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日本文化論の系譜 (大久保 喬樹)

日本文化論への案内

 私がこのところ読んでいる本の一つの流れは、大きくは民俗学のジャンルも含めた日本人論です。

 この本は、ちょうどその範疇の「明治から昭和期の代表的著作」を要領よく紹介したものでした。全体は6つの章からなり、それぞれの章で、2・3人の学者・作家等の代表的著作を取り上げ概括しています。

1 明治開国と民族意識のめざめ : 志賀重昂・新渡戸稲造・岡倉天心
2 民俗の発見 : 柳田國男・折口信夫・柳宗悦
3 日本哲学の創造 : 西田幾多郎・和辻哲郎・九鬼周造
4 文人たちの美学 : 谷崎潤一郎・川端康成
5 伝統日本への反逆と新しい日本像の発見 : 坂口安吾・岡本太郎
6 西欧近代社会モデル対伝統日本心性 : 丸山真男・土居健郎

 この本で紹介されている15人のうち、新渡戸稲造氏岡倉天心氏柳田國男氏九鬼周造氏丸山真男氏の5人は、このBlogでも紹介したことがあります。
 が、やはり、概観といえども専門家の紹介は的確です。当然ではありますが、私の理解とは天と地ほどの差があります。
 私の場合、哲学や文化論の専門知識の欠如はもちろんですが、論旨をコンパクトに整理し著述する力もまだまだ勉強しなくてはなりません。反省です。

 たとえば、九鬼周造氏の代表的著作『「いき」の構造』の「意味づけ」「位置づけ」について、著者は、「感性の論理化」というコンセプトで以下のように結論づけています。

(p150より引用) 生の哲学、現象学、実存哲学、哲学的人間学など、20世紀初頭以来の哲学は、さまざまに感性的なもの、具体的なものを論理化、概念化しようと試みていたのであり、『「いき」の構造』は、まさに、その際立った成果のひとつだった。

日本文化発生のダイナミズム

 本書は、私がまだ読んだことのない学者や作家の著作のポイントが、手際よくまとめられていたので、いままで知らなかった多くの興味深い主張に出会いました。
 そのうちのいくつかをご紹介します。

 よく日本人は「独自の文化をもっていない」「外からはいってきたものを真似するのがうまい」と言われます。この点に関しての折口信夫氏の論考です。
 折口信夫(おりくちしのぶ 1887~1953)氏は、大阪府生まれの国文学者・民俗学者ですが、釈迢空(しゃくちょうくう)と号し、歌人としても有名です。
 民俗学の分野では、特に、古代日本人の信仰を探る研究に力を注ぎました。折口氏は、日本文化の源流を沖縄に見出し、「まれびと」論を提唱しました。

(p81より引用) 〈みこともち〉にせよ〈もどき〉にせよ、〈まれびと〉の言葉やふるまいを土地の精霊がまね、くりかえすというこうした神事が日本文化の起源となったことについて、折口は、異郷からやってきた〈まれびと〉の言葉やふるまいが、土地の一般人には理解できない象徴的なものであったために、これを、分かりやすく翻訳する必要から発生したのだと説く。つまり、日本文化の本質を、外からやってくる未知の文化を翻訳し、解釈し、国風化する文化ととらえる見方であり、それを、単なるものまねとして否定視するのではなく、創造、発展的エネルギーのあらわれとして評価するのである。

 この〈まれびと〉の所作を真似るものが〈もどき〉です。
 〈まれびと〉と〈もどき〉との関係が派生して、日本の数々の芸能を生んだと言います。能における「して」と「わき」はそうだろうと思いますが、漫才における「ぼけ」と「つっこみ」もその派生形だとされます。

 また、「本格」に対する「変格」というパターンもあります。「能」に対する「狂言」、「和歌」に対する「連歌」等がその例示です。

 あと、もう一人、私が興味を抱いた論客は、「坂口安吾」氏です。
 坂口安吾(さかぐちあんご 1906~1955)氏は、新潟出身の小説家です。伝統尊重の時流に抵抗してその欺瞞をついた秀逸な評論「日本文化私観」(1942)で有名だそうです。

(p189より引用) タウトが尊重畏敬する伝統などというものは、実は、思いこまれているほど、必然的なものではない。たまたま過去においてそうであっただけで、それが唯一のありかただというわけではない。そうであれば、他の選択肢がでてきて、その方が都合がよければ、伝統などにとらわれることなく、いくらでも新たな方向に転じていけばよい。

 彼の著作は、終戦直後、若者を中心にかなりの読者を惹きつけたということです。


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