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組織行動の「まずい!!」学 - どうして失敗が繰り返されるのか (樋口 晴彦)

どうして失敗が繰り返されるのか

 失敗の研究では、失敗学を主宰している畑村洋太郎氏が有名ですが、本書の著者の樋口晴彦氏は、警察大学校警察政策研究センター主任教授として、危機管理分野を担当している現役の実務者の方です。

 本書では、ささいなミスから発生した数多くの重大事故の実例を示しています。

 たとえば、最大の原発事故として有名なチェルノブイリ原発事故の場合。
 その原因は、致命的な構造設計上の欠陥に加えて、それをカバーするオペレーションにも重大な過失が生じやすい穴があったと指摘しています。

(p25より引用) 「規則を守って原発を運転する」のではなく、「規則違反の状態では原発の運転ができない(=オペレータが規則違反をしようとしてもやれない)」ようにハード面をデザインすべきだったのだ。
 その意味で、チェルノブイリ原発事故の原因の一端は、ヒューマン・エラーを誘発しやすく、そのエラーが大事故に結び付きやすいという原発の構造それ自体にあったと考えられるのである。

 さらに、組織・制度等のソフト面もエラー惹起の背景要因でした。

(p26より引用) もともと実験計画そのものが安全規則に違反していた上に、危険な操作をするようにオペレータを追い込んだ周囲の状況が、この事故の重要な背景要因となっている。前述した構造面の問題も併せて考えると、チェルノブイリ原発事故は、まさしく「職場環境によって引き起こされたヒューマン・エラー」と言えるだろう。

 また、多くの知恵を総合して最適解を探るための「三人寄れば文殊の知恵」的考え方にも陥穽があるといいます。
 関係者同士の自己規制による自由な提案・発想の阻害がそのひとつです。

 こういった集団内の「和」を重んじる「集団的意思決定」の弊害は、日本固有の社会風土によるものであるとの考え方に対して、別の説も登場しています。

(p49より引用) 『Groupthink』の著者I.L.ジャニスは、凝集性が高い集団において、集団内の合意を得ようと意識するあまり、意思決定が非合理的な方向に歪められてしまう現象を「グループシンク」と名付けた。この「凝集性が高い」とは、リーダーの魅力や集団内の居心地の良さにより、各メンバーがその集団に強く引き付けられている状態を意味する。・・・
 このグループシンクの兆候としては、
・集団の実力に対する過大評価(=無謬神話の形成)
・集団独自の道徳の押し付け(=世間一般の道徳の軽視)
・外部の意見に対するステレオタイプ的な反応(=組織の閉鎖性)
・主流と異なる意見に対する自己検閲
・満場一致を求めるプレッシャー

などが指摘されている。

 このあたりのグループシンクの悪実態はスペースシャトルチャレンジャー号爆発事件におけるNASA関係者内でも起こっていました。

懲りない失敗

 本書では、JR西日本・三菱重工・日本航空・雪印・関西電力・JCO・NASA等々における数多くのトラブル事例が紹介されています。
 それらの多くは「ほんのちょっとしたこと」が発端で、それが過信と惰性等により積み重ねられてクリティカルなプロセスに致命的な欠陥を生じてさせてしまったもののように思われます。

 以下に、本書で紹介されている危険予知・リスク管理等の観点がら日頃よく言われる指摘を参考までに列挙します。

 まずは、「危険とコストの非合理的な天秤」について。

(p156より引用) 一般に人間とは、「想定される重大な危険」よりも「現実のわずかなコスト」に気を取られてしまう生き物である。・・・
 初動措置に失敗する事情も、基本的にはこれと大同小異である。短期的なコスト計算に注意を奪われ、長期的な利害損得を計算する視点が欠落してしまうのだ。

 この実例としては、六本木ヒルズ回転扉事件や松下電器石油ファンヒーター事件での各企業の対応のまずさをあげています。このあたりは「長期・短期のバランスをとる経営の基本」と軌を一にする指摘です。

 次に、「認知されない情報」について。
 どんな情報も、それが「重要なもの」と気づかれなければ全く意味をなしません。

(p162より引用) どのような情報でも、その価値を最終的に判断するのは人間である。・・・
 誰しも自分が強い関心を持つ分野については、かなり正確に情報を評価することが可能である。それとは逆に、関心がない分野では、知識量や理解力の不足も加味されて、その情報の価値を過小評価する傾向が一般に認められる。

 たとえば、9.11事件以前にもアル・カーイダ等によるテロ事件は続発していましたし、スペースシャトル・コロンビア号の断熱材の剥落も打ち上げ直後から認識されていました。しかしながら、それらの情報は、関係者の中で「重要なもの」として認識されなかったのです。

 最後は、「危機判断における究極の歪曲」です。

(p164より引用) この「関心」と並んで情報を認知する上での障害となる要素が、情報を求める側の「懐具合」である。本来であれば、まず情報をきちんと評価した上で、その対策をどうするかを考えるという順序になる。しかし実際には、その対策のために当該組織が費やせる人員や経費はどの程度かを概算した上で、その範囲内に収まるように情報の評価が逆算されることがある。

 こうなるともう理屈も何もありません、「危機管理」の崩壊です。
 “最終的に重んじるべき価値は何か”についてのしっかりした共通意識と、それに基づく合理的な判断が重要なのですが、それをどうやって根付かせるのか。
 しばしば“企業体質”という言葉で語られる不祥事の再発を見るにつけ、その根本的な解決の困難さを痛感します。


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