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フェイスブック 若き天才の野望 (デビッド・カークパトリック)

(注:本稿は2011年に初投稿したものの再録です)

 遅まきながら読んでみました。ちょっと前に映画化もされ大いに話題になったfacebookの創設者マーク・ザッカーバーグを取り上げたノンフィクションです。

 内容は、しっかりした取材に裏打ちされているようで、著者が紹介する数々のエピソードも想像していたよりずっと充実していました。

 まず始め、著者はfacebook誕生の瞬間をこう綴っています。

(p29より引用) ハーバードの学生向けのこの新しいサービスは、フレンドスターのようなデートサイトではなかった。ザ・フェイスブックは同級生を追って彼らの最新の動静を知るという非常に基本的なコミュニケーションのためのツールを目指した。・・・
 2004年2月4日水曜日の午後、ザッカーバーグは借りたサーバーへのリンクをクリックした。ザ・フェイスブックが誕生した瞬間だった。

 私自身、最近(注:2011年当時)はほぼ毎日facebookにアクセスしています。登録した当初は馴染めなかった機能も、今では当たり前のものとして受け入れるようになっています。
 最初、ちょっと面食らった機能は「ニュースフィード」でした。この「ニュースフィード」がfacebookに登場したのは2006年9月5日のことです。

(p281より引用) ニュースフィードはフェイスブックにとって単なる変化以上のものだった。それは、人と人との間で交換される方法に、重要な変化が訪れる前兆だった。それは、コミュニケーションの「普通の」方法を逆さまにした。今まで自分に関する情報を誰かに伝えたい時には、自らプロセスを始める、すなわち電話をかけたり、手紙やメールを送ったり・・・するなど、相手に何かを「送る」必要があった。
 ところが、ニュースフィードはこのプロセスを逆転させた。誰かに自分に関する通知を送る代わりに、フェイスブックで自分について何かを書くだけで、その情報に興味を持ちそうな友だち宛にフェイスブックが送ってくれる。・・・
 フェイスブックがつくったのは、実質的に友人の情報を「定期購読」する手段だった。

 自分のコメントや行動が自動的にオープンになるというのは如何なものか・・・。

(p283より引用) ある人にとってのオープン性は、別の人にとっての侵入行為だった。

 おそらくこういった機能を受け入れるか否かがfacebookのファンになるかどうかのひとつのメルクマールになるように思います。

 さて、最後に本書の中で紹介されている興味深いやりとりをひとつ。
 2009年1月にダボスで開催された世界経済フォーラム期間中、あるレストランでザッカーバーグはgoogleのラリー・ページとテーブルを囲みました。

(p463より引用) 「ラリーはフェイスブックを使っているの?」
と彼は尋ねた。
「いや、実は使っていないんだ。」
ページが普段どおりの鼻にかかったかん高い声で答えた。ザッカーバーグががっかりしたように見えた。
「でもなぜ?」
と食い下がる。
私向きにはデザインされていないからね、実際」
とページが答える。

 このときページの頭の中には、すでに「google+」の構想があったのでしょうか。
(google+はあまり普及することなく、早々にクローズしましたね)



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