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誰も知らないレオナルド・ダ・ヴィンチ (斎藤 泰弘)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 タイトルに惹かれて手に取った本です。

 誰もが知る「レオナルド・ダ・ヴィンチ」ですが、著者はレオナルドの「手稿(自筆ノート)」の考究により彼の知られざる素顔を推理していきます。

(p248より引用) 彼の科学者としての思想的発展を知るには、執筆年代を唯一の指標として彼の多彩な考察の展開を追うことが絶対に必要である。もしそれを無視して彼の思想を構築しようとする者は、大きく歪んだ遠近法を通して彼の姿を眺めることになるだろう。彼の手稿はその時々の着想や発見を書き留めた雑記帳であって、論考ではないからだ。

 そういった手稿ではありますが、著者が本書で展開しているさまざまな解読と解釈の中から、私が興味を抱いた箇所を覚えとして書き留めておきます。

 まずは、いかにもレオナルドならではの「画家の条件」について。

(p184より引用) 万能の画家になる方法を知っていれば、容易に万物を描くことができる。というのは、あらゆる地上動物は似通った四肢を、つまり似通った筋肉と腱と骨を持っており、解剖書で証明するように、それらは長さや太さ以外には異なるところがないからだ。(パリ手稿G五v)
 そこから、画家になりたい者は「まず最初に科学を学び、次いでその科学から生まれた制作に移れ」(「絵画の書」五四章)という、レオナルドらしい教えになる。

 レオナルドの残した「人体図画」には解剖学の実地の知見が活かされていたのです。ある意味、彼の写実的な絵は「解剖図」でもあるのですね。

 ふたつめは、科学的考察や思考を旨としたレオナルドが「占星術」について口を開こうとしなかった理由について。

(p243より引用) 錬金術は、卑金属を貴金属に変えたいという人間の卑しい欲望のエピソードであるから、批判したとしても許される。だが、それと違って占星術は、君主が重大な政治的決断をする際の拠りどころとする、きわめて重大な占いであった。いつの時代にあっても、未来を予測することは誰にもできない。だから、たとえ科学的根拠がないと知っていても、権力者が自分の運命を賭けて頼る占星術を、家臣たちがうかつに批判することはできなかったのだ。

 これは、正鵠を射たものかはわかりませんが、なかなか面白い著者の推論です。

 さて、本書を読み通しての感想です。

 「手稿(自筆ノート)」という興味深い “材料” からあれこれと多面的なレオナルド像を掘り出しているのですが、私の構想力では、それぞれのエピソードが少々断片的過ぎて、どうにも全体像を組み上げられませんでした。

 何か一冊、レオナルドについての入門書のようなもので一通り勉強してから本書を手に取った方がよかったような気がしましたね。



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