Chomsky (2023) "Genuine Explanation and the Strong Minimalist Thesis"のreview その⑤

はじめに

今回扱う内容はpp. 355-p. 358本文最後までとなります。理論の話が多いです。

21. p. 355 para. 2 ll. 1-11: external/internal Mergeのどちらが単純か?

In the past, it has been assumed – by me in particular – that combination by External Merge is the expected and natural operation and that displacement, while ubiquitous, is an anomaly of language, an imperfection that is to be explained away somehow. That turns out to be a mistake. In fact, it is Internal Merge, displacement, that is the preferred operation. It requires far less search than External Merge. The real question is why language ever resorts to em. The answer lies in the fact that I-language generates thoughts. It must therefore provide structures in which semantic roles are determined – Theta Theory. It takes a little work, but it can be shown that this can only be done by em. Therefore both displacement and combination will appear in an optimal system, the two subcategories of Merge.
Minimalist Program初期 (Chomsky (1995) Chap. 4, Section 4.4 等) では、external Mergeは文字通り二つのものをMergeするだけですが、Move (internal Merge) は複合的な操作でした。
前提として、ある操作を加えるためには、その操作の動機付けが必要です (last resort principle)。また、その際の操作の適用方法は、最もコストの少ないやり方である必要があります (least effortや、economy principle等)。
これらの要請に従うと、要素を移動させる、例えば$${C  you  eat  what}$$の構造から、$${what}$$を文頭に移動させるためには、まずは$${what}$$と疑問のCとの間にchecking (agreement) の関係が無ければなりません。また、要素を移動させる単位は、必ずしも語彙要素だけではなく、feature単位でも構いません (この場合は疑問解釈に関するfeature)。この二つのレベルの移動操作に関しては、音付きの語彙要素を移動させるよりも、音無しのfeatureを移動させる方がコストがかからないだろう、という考え (Procrastinate) があります。語彙要素の移動は、featureを移動するだけではダメで、何か発音上の規則、要請がある場合にのみ、音のfeatureもくっつけた形で (generalized pied-piping) 語彙要素の移動が認められる、という立場です。
長くなりましたが、Moveは、Mergeだけではなく、feature agreementやgeneralized pied-pipingやいろいろなものがくっついているので、Mergeよりも複雑で、コストがかかる操作だと考えられていました。これにより、MergeとMoveが両方可能な場合は、Mergeの方が優先される、Merge-over-Moveという考え方が生まれました。
Mergeが何故存在するのか、という問いについては、reviewその④の17個目のトピックで紹介したように、Mergeを一つ想定すれば人間言語のbasic propertiesでもある、階層構造に基づいた離散無限性が説明できました。今、Moveがどのような条件で適用できるのかは見ましたが、そもそも何故Mergeに加えてMoveという操作が存在するのか、という根本的な問いが残ります。この問題が厄介なのは、reviewその④の18個目のトピックで紹介しましたが、Moveという操作があるために、発音される場所と解釈される場所が異なる不都合が起きるわけです。というわけで、Moveの存在は (なんでこんなものがあるのか原理的な説明が与えられず) 言語のimperfectionとみなされていました。
さて、時代が少し進み、Chomsky (2004) でこの問題は解決します。reviewその①reviewその②で紹介しましたが、Mergeの基本特性が、二つの要素から一つの構造を作るものだと考えると、二つの要素の出どころには、二つの可能性があります。それぞれが何の関係も持っていない独立の要素同士のMergeなのか、一方がもう一方の中にある要素同士のMergeなのかです。後者が、以前まではMoveという複合的で別の操作だと思われていたものではないか、と気づき、現在 (external) MergeとMoveは、一つのMergeという操作の異なる表れ (external/internal Merge) として考えられることになったわけです。今太字で示した発想は大事なところで、一方がもう一方に含まれている関係にある二つの要素のMergeは許されるoptionとして自然に存在するわけなので、MoveがあることはMergeがあることから導かれる当然の帰結となります。なので、Chomsky (2004) は、Move (displacementという特性と理解しても構いません) が存在することが言語のimperfectionなのではなく、(Mergeがあるくせに) もしMove/displacementのような操作、現象が無かったのだとすると、それこそがimperfectionである、という考え方をしています。

この段落は少し脱線です。このようにMerge/Moveが統一されると、Chomsky (1995) で考えられていたように、Moveは必要がある場合にのみ適用する、last resortの考え方はおかしなものとなってきます。そのため、Mergeは統語構造の中で最もprimitiveな操作であるために自由に適用が可能である。そうすると、Moveは実質Mergeと同じものであるのだから、その両者を区別せず、Merge/Moveは両方とも自由に適用可能であるとするfree Merge hypothesisの考えが出てきました。この考えはChomsky (2004, 2008, 2013) でアイディアレベルでは見られましたが、当時の理論はまだMergeとMoveが別の操作としての扱いを受けており、理論の中で本当の意味で両者がunifyされるのは、Chomsky (2015) を待つこととなります。
一度MergeもMoveも自由に適用するとすると、構造としては本当に何でも作れてしまいます。例えば、$${^{*}Do  you  think  what  Mary  ate?}$$とかそういうのも作れてしまいますから、適切な派生と不適切な派生を区別する手段が必要です。それを、構造解釈のために必要なlabel (projection) が特定のやり方できちんと決まるかどうかに求めたのが、labeling theory (Chomsky (2013, 2015)) となります。

