見出し画像

李陵・山月記 (中島 敦)

 以前からずっと気になっていて読もう読もうと思っていたのですが、ようやく読んでみました。

 本書に収録されている4編は、いずれも中国の古典に材料をとったものです。高雅な筆致で、言葉を辿っていくだけでも心地よさを感じる文章でした。

 4編の中で、特にテーマとして興味深かったのが「弟子」という短編でした。師たる孔子とその弟子子路の関係を幹とし、旅を続ける師弟たちの姿を子路の目を通して描き出した物語です。

 排斥や迫害・襲撃を受けながらも、自らの役割を果たそうという確固たる意志をもって諸国を巡る不思議な一団。著者の孔子一行に対する好感の情が感じられる一節です。

(p67より引用) それでも尚、講誦を止めず切磋を怠らず、孔子とその弟子達とは倦まずに国々への旅を続けた。・・・決して世を拗ねたのではなく、飽くまで用いられんことを求めている。そして、己等の用いられようとするのは己が為に非ずして天下の為、道の為なのだと本気で-全く呆れたことに本気でそう考えている。乏しくとも常に明るく、苦しくとも望みを捨てない。誠に不思議な一行であった。

 さて、子路です。粗野ではあっても一本気な性格の子路は、まさに孔子を心から私淑しています。

(p41より引用) 子路が頼るのは孔子という人間の厚みだけである。その厚みが、日常の区々たる細行の集積であるとは、子路には考えられない。本があって始めて末が生ずるのだと彼は言う。併しその本を如何にして養うかに就いての実際的な考慮が足りないとて、何時も孔子に叱られるのである。

 子路は、孔子に絶対の真理を見ていました。しかし、とはいいつつも、子路の本性において、如何ともし難く理解できない師の姿もありました。

 義に大小があるのか、大義のために小義を捨てることが、どうしても腹に落ちない子路の実直さを、孔子の言動と対比させて好ましく描いています。

(p76より引用) 身を殺して仁を成すべきことを言いながら、その一方、何処かしら明哲保身を最上智と考える傾向が、時々師の言説の中に感じられる。それがどうしても気になるのだ。

 もうひとつ、孔子の諫言に関する子路の複雑な心境です。

(p83より引用) 無駄とは知りつつも一応は言わねばならぬ己の地位だというのである。・・・
 子路は一寸顔を曇らせた。夫子のした事は、ただ形を完うする為に過ぎなかったのか。形さえ履めば、それが実行に移されないでも平気で済ませる程度の義憤なのか?
 教を受けること四十年に近くして、尚、この溝はどうしようもないのである。

 この子路の思いは、儒家の形式主義的傾向への素直な疑問の発露でもあります。
 そして、この形へのこだわりは子路の本性が決して認めないところです。子路の子路たる所以は真直ぐな感性にあるのだと思うからです。



この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?