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小説「魔法使いのDNA」/#019

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恭輔

 翌週、高円寺のライブハウスでオレたちのバンドのライブがあった。
 
 客席の中に見たことがある女の子を見つけた。
 去年、オレと怜が路上ではじめてセッションをしたときに、ずっとオレたちの演奏を聴いてくれていたあのショートカットの女子高生だ。

 ショートカットは相変わらずだったけれど、去年見たときよりもずっとセクシーだった。
 高校の制服を着ていないし、化粧もしている。
 耳にはピアスもつけているみたいだ。

 あのときは高校生だったけれど、オレと同じで、もう大学生なのだろう。

 ちょっと、迷って、思い切って声をかけようと思って近づいていったら、若い男性が彼女の隣に座った。

 一度会っただけで、特別な感情を彼女に対して持っていたわけではないはずだけど、なぜかオレはショックを受けた。

 「結構、可愛いから彼氏がいたってぜんぜんおかしくないよな。」とうしろから怜に声をかけられた。

 オレは心を見透かされたようでびっくりした。
 すぐに笑顔を取り繕って、「オレには関係ないけどね。」と答えた。

 怜はクスッと笑った。
 「お前、自分が思っているよりぜんぜんイケてると思うのに、ウブで面白いな。」と言った。

 オレは自分の顔が赤くなっていくのを感じた。

 今度はうしろから彼女に声をかけられた。
 「こんばんは。また会えたわね。」

 どんな顔をして振り向こうかとオレが迷っていると、「ああ、久しぶりだね。来てくれてありがとう。まさか俺たちのバンドを見に来てくれたのか?」と先に怜が答えていた。

 「もちろん。だってあたしはキミたちのバンドのファン第一号だからね。」と言った。
 「マジかよ。」とオレは心の中でつぶやいた。

 この半年くらいの間にライブハウスで人気が出てきて、すこしは話題になっているけれど、どうやってオレたちのライブを探し当てたのだろう。
 去年、路上で彼女と会ったときには、まだバンド名だって考えていなかったのだから。

 オレの視線に気がついた彼女は、彼氏なのか?ライブをどう知ったのか?オレの2つの疑問に答えるようにこう言った。
 「あ、紹介するね。父の経営している会社の社員。新入社員だけど優秀な期待の星。イケメンだし。」と彼氏だと疑った若い男性を紹介した。
 男性は愛想良く笑って頭を下げた。

 彼氏でないことにホッとしたけれど、「イケメンだし」と付け加えたことと、男性が爽やかだったことが逆にオレの心にちくりと刺さった。

 なんなんだ、オレは、と思った。

 「よろしく。おれTHE STORYのボーカルで田村恭輔って言います。」と言って、精一杯爽やかに挨拶をした。

 オレの言葉に続けて怜が「ギターの怜です。」と言った。

 「恭輔に怜か。いかにもロックぽくてカッコ好いね。」彼女が言った。
 そして「そう言えばあたしも自分のこと紹介していなかったね。」と言った。
 「あたし、ひかり。藤岡ひかり、よろしくね。」と言って無邪気に笑った。

 今度はその笑顔の魅力にオレは気が回らなかった。
 だって、「ふ、藤岡?」
 「そうよ。藤岡よしみの娘です。父がお世話になっております。」と言って深く頭を下げた。

 「そういうわけで、今夜は私たちは仕事でおじゃまさせてもらったんです。遅ればせながら、松下と申します。」と言って、藤岡ひかりの付き添いの男性はオレと怜に名刺を差し出した。

 「頑張ってね。キミたちの音楽、楽しみにしているわ。」とひかりが言った。

 その夜のライブの後、オレたちバンドのメンバーの打ち上げに、ひかりと松下さんが合流した。
 
 プロ志望の女性ドラマーの早川は、普段はクールなくせにこの夜は音楽事務所の人が加わったことで大興奮だった。

 松下さんは新入社員で若かったけれど、実は既婚者で子どもが生まれたばかりだった。
 面食いの早川はガッカリしていたけれど、オレはなぜかホッとしていた。

 松下さんは若いながらに音楽の知識がある人で、センスも良くて信頼できる人であることが話をする中でわかった。

 ひかりが優秀な人材と言ったのはシャレでもお世辞でもなかったようだ。
 そんな松下さんから見たオレたちのバンドの評価は悪くなかった。
 個別に見れば、もっと練習をしてそれぞれがスキルを上げる必要があるし、アレンジはまだまだだと思うけれど、光るものがあるし、楽曲も悪くないというのが今夜の感想だった。

 「あたしはキミの声が好き。」と言ったひかりの唇が艶かしくて、オレはまた気の利いたリアクションができなかった。

 ロックへの傾倒ぶりと知識ということでは怜も負けていなかったから、当然、松下さんと怜とは話が合って、どんどんマニアックな方向の話で盛り上がっていた。
 オレたちはちょっとついていけなかった。

 楽しい時間だった。

 オレはまだ二十歳になっていなかったのでオレンジジュースを飲んでいた。
 大好きなコーラは本格的に歌うようになってからは控えていた。
 何杯もオレンジジュースを飲むのは飽きるので、途中からは水を飲んでいた。

