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兵法三十六計の戦略思考―競合を出し抜く不戦必勝の知謀 (カイハン・クリッペンドルフ)

第一法則:陰陽

 「兵法三十六計」の成立時期は不明ですが、古代中国の戦国時代を中心とした故事を基本に、17世紀明末清初の時代にまとめられたものだと言われています。

 本書は、「兵法三十六計」を、経営戦略・戦術の検討にあたっての有益なパターン集として位置づけ、その一つひとつのパターンごとに戦術の解説と具体的事例を示したものです。

 特に興味深いのは、西洋と東洋の思想的差異を、具体的戦術の解説にあたっての基軸としている点です。

(p7より引用) 「兵法三十六計」は、西洋的思考とはまったく異なる道教的思考にもとづく戦術を示すことによって、われわれが暗黙の法則に立ち向かうための、単純で効果的な方法を提供してくれるのである。

 まずは、道教的思考の第一法則:陰陽、すなわち両極性の原則です。
 これは、「物事にはすべて陰と陽の両面が存在する」という考え方です。

(p16より引用) 文化的な背景により、西洋人は成長する過程において、「悪をともなわない善」・・・「弱みをともなわない強み」を追求するという考え方を頭の中に叩き込むようになる。ビジネスの世界でも、われわれは、「損失をともなわない利益」「衰退をともなわない成長」・・・といったものを求めるのである。

 西洋の考え方は「A or B」的です。他方、道教に代表される東洋の考え方は「A⇔B」という往還運動をイメージしています。

(p16より引用) このような西洋的思想の対極には、「悪いことが起きた後には、よいことが起きる」「衰退の後には、成長が訪れる」という「両極性の原則」を根底に置く東洋的思想が存在する。両極性の思考を取り入れている企業は、他の企業が思いつかないような戦略オプションや戦略目標を考案する。

 著者が、本書で「陰陽」の考え方にもとづく戦術として整理している9種を、覚えに記しておきます。

戦術1:欲擒姑縦 競合を完全には打ち負かさず、「共存的な競争」を通じてともに発展する
戦術2:抛磚引玉 「ギブ・アンド・テイク」の考え方を用いて、相手(顧客)との間に相互依存関係を築く
 戦術3:上屋抽梯 相手の逃げ道を断ち、自らに有利な場所で戦う
戦術4:調虎離山 相手が強みをもつ領域の外に相手を誘い出し、その優位性を失わせる
戦術5:遠交近攻 遠い関係にある相手と協調関係を結び、近くにいる敵を攻める
戦術6:借刀殺人 自分以外の第三者に相手を攻撃させる
戦術7:囲魏救趙 自分の仲間(提携先や複数の事業部門等)を利用して、相手を多方面から攻撃する
戦術8:反間計 相手の仲介者にうまく働きかけて、相手が拠り所としている関係を無力化する
戦術9:混水摸魚 商品・サービスを組み合わせたり、切り離したりすることによって、顧客の認識に影響を与える

第二法則:無為

 本書で示された道教的思考の第二法則は「無為」です。
 すなわち、自然の流れに逆らわない、万物は流転するという考え方です。

 西洋では、「力」は、対象に対し直接的に強引なものとして作用します。

(p96より引用) 西洋的思想の根底にあるのは、「万物は硬直的であり、われわれが自ら働きかけない限り、変化することはない」とする考え方である。つまり、何か大きな変化を起こそうとするときには、多大なる労力を要するというのが基本思想として存在する。

 他方、東洋の道教的立場では、力は、対象の性質に応じて無理なく作用させることが是とされます。自然の流れに従い、その流れのなかで活きる戦術を駆使するわけです。

(p96より引用) その一方で、道教の根底にあるのは、「万物は流動的であり、適切な方法で働きかければ、最小限の労力で変化の方向に影響を与えることができる」とする考え方である。道教の教えでは、自身に多大なる労力をともなわない形こそ、われわれは外界の事象に対して効果的に影響力を行使していると言える。

