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#日記
2022年4月、帰省しました その9(全体の感想)
全体の感想で言えば、「やっぱり帰ってきてよかったな」ということです。その動機が「母親の死」という残念なものではありましたけど…。
前回の帰省が2019年6月(正確には5月末から6月初め)だったんですけど、それ以降はなかなかコロナ禍で状況が許さず、落ち着いてきた去年(2021年)から今年(2022年)初めにかけてが一番のチャンスだったかもしれないですが、結局はそれも不意にしてしまいました。
母親
2022年4月、帰省しました その8
さて、北九州滞在最終日となりました。
花に水やる。9時頃ご飯食べる。荷物まとめる朝は恒例の水やり。家の外周を15分くらい回ってホースとじょうろを駆使しながら。水をどれだけやればいいかは完全に我流で。これを葬儀の後に実家に戻ってきてから7日間続けました。すっかり馴染みましたが、これ働きながらこなすのは結構厳しいかもしれんなあ、とも思いました。
そして9時頃に少し遅めの朝食。いつもの野菜ジュースの
2022年4月、帰省しました その7
さて、7日目。実家で一人きりになって初めての朝です。
おでかけしましたよ~。
まずは折尾駅まで行ってみたこの帰省で時間が出来たら、ひとまず歩いて折尾駅まで行きたいなと思っていました。折尾駅までは2 km程度。歩いて30分かかるかどうかの距離なので、散歩がてら行くには割とちょうどいい距離です。実家に住んでた頃も、度々歩いて折尾駅と家との間を往復することがありましたし、まあ大丈夫かなと。
ルート
2022年4月、帰省しました その6
6日目は木曜日。通常であればこの日で忌引は終了になりますが、私の場合は先週の金曜日を有給休暇(16時まで勤務してましたが…)とし月曜日から金曜日を忌引にしてもらったため、次の日も休みとなります。
ただ、他のきょうだいたちは明日から通常勤務に戻るため、休みは本日まで。今回私と実家で過ごしていた一番上の姉は金曜日も休みを取ったようですが、諸手続き&羽休めのために一旦家に帰ることになりました。
つま
2022年4月、帰省しました その4
4日目は大掃除になりました。
それに先立ち、自動掃除機を這わせつつ、日用品・室温保存可能な食料品を一つの部屋にかき集めます。
彼(音声上は明らかに彼女なのですが)が掃除しているところを初めてみたのですが、「シババババババ」と音を立てて掃除する姿がなかなかいじらしいですね。故障したときに感情移入しすぎて「この子、直りますでしょうか?」と両腕に抱えて電気店に駆け込むという話があるらしいですが、ちょ
2022年4月、帰省しました その3
3日目は諸手続きを手分けして進めていきました。
作業に関わったのは、普段から実家の近所で母親に関わっていたきょうだい3人がメイン。私はそのサポートでした。
どこまで手続きしたか正確には覚えてないですが、公的な部分としては国民健康保険・介護保険の停止、固定資産税の納付者の変更、遺産相続手続きに必要な戸籍謄本等の書類の手配、国民年金の停止の手続き、などだったと思います。
特に固定資産税や国民年金
2022年4月、帰省しました その2
翌日は葬儀なのですが、その前に親類一同に介して最後の食事、ということで母親の遺影とともに食事をしました。
その際、故人の好物に箸をつける役を仰せつかったのですが、さて彼女の好物はなんだったかな? と考えあぐねてしまいました。好きなものよりは苦手なもののほうが思い浮かびます。牛肉や豚肉は脂っぽい香りが苦手で、魚屋の娘だっただけあって魚は大丈夫だったようですが、さて、この焼き魚は果たして好物だったか
2022年4月、帰省しました その1
母親が亡くなったのが2022年4月1日の未明だったんです。
それまでもあまり状態が芳しくなくて、亡くなる2週間ほど前に入院から自宅療養に切り替えた段階で、ほぼ寝たきりで食欲ない状態だったようです。
なので、自宅療養から1週間過ぎたあたりで「もう長くないだろうから顔を見せに帰ってきたらどうか」という打診を、自宅療養のサポートをしている実家近くに住むきょうだいたち(3人)から受けまして、すぐに4月
2022年4月、帰省しました その0
久しぶりの帰省です。2019年6月以来2年10ヶ月ぶりです。1週間頂いたお休みによるものです。この休みはいわゆる忌引でして、要は母親が亡くなってしまったわけですね。
この件そのものについてはまた改めて話す機会を設けるとして、1週間、厳密には9日間なのですが、ここまでの休みを頂いたのは就職して以来初めてでした。
なので、休み序盤は慌ただしかったものの後半は流石にゆったりしてきて、今までやりたかっ