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ドラッカー365の金言 (P・F.ドラッカー)

箴言中の箴言

 P・F.ドラッカー氏が亡くなられて以来、是非手元に置いて読んでみようと思っていた本です。

 昨今は、マネジメントスタイルが従来型企業とは全く異なる新たなサイバー系企業が脚光を浴びています。その中で、過去のエクセレントカンパニーに大きな影響を与えてきたドラッカー氏の数々の箴言は、どのような位置づけ・意味づけがなされるのでしょうか?

 やはり、氏の拠って立つ本質的な視点ゆえに、企業像が様変わりしつつある?現代においても、むしろ、そういう変革の潮目である時期であるがこそ、反芻すべき貴重な示唆が数多くあるように思います。

 たとえば、「自由の責任」についてです。

(p49より引用) 自由とは、行なうことと行なわないこと、ある方法で行なうことと他の方法で行なうこと、ある信条をもつことと逆の信条をもつことからの選択である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。

 また、「シェア」については「最大ではなく最適」を目指すべきと言います。

(p223より引用) 市場を支配すると居眠りに襲われる。独占的な地位ともなれば自己満足に陥る。市場を支配すると、内部にイノベーションへの抵抗が生まれる。変化に対応することが難しくなる。・・・
 市場シェアとして狙うべきは、上限ではなく最適である。

 ドラッカー氏お得意のマネジメントの要諦については、次のようにまとめ、

(p346 より引用) マネジメントには基本的な仕事が五つある。
第一に、目標を設定する。・・・
第二に、組織する。・・・
第三に、チームをつくる。・・・
第四に、評価する。・・・
第五に、自らを含めて人材を育成する。

 組織については、以下のような感じです。

(p350 より引用) 組織構造にはいくつかの守るべき原則がある。
第一に、組織は透明でなければならない。・・・
第二に、最終的な決定権をもつ者がいなければならない。
第三に、権限には責任がともなわなければならない。
第四に、誰にとっても上司は一人でなければならない。

 さて、そもそも不可能なことですが、数あるドラッカー氏の箴言のうちで最高のフレーズをひとつあげるとすれば、私にとってはこれです。

(p69より引用) 変化をコントロールする最善の方法は自ら変化をつくりだすことである。
 チェンジ・リーダーとなるためには、変化を脅威ではなくチャンスとして捉えなければならない。・・・
 自ら未来をつくることにはリスクがともなう。しかし、自ら未来をつくろうとしないことのほうがリスクは大きい。成功するとはかぎらない。だが、自ら未来をつくろうとせずに成功することはない。

 本書は、オリジナルではなく、今までの氏の著作からの抜粋の集合体です。もちろん、氏の示唆するところの真髄を理解するには原書にあたるべきであることは言うまでもありません。が、抜粋だけでもやはり十分刺激になります。

今ここにある「未来」

 ドラッカー氏自身も指摘しているように、氏の将来予測が的確なのは、今すでに起こっている未来の兆候を卓越した感性?(高感度アンテナ)で捉えているからです。

(p4より引用) 重要なことは「すでに起こった未来」を確認することである。

 とはいえ、その「確認」は演繹的ではありません。理論的に単線で導かれるものではないのです。

(p14より引用) 理論が実践に先行することはない。理論の役割は、すでに有効性を確認された実体を体系化することにある。

 もちろん現在の中にある変化の芽を捕捉するだけでは十分ではありません。その未来の兆候をどう解釈するか、その意味づけが圧倒的な差になります。
 「未来」を志向する考えは、「能動的」な「先手を打つ」アクションにつながります。
 たとえば、「コスト管理」という側面では、

(p231より引用) コスト管理とは、コスト削減ではなくコスト予防でなければならない。

 コスト管理を、「すでに膨れ上がってしまったコストを削減するためのアクション」と見ると、脅威に対する受動的な対処療法と位置づけられてしましいます。他方、「コスト予防」という将来に対するアクションと意味づければ、脅威ではなく機会として見る事ができます。