 さて今回も、著者が本書で「無為」の考え方にもとづく戦術として整理している9種を、覚えに記しておきます。

戦術10:釜底抽薪 相手の力の源となっている地点(物資供給ライン等)を攻撃して、その勢いを弱める
戦術11:関門捉賊 直接的な攻撃手段ではなく、間接的な行動を通じて、相手の動きを封じ込める
戦術12:偸梁換柱 相手の拠り所を打ち崩して、統率力を失わせる
戦術13:美人計 相手が欲しているもの、あるいは必要としているものをちらつかせて、相手の行動をコントロールする
戦術14:打草驚蛇 小規模な仮の攻撃を通じて、あらかじめ相手の強みや意図、予想される反応を知る
戦術15:趁火打劫 他社のトラブルを自社の好機と捉えて優位性を築く
戦術16:走為上 現在の力が十分でないときは、いったん退却して力を蓄える
戦術17:順手牽羊 相手の失敗にすかさず付け込み、支配力を築く
戦術18:仮痴不癲 わざと狂気を装って相手を油断させ、成功を収める可能性を高める

 これらのなかで有名なのは「走為上(走ぐるを上と為す)」でしょう。
 著者は、この戦術の適用例として、ジャック・ウェルチの「ナンバーワン・ナンバーツー戦略」を挙げています。事業の撤退は確かに一面では「逃げる」ことですが、「逃げること=失敗」ではありません。それは、「選択と集中」のためのプロセスであり、将来の発展のための「有効な初動」なのです。

第三法則:無常

 本書で示された道教的思考の第三法則は「無常」です。
 すなわち、「絶え間ない変化」を所与の前提とした考え方です。

 変化への対応といっても、多くの人は、自分自身に染み付いた定型的な「メンタルモデル」に基づき行動しがちです。

(p160より引用) 重要なのは、同じメンタル・モデル(精神的枠組み)を何度も繰り返し用いていると、われわれの行動は硬直化し、相手が予測しやすいものとなり、われわれの競争力を弱めてしまうということである。
・・・変化に対して従来とは異なる概念を取り入れれば、われわれ自身も独創的な発想をもち、競合にとってより手強い相手となって、より巧みに競争力を得ることができる。

 著者は、「メンタル・モデル」にも西洋と東洋とで根本的な差異があると指摘しています。

 まずは、西洋的視点です。

(p161より引用) 西洋社会の変化に対するメンタル・モデルの大きな仮定として最初に挙げられるのは、「過去が現在を決める」ということである。西洋人は、変化は因果関係にもとづいて生じると考える。つまり、過去の事象が原因となって、現在の変化を生み出すと考えるのである。・・・
 西洋人の変化に対するメンタル・モデルの二つ目の大きな仮定は、「変化はある静止点と他の静止点を結びつける間で生じる」ということである。この仮定が意味するところは、われわれはこの世界を「静と動」や「無変化と変化」といった、二つのはっきりと異なる状態に分けて捉えているということである。そして、ある静止点と他の静止点の間で生じるものを「変化」と呼んでいるのである。

 他方、道教に代表される東洋的視点の特徴は、以下のとおりです。

(p162より引用) 道教では、人生を静的瞬間と動的瞬間から成り立っていると捉えるのではなく、あらゆる瞬間は絶えず変化していると考える。・・・
 道教の信者は、われわれが見るべきは過去ではなく、現在、すなわち、今、目の前で起きていることであると信じており、西洋的思想とはまったく異なる視点で現在の状況を理解しようとする。これが意味しているのは、われわれは過去の事例から学ぶべきではないということではなく、過去の事例から得られる教訓によって、必ずしも将来が予測できるわけではないということである。

 東洋的視点では、「現在」を思考のスタートにしています。その点、過去から演繹的に考えて「今」を把握する西洋的な思考方法よりも、先を見通す姿勢が強いのです。

(p165より引用) 道教的思想では、どのような敗北や勝利も永久に続くものではない。したがって、「明日の勝利のために今日負ける」という考え方が、より受け入れやすいものとなる。・・・大きな成功を収めている企業は、当初は誤った意思決定を下したように相手に思わせながら、実際のところは、競合が目の前のことに必死になっているそのときに、彼ら自身はすでに次のゲームを行っていたということがわかる。

