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素晴らしきラジオ体操 (高橋 秀実)

 私が小中学校の頃の運動会・体育祭のプログラムは「ラジオ体操」で始まりました。「ラジオ体操第一~ぃ」、未だにあのピアノのメロディと体の動きは忘れていません。

 書評によると、本書は、たいていの日本人が知っているラジオ体操をテーマにしたエッセイ風の「昭和日本文化論」だと紹介されています。

(p26より引用) ラジオ体操は共振現象なのである。ラジオの音楽、先生の声、そして目の前のラジオ体操人の動き。これらの生み出す波動に共振して、私たちはラジオ体操をしてしまう。・・・
 これはただの健康体操なのだろうか。大体、ラジオ体操は運動としては楽すぎる。それに雨に打たれながらラジオ体操をする様は不健康である。体操というより、むしろ日本人の習俗、教義こそないがまるで「宗教儀式」のようである。

 ラジオ体操の発祥の地はアメリカ。1925年、メトロポリタン生命保険会社が、「生命保険の宣伝」のためにラジオを通じて20分間の「体操」を流したのが始まりです。
 それを当時の逓信省簡易保険局が真似ようとしたのですが、日本放送協会によってその性格が変容したのでした。その理由は「宣伝は放送事業の主旨に反する」というものでした。

(p65より引用) こうしてラジオ体操の元来の目的であった「保険思想の普及、死亡率の低下」は表面上姿を消すことになった。そして新たに掲げられたのが「集団的精神の培養」だった。

 そして、不幸な戦争に突き進む昭和12年。

(p140より引用) 文部省は「国民精神の作興」を目的とした「国民心身鍛錬運動」なるキャンペーンを実施した。その最重点項目に、精神具現が非常にやりやすく、わかりやすい毎朝のラジオ体操を挙げたのであった。

 日本国中の愛国団体が、全国統一組織「ラジオ体操連盟」に参加していきました。
 とはいえ、当時の様子を辿ろうとする著者のインタビューに答える人からは、「御国のためにやっていた」という声は聞こえてきませんでした。「ずっとやっているから」「日課だから」「ラジオ体操は楽しかったから」、ラジオ体操を続けていたというのです。

(p196より引用) 軍国主義と民主主義を呑み込むようにして、ラジオ体操は進化を遂げた。そして人々を「安心の間」へとつりこみながら、共振の渦を再び拡げていったのである。

 さて、本書ですが、書評にあるように「ラジオ体操」をテーマにした「日本人論」「日本文化論」だと位置づけると大いに物足りなさが残ります。あえて硬派的な言い方をすると、高齢者問題を中心とした「都市社会学」のフィールドワークとも言えるかもしません。

 ただ、あれこれの能書きはともかく、取り上げられた「素材」が独創的なだけに、ひとつの薀蓄を語る読み物としてはなかなかユニークで面白いものでした。



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