 また、陳腐化の危機も、自らの能動的な先取りアクションによって機会と意味づけることもできます。

(p239より引用) 自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。

 上記のようなアクションの実行にあたっては、「プラニング」が必須です。今日からの具体的なアクションの「プラニング」そのものに、「未来を折り込む」ことが求められるのです。

(p342 より引用) プラニングにおいて重要なことは、明日何を行なうかを考えることではない。明日のために今日何を行なうかを考えることである。重要なことは、未来において何が起こるかではない。いかなる未来を今日の思考と行動に折り込むか、どこまで先を見るか、それらのことをいかに今日の意思決定に反映させるかである。

マネジメントの仕事

 ドラッカー氏は、企業経営において「マネジメント」というコンセプトを追求し根付かせた張本人です。
 そのドラッカー氏によると、「マネジメント」には4つのミッションがあると言います。

(p88より引用) マネジメントの仕事ぶりとは、明日に備えて優れた仕事をすることを意味する。
 事業の将来は、四つの分野における、今日のマネジメントの仕事ぶりによって左右される。
 第一に投資である。・・・第二に人事である。・・・第三にイノベーションである。・・・第四に戦略である。・・・

 その中のひとつ、「人事」については、以下のような要諦を示しています。「人の事」を左右するのですから、それぞれの箴言は、心しなくてはなりません。

(p121より引用) 第一に、人事の失敗に責任を負う。自らが任命して、成果をあげられなかった者を責めることは責任逃れである。人事を行なった者が間違ったのである。
第二に、成果をあげられなかった者を再度動かす責任を果たす。・・・
第三に、新しく任命された仕事で成果があげられなくとも辞めさせたりしない。適所でなかったにすぎない。・・・

 特に、第二の要諦は「人事の継続性」をどう実現するかが肝になりますが、人事の担当者が代わらなければ、もとの異動をセットしたその担当者の差配の中でケアすることになります。

 現実のシーンを想像してみましょう。「成果をあげられなかった」という「実績」の人を動かすのですから、新たな受入側の組織も普通はいい顔をしないものです。その中で動かそうというのですから、よほど人事担当が本気で取り組まなければ(そういった異動は)実現しません。
 人事担当者も代わります。そうなるとますますケアすることは難しくなります。システムとして「ケアの継続」を担保する仕掛けをなんとかして整備しておかなくてはなりません。

 ヒューマンリソースマネジメントに関してドラッカー氏は、さらに進んで、「トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる」と言います。

(p11より引用) ネクスト・ソサエティにおける企業の最大の課題は、社会的な正統性の確立、すなわち価値、使命、ビジョンの確立である。他の機能はすべてアウトソーシングできる。

 ただ、表層的なアウトソーシング信仰は極めて危険です。アウトソーシングを進める際には、そのスキーム全体をマネジメントする仕掛けが非常に重要になります。
 アウトソースしたら、あとはアウトソーシング先の自主性に任せて御仕舞いというわけにはいきません。戦略的アウトソーシング成功のためのKSFは、アウトソーシング先の自主・自立性の尊重はもちろんですが、アウトソーシング元との密な連携もやはり重要です。
 実際上は、アウトソーシング先との「価値・使命・ビジョンの共有」だけではコントロールできません。現実的な連携を図るためには、「プロセスベースでのリアルな連動」が不可欠です。
 アウトソーサーをコントロールする「トータルプロセス構成能力」も、今日の企業における強力なコアコンピタンスとなりうるものです。

失敗は成功のもと by ドラッカー

 ドラッカー氏は、マネジメントに対して「イノベーション」を起こすことを求めます。

(p212より引用) イノベーションのためには、七種類の機会を調べなければならない。
 最初の四つは、組織の内部あるいは産業の内部の機会である。第一が予期せぬこと、・・・第二が現実にあるものと、かくあるべきものとのギャップである。第三がニーズである。第四が産業と市場の構造変化である。残りの三つは、組織や産業の外部の機会である。第五が人口の変化である。第六が認識の変化・・・第七が発見による新知識である。

