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ソロモンの指環―動物行動学入門 (コンラート・ローレンツ)

 著者のコンラート・ローレンツ氏は、動物行動学という学問領域を開拓したオーストリアのノーベル賞受賞学者です。生れて初めてみたものを親だと思うという「刷り込み」理論で有名です。

 本書は、そのローレンツ氏が一般の読者向けに、興味深い動物たちの生態を温かい視線でとらえ紹介したものです。

 私も子どものころ、家族が好きだったということもあり、家ではいろいろな動物を飼っていました。
 秋田犬・柴犬・パグ・四国犬。キエリボウシインコ・ヨウム・九官鳥・ジュウシマツ・ブンチョウ・(夜店で買ったヒヨコ)。キンギョ・フナ・ドジョウ・メダカ・ヒメダカ。アマガエル・トノサマガエル・ツチガエル・ダルマガエル・ウシガエル。クサガメ・ミドリガメ。ヤドカリ。カブトムシ・クワガタムシ・カナブン・ハナムグリ・カミキリムシ・ゲンゴロウ・アメンボ・バッタ類・キリギリス・エンマコオロギ・スズムシ・アゲハチョウ(卵から成虫まで)・アリ・・・。

 しかし、この本を読むと、かわいそうなことをしていたと申し訳なくなります。

(p12より引用) 知能の発達した高等動物の生活を正しく知ろうと思ったら、檻や籠ではだめである。彼らを自由にふるまわせておくことが、なんとしても必要だ。檻の中でサルや大型インコたちがどれほどしょんぼりしていて、心理的にもそこなわれていることか。そしてまったく自由な世界では、その同じ動物がまるで信じられぬほど活発でたのしそうで、興味深い生きものになるのである。

 ローレンツ氏は、深い愛情と素晴らしい観察眼で、身近な鳥や動物の興味深い生態を顕かにしていきます。

 私が特に印象的に感じたのが、「コクマルガラス」の群の中での行動様式でした。
 著者によると、コクマルガラスは群のメンバ一羽一羽を互いに正確に認識しあっているのだそうです。それは「序列」の中で理解されているのです。さらに、この点は、単に「序列がある」という静的な事実にとどまりません。

(p84より引用) 順位の低い二羽が争いだし、その争いがはげしくなると、たちまち、近くでみていた順位の高いコクマルガラスが奮然とこれに割りこんでゆく。けれども干渉にはいった鳥は、争っている二羽のうちの順位の高いほうにたいして激するのがつねである。そこで、割ってはいった順位の高い鳥、とくに群のデスポットは、かならず騎士道の原則にしたがってふるまうことになる。すなわち、どちらかが強いときは、かならず弱い側に立つのである。

 順位に基づく行動が「適切な」調停の役割を果たしているのです。コクマルガラスの「騎士道」とも言うべき行動です。

 本書では、そのほかにも、トゲウオ、ハイイロガン、インコ類、ハムスター、オオカミ系のイヌ、ジャッカル系のイヌ・・・等々、興味深い生物が次々に登場します。どの話をとっても、著者の実際の飼育経験にもとづく具体的観察からの解説なので、リアル感をもって面白く読み進めることができます。

 ローレンツ氏は、「モラルと武器」と名付けた最後の章でとても重要な警鐘を鳴らしています。

 動物も互いに争うことはありますが、その種を絶やすまでの行動には至りません。体の一部(たとえば、牙やくちばし等)が武器になりますが、その行使にあたっては制御する本能をもっているのです。

(p247より引用) 自分の体とは無関係に発達した武器をもつ動物が、たった一ついる。したがってこの動物が生まれつきもっている種特有の行動様式はこの武器の使い方をまるで知らない。武器相応に強力な抑制は用意されていないのだ。

 これはもちろん「人間」のことです。ローレンツ氏はさらに続けます。

(p248より引用) われわれの武器は自然から与えられたものではない。われわれがみずからの手で創りだしたのだ。武器を創りだすことと、責任感、つまり人類をわれわれの創造物で滅亡させぬための抑制を創りだすことと、どちらがより容易なことだろうか?われわれはこの抑制もみずからの手で創りださねばならないのだ。なぜならわれわれの本能にはとうてい信頼しきれないからである。

 本書の前書きには「1949年夏」と記されています。



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