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清貧と復興 土光敏夫100の言葉 (出町 譲)

(注:本稿は、2012年初投稿したものの再録です)

 石川島播磨重工業・東京芝浦電気の社長、経団連会長を歴任、さらに齢80歳を過ぎてなお、第二次臨時行政調査会長として日本再建に尽力した土光敏夫氏

 その清廉・実直な人柄とともに、土光氏の「言葉」は、ビジネス社会に留まらず、人間の生きる姿勢として普遍的な価値を持つものだと思います。
 また、東日本大震災・福島原子力発電所事故からの復興の途にある今、さらにその精神・姿勢は重みを増しているのです。

 本書は、まさにその土光氏の至言集です。

(p58より引用) 仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなとき、困難に敢然と挑戦し失敗に屈せず再起させるものが、執念である。そればかりではない。およそ独創的な仕事といえるものも、執念の産物であることが多い。・・・
 物事をとことん押しつめた経験のない者には、成功による自信が生まれない。・・・執念の欠如する者には、自信を得る機会が与えられない。

 「執念」という言葉は昨今あまり流行らなくなりました。「執念」、とても真っ直ぐで純粋な心だと思います。

 この実直な姿勢は、意外なシーンで証明されました。
 1954年、土光氏は造船疑獄事件で逮捕された105人のうちの一人となりました。拘置所の調べ室では検事と被疑者は1対1で全人格的に対立します。
 その事件の取調官であった元検事総長伊藤栄樹氏の述懐です。

(p137より引用) 「私も、いろいろな“ほんとうの姿”を見ることができたが、『これはまいった。実に立派な人だ』と感心させられた人が数人いる。その筆頭が土光さん」

 土光氏は「金」で政治に対して影響を与えようとは決して考えませんでした。そして、自らも「贅沢」とは無縁の生活を送っていました。
 土光氏自身、こう語っています。

(p158より引用) 石川島の社長時代もバス、電車での通勤を当たり前と思っていたし、人間、庶民感覚を失くしたらアガリだ。雲上人になってしまうと、本当の世の中が見えなくなってしまう。今、使っているヒゲそり用のブラシ、これ、もう50年も愛用している。・・・一種の習慣です。

 土光氏は、人を大切にした経営者でもありました。現場の社員・ビルの守衛の方とも分け隔てなく接し、女性の職場の地位の向上にも配慮しました。
 それは、「人を信じる経営」とも言えるでしょう。

(p96より引用) ひとたび、才能はコレコレ、性格はシカジカと評価してしまうと、終生それがついてまわるのである。
 このような発想には根本に人間不信感があるのだが、たとい不信感を与えた事実があっても、人間は変わりうるという信念を欠いている点が重要だ。人によっては、失敗や不行跡を契機として転身することもあるし、旧弊をかなぐりすてて翻然と悟ることだってある。とにかく、人間は変わるという一事を忘れてはなるまい。

 大企業の経営者・経団連会長という要職での実績は、土光氏に「日本の改革」の道筋をつけるという大役を担わせることになりました。

(p178より引用) 行政改革を、肥大化した政府を健全な姿に是正して行くという面ばかりでとらえるのでなく、将来の日本はどうあるべきか、そういう将来を築くには、国民は何をなすべきか、という点から考えて行く必要がある。

 土光氏にとって「行革」は、日本の将来ビジョンを描き実行するプロジェクトだったのです。そして、「行革推進全国フォーラム」の代表世話人には、本田宗一郎氏・井深大氏という当時の財界の超大物も加わったように、土光氏の要請を受けた多くの財界人がこのプロジェクトの支援に尽力しました。

 臨調の主要メンバの一人だったウシオ電機会長牛尾治朗氏は、当時を振り返ってこう語っています。

(p191より引用) 「56年の3月、臨調を引き受けたときは、国のためという使命感だった。ところが、いまでは、土光さんに恥をかかせちゃ申し訳ないという私情が八割になってしまった」

 これもまた、土光氏の人間的な魅力を端的に表した言葉です。



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