 トイレに行ったら、たまたま松下さんがトイレにいて並んで用を足した。

 松下さんがオレに「歌詞がいいなと思ったんだけど、歌詞は田村さんが書いているの?」と聞いた。

 オレは正直に「父が遺したノートを参考にしていることが多いです。」と答えた。
 そして、「父が組んでいたアマチュアバンドもTHE STORYと言いました。オレたち二代目です。」と言った。

 松下さんは「なるほど、確かにストーリーがある歌詞だよね。」と言って、「いいね、好きだよそういうの。」と付け足した。

 「そう言えば私も知り合いから面白い話を聞いたよ。」と松下さんが言うので、「どんな話ですか?」とオレは聞いたが、話の続きは席に戻ってからすることにした。

 「ロックの歌詞になるような話じゃないけどね。」と松下さんが前置きをして話し出したのはこんなストーリーだった。

 日常の風景の中にある、意味のある不思議なことを記録するのが好きな写真家がいて、彼の作品に停車している車のシリーズがある。

 車はいつも同じ1500ccのトヨタカローラ。
 昭和の車である。

 停車してある車の写真の何が面白いのかと言えば、どれもピタリと壁や柱に寄せられているということ。
 とはいえ、もちろん接触はしていない。
 本当にわずか1cm程度の隙間で停められているのである。

 カローラは様々な風景に置かれている。
 何枚かの写真には人物が写っていた。
 どれも同じ人物、物寂しげな老人であった。

 特に印象的な写真がある。
 屋外の駐車場の、2本足で、幅が1mとちょっとある木製の大きな看板に車を寄せた写真だ。
 運転席側が看板に寄せられていて、それが正面から撮影されてている。
 
 老人は運転席ではなく助手席側のドアにもたれかかるように座っている。
 目は閉じられてなく、正面を見ているのだけれど、どこか虚でどこにも焦点が合っていないように見える。
 
 松下さんの知り合いはテレビ局のドキュメンタリー番組のディレクターで、この写真に興味を持ち、撮影者である写真家を取材したことがあるという。

 街中で不自然に幅寄せをする車を見つけた写真家は、正確な動作で壁に車を寄せる老人のその異常な行動とそこから生まれる美しいシーンに興味を抱いた。
 そして、老人にそのわけを訪ねた。
 無口で無愛想に見えた老人は、案外社交的で、簡単に心を開いてくれたという。

 老人は、若い頃は京都でタクシーの運転手をしていた。
 社交的なのはそのせいで、外国人観光客の接客が多かったので、特に外国人に対しての応対は丁寧で、そして英語もまずまず話した。

 写真家はアメリカ人だった。

 タクシーの運転手だった老人は、運転の技術は確かで、性格は几帳面だった。

 老人には一人息子がいた。
 息子は立派に成長して、やがて結婚して子どもが産まれた。

 老人にとっての初孫だ。
 それはそれは可愛かったんだ、と老人は言ったのだという。

 息子夫婦はとある郊外の町に一軒家を借りて住んでいた。
 家は路地を入ったところにあり、駐車場は息子の車を停めるための1台分しかなかったので、老人が息子の家に行ったときは、通りの少ないその路地に路駐していたのだという。

 あるとき、めずらしく老人と息子は親子水入らずで町の繁華街に出て飲もうということになった。
 老人の奥さん、つまり息子の母親は孫の顔を見ることなく他界していたのだけれど、その日は老人と亡くなった奥さんとの結婚記念日だったのだそうだ。

 老人と息子が街で飲んでいた間に、元気だった赤ん坊が突然ひきつけを起こした。
 何が原因なのかはわからないけれど、家にいた息子の妻がパニックを起こして息子に電話をかけてきた。
 息子と息子の父親はあわてて家に戻った。
 その間に息子の妻は救急車を呼んだ。
 救急車はすぐに到着はしたけれど、路地に父親の車が停められていたので、家の真前までは入っていくことができなかった。
 それで赤ん坊を病院に搬送する時間が少しだけ遅れた。
 病院への搬送が遅れたことが原因ではなかったのだけれど、赤ん坊は残念ながらその夜に亡くなってしまった。

 自分の停めた車がもっと壁に寄っていれば救急車は家の前まで来れたのではないだろうかと老人は自分のことを責めた。
 息子も息子の妻も、老人のせいではないと慰めたのだけれど、老人は自分を赦すことができなかった。

 そして、それ以来、その老人は壁と少しでもスペースを開けて停めることができなくなってしまったのだということだった。

 やがて息子夫婦に二人目の子どもができて、子どもはすくすくと成長をし、一家は幸福に暮らしているというから少しは救われる気がするが、しかしそれでも老人の心の傷は完全には癒やされることがなかった。

 亡くなった愛おしい初孫と、妻との結婚記念日をつらい思い出にしてしまったことを悔いて、孫と妻に供養を捧げるために車で日本中を旅していると写真家に語ったのだという。
 写真家は老人の旅にしばらく同行をしてその記録を撮った。
 それが一連の作品なのだそうだ。

 なんだか切ない話だった。

 その写真を見てみたいとオレは思った。

 「有名な写真家なんでしょうか?」松下さんにオレは質問をした。
 「どうでしょう。」と言って、少し間をおいて、「アメリカでは写真展が開催されていると聞きましたけど。」と言った。


#019を最後までお読みいただきありがとうございます。
#020はいよいよ最終回です。
5/29(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。


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