって「正しいこと」は変わるのです。

 このことが、「99.9%は仮説」というタイトルに込めた竹内氏のメッセージです。

 さて、残りの0.1%は、動かしようのない事実・真実ということになります。
 この部分は、デカルトの、「すべての知識を疑ったあげく、疑っている自己の存在は疑えぬ」という例の「われ思う、ゆえにわれあり(cogito ergo sum.:コギト・エルゴ・スム)」に通じるところがあるように思います。

相対化

 「仮説」であるということは、「万人における真実ではない」ということです。仮説の前提に妥当するある人のある見方からすると「真実」に見えるが、他の見方が存在するかもしれないという状態です。

 この場合、Aという仮説に対して、Bという反対仮説が想定されます。こういう状態では、人はついついAとBのどちらの仮説が正しいのかと考えてしまいます。

 他方、「相対化」は「双方を正しいと認める考え方」です。

(p188より引用) 複数主義ともいいますが、ようは、全体を統一する絶対的な唯一の仮説がないという意味で、仮説と仮説が常に共存しているのです。
 どっちが正しいかではなく、両方とも正しいというのが、相対性理論の根っこの考え方なんです。絶対的な基準がなくて、状況に応じた相対的基準しか存在しないのです。

 Aの世界観でみるとAが正しく、Bの世界観で見るとBが正しい、AとBの世界観は、どちらが正しいというものではないということです。

 こういう理解の仕方は、人と人とのコミュニケーションにおいても参考になります。

(p226より引用) 話が通じないのは、自分の仮説が相手に通じていないということです。また、相手の仮説を自分が理解していないということでもあるのです。・・・
 お互いの拠って立つところの仮説に気づくことにより、相手の心積もりもそれなりに理解できようというものです。それが現実の世の中でしょう。・・・
 自分の仮説を絶対視せず、他人の仮説をも理解しようとする柔軟な態度にほかなりません。それは、価値観の相対化といっていいでしょう。
 世の中を相対化してみると、それまで自分が採用してきた(頑なな)仮説のもとではまったくみえていなかったことがみえてくることがあります。

 これは、いわば「視座の相対化」とも言えます。

 「価値観の相対化」を当たり前のことと理解するためには、仮説を仮説としてきちんと教える態度が必要になります。

(p175より引用) わかっていないことについては、わかっていないとちゃんと教えるべきなんです。その線引きを曖昧にしてはいけません。・・・
 100パーセントわかってはいないのに、100パーセントわかったかのように強制的にみんなに教えてしまうと、だれもが先入観としてもってしまって、疑問に思う人がいなくなってしまいますよね。

 わかったことだとの「思い込み」は思考を停止させます。
 仮説であるからこそ、さらなる探究心が生まれるのです。


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