 最後に、著者が本書で「無常」の考え方にもとづく戦術として整理している9種を、覚えに記しておきます。

戦術19:隔岸観火 何も行動を起こさないことが、最善の選択肢であることもある
戦術20:李代桃僵 ある戦いではあえて負け、別の戦いでより大きな勝利を収める
戦術21:空城計 あえて自分に関する情報(戦略・意図・能力)を見せて、相手の行動に影響を与える
戦術22:以逸待労 競争領域の変化を予測し、新しい競争領域に先回りして先行優位を築く
戦術23:反客為主 最初はあえて弱い立場に立ち、徐々に力を蓄積して、最終的には支配力を得る
戦術24:仮道伐虢 提携関係は一時的なものにすぎないと考えて、あくまで利己的な目的を追求する
戦術25:金蝉脱殻 おとりになるような見せかけの行動をとり、それとは異なる場所で真の行動を起こす
戦術26:苦肉計 最初はあえて自らを弱い立場に置き、相手を油断させてから真の攻撃を仕掛ける
戦術27:借屍還魂 古いアイデアを再び取り入れることで差別化を図り、競争優位を築く

第四法則:上兵無兵

 本書で示された道教的思考の第四法則は「上兵無兵」です。
 すなわち「間接的行動」を活用した戦術です。

(p243より引用) 東洋と西洋のいずれの軍事的アプローチでも、間接的な行動が考慮されてはいるものの、西洋では間接的行動は弱者がとるべきものとして位置づけられているのに対して、東洋では間接的行動こそが戦いにおいて最も重要なものとして捉えられている。・・・競争優位の獲得を目的とする間接的行動は、限られた労力で絶大な効果をもたらしてくれるものである。それは、決して弱者だけが用いるものではなく、市場で支配的な地位を築いている企業こそが得意としているものである。

 間接的な行動は、必ずしも直接的な行動の陰にかくれたものとは限りません。

(p272より引用) 備え周かば則ち意怠る、常に見れば則ち疑わず。陰は陽の内に在り、陽の対に在らず。太陽は太陰なり。
 守りが万全であると思えば、どうしても警戒心が弱くなる。ふだんから見慣れていることには、とかく疑問を感じなくなる。人の意表をつくような奇策は、人目につきにくい秘密の場所にしまわれているわけではなく、人目につきやすいところにこそ隠されているものである。誰にもそれとわかるような所に、しばしば重大な秘密が隠されているのだ。

 具体的に、著者が本書で「上兵無兵」の考え方にもとづく戦術として整理している9種を、覚えに記しておきます。

戦術28:指桑罵槐 自らの行動を通じて隠れたメッセージを送り、相手の行動に影響力を及ぼす
戦術29:声東撃西 見せかけの行動で相手をおびき出し、別の行動で相手を倒す
戦術30:暗渡陳倉 通常とは異なる間接的な手段を用いて、敵の不意を突く
戦術31:瞞天過海 相手の思い込みを利用して、日常的な行動のなかに真の行動を隠す
戦術32:無中生有 ゲームのなかに新しいプレイヤーを導入して、優位に立つ
戦術33:笑裏蔵刀 見た目は友好的な行動をとり、その裏で相手より優位に立つ
戦術34:樹上開花 協調的なネットワークを形成して、より大きな力を行使する
 戦術35:擒賊擒王 相手のリーダーに働きかけて、影響力を行使する
戦術36:連環計 複数の戦術を駆使して、競争優位を持続的なものとする

 「兵法三十六計」は、安直なHow Toではありません。
 36通りの戦術があるわけですから、その中のどの戦術をとるべきか、具体的なケースに応じて選択しなくてはなりません。適用されるパターンは、戦術家がおかれた環境・条件によって様々に異なります。

(p5より引用) 「兵法三十六計」は、読者に対して、「このような方法もある」という選択肢を提示するものであり、「こうしなければならない」という結論を与えるものではない。

 まさに、応用の巧拙が勝敗を分かつことになります。


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