 ドラッカー氏が挙げる第一のイノベーションの機会は、「予期せぬこと」です。
 「予期せぬこと」は、自分たちの想定外の事象です。想定外の事象の発生は、自分たちのもっていたある種の既成概念・先入観が、外部環境とミスマッチを起こした証左となります。ここに、イノベーションにつながる種があるという考えです。

(p214より引用) 予期せぬ失敗の多くは、間違い、物真似、無能の結果である。しかし、緻密に計画し、設計し、実行したものが失敗したときには、失敗そのものが、環境の変化すなわち機会の存在を示すことが多い。
 予期せぬ失敗は、顧客の認識や価値観の変化を示す。

 この顧客の認識や価値観の変化をうまくキャッチすると、新たなマーケットへの気づきにつながります。

(p219より引用) 予期せぬ成功や予期せぬ失敗は、消費者側の認識の変化によるものであることが多い。認識の変化が生じても、事実は変わらない。起こるのは意味の変化である。

 イノベーションの源泉という意味では、従来は個々の産業に密着した技術開発(R&D)機能がありました。多くの企業でその企業内に研究所をもち、その成果を新製品開発に活かしていました。この企業内研究が機能していた時代の技術革新は、ある程度想定内の範囲のものでした。

 しかし、今日では、技術は一つの企業や産業の枠組みに閉じたものではなくなりました。研究開発の成果としての技術は、当初想定した産業ではない分野でも活用されています。

(p243より引用) 技術が産業を越えたために、もはやいかなる産業、企業にも、独自の技術というものがありえなくなった。そして、産業が必要とする知識が、馴染みのない異質の技術から生まれるようになった。こうして伝統ある企業研究所が陳腐化した。

 ここにおいて、企業研究所の位置づけ・意味づけの再定義が求められるのです。
 R&Dにおける「死の谷」や「ダーウィンの海」の議論もこの点に関するものです。

意思決定

 ドラッカー氏の数ある示唆の中で典型的な意思決定といえば、「選択と集中」における「体系的廃棄」の際の意思決定でしょう。

(p7より引用) 集中するための原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。第一級の資源、とくに人の強みという希少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。昨日を捨てなければ明日をつくることはできない。・・・
 あまりにわずかの企業しか昨日を捨てていない。あまりにわずかの企業しか明日のために必要な資源を手にしていない。

 意思決定には「責任」が伴います。ドラッカー氏は、責任を負えない者を意思決定に関与させてはならないと言います。

(p290 より引用) 60代半ばを越えた人たちに適用すべきひとつのルールがある。マネジメント上の責任から解放することである。数年後に問題が起こったとき手を貸せないのであれば、意思決定に関与してはならない。

 この点は、極めて当然のことですが、現実的には結構難しいものです。この点の不徹底がトリガーとなり、真の責任者への追及がおろそかになったり、前世代の責任を不当に負わされる事態になったりして、なおのこと「責任軽視」の実態が助長されるのです。

 意思決定において、もうひとつ重要な点は、「意思決定は行動を伴うものでなくてはならない」という点です。

(p305 より引用) 意思決定とは行動を約束することである。起こるべきことが起こらなければ、意思決定を行なったことにはならない。しかも、ここに一つ当然というべきことがある。ほとんどの場合、行動する役目の者は、意思決定を行なった者ではないということである。
 したがって、誰かの仕事として期限を定めないかぎり、いかなる意思決定もないに等しい。よき意図があっただけに終わる。

 意思決定者=実行者である場合でもそうですが、意思決定者≠実行者である場合は、「実行者」に如何に必要な行動をとらせるかという「もう一つのプロセス」が介在します。

 ここで重要になるのが「プロセス管理」です。この基本は、「誰が」「何を」「いつまでに」というアクションの明確化とモニタリングの仕掛けの埋め込みです。

 最後に、「意思決定」に関するその他の箴言をふたつ。

(p303 より引用) 何が正しいかを教えてくれなければ、正しい妥協もできません。(1944年当時のGMの会長兼CEO スローンの言葉)
(p306より引用) 意思決定の原則とは、意見の対立がないときには決定を行なわないことである。



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