見事にMergeとMoveがunifyされましたが、お話はこれで終わりませんでした。現在Chomskyは、reviewその②で少し述べましたが、Mergeを適用するためには、まずはMergeを受ける要素 (語彙要素や句) が散らばっているworkspace (作業空間) が無ければならないだろう、ということを考えます。そして、workspaceの概念を取り入れたMergeの定義を考えることで、許されない種類のMergeを排除することを試みました (Chomsky (2020, 2021))。
ここで、workspaceの観点からMergeとMoveの操作を考えてみます。Mergeが適用するためにはどの要素にMergeが適用するのかをまずSearchという操作によって探すことが求められます。ここで、workspaceが以下のような状態で、中に5つの要素が存在しているとします。

$${\rm{[_β  XP [_α  YP, ZP]]        WP       UP        OP        MP}}$$

ここで、external Mergeによって集合βとWPをMergeすると考えると、5つの要素にSearchを適用することになります。一方で、internal Mergeによって集合βとZPをMergeするとすると、Searchする範囲は、一つの要素内になるので、external Mergeの時よりもSearchが容易だ、と考えるようです。従って、Merge-over-Moveの時代とは逆に、より単純で好まれる操作はinternal Merge (Move) の方なのだ、ということになります。
そうすると、「何故external Mergeが存在するのか」という、かつてMoveに対して出た問いが再び頭をもたげます。Chomskyはこれを以下のように考えています。Moveだけ手持ちの操作としてあっても、そもそも (言語) 構造が作れません。predicateが表すargument structureを構成するためにはどうしてもpredicateとargumentという別々の要素をMergeするexternal Mergeが必要となります。そういうわけで、internal Mergeが一番primitiveな操作なのだけれど、それだけじゃ構造構築できないからexternal Mergeも許される、というストーリーになっています。
個人的にはexternal/internal Mergeを一つのMergeとしてunifyしたんだから、どっちがprimitiveかということを考えなくても良いんじゃ…と思います。操作が概念的に正当化されるかどうかと、その操作が実際に理論の中でどう動くかは別ものとして考えた方が良いのでは、という印象です。

22. para. 2 ll. 1-6: Preservation

A general property of computation is that symbols don’t change interpretation in the course of computation: call it Preservation. The most extreme violation of Preservation would be total disappearance. Therefore Merge never erases elements. Generation of “which books did you read” therefore yields “which books did you read which books”, which is interpreted directly as “for which books x, you read the books x”.
あるsymbolを用いていて、計算の途中でそのsymbolがあらわすものが変わってはならないという考えは、この頃Chomskyのトークや論文の色々なところで見られますが、新たにChomskyが行っている想定というよりは、皆想定として立ててすらないほど当たり前のことを明示した、というものです。たとえとしてある先生が説明してくれたのが、QとかPとかで表されている命題が、論証の一行目と二行目とで違うことを表す、みたいなことは無いよね、という話でした。
Chomsky (2020: 42-43) ではStabilityという言葉で似たことが述べられています。$${Mary's  book,  I  want  to  read  \sout{Mary's book}}$$ (取り消し線は移動元のコピーを示します) という表現の中で、$${read}$$の後ろにある$${Mary's  book}$$が$${a  book  Mary  possesses}$$を指し、前にあるものが$${a  book  Mary  wrote}$$を指すようなことは無い、ということを述べています。Preservationはもう少し一般的な制約としてのイメージがあるのかな、と思います。ここでは、操作の適用の前後で要素が削除されることは無い、従って、上の例では$${Mary's  book}$$が移動をしたとしても、$${read}$$の後ろにある$${Mary's  book}$$が無くなるわけではないという考えです。移動元の位置に要素はそのまま残っているわけなので、要素を移動元で解釈する再構築という現象は、特に操作を別に仮定しなくてもPreservationから自然に出てくる特性となります。

23. para. 6 ll. 1-2: Inner Speech

Notice that so-called “inner speech” is externalized speech, in fact fragments of externalized speech.
reviewその③の7個目のトピックとして紹介したものですね。

24. para. 7 ll. 1-p. 356 para. 1. l. 4: Filler-Gap Problem

The result of these operations is to maximize computational efficiency, while yielding what’s called a filler-gap problem for perception and parsing. The parser finds a wh-phrase like “which books” and has to find the gap that it fills for interpretation. That turns out to be quite complex, one of the major problems in parsing. The problem would be radically reduced if the gap were filled. But Mother Nature didn’t care about that when designing language. She insisted on finding the most elegant solution, even though it poses difficulties for language use – quite serious ones as sentences become more complex.
reviewその④の18個目のトピックと同じ内容ですが、Mergeの結果 (特に移動ある場合に) できた構造の$${Mary's  book,  I  want  to  read  \sout{Mary's book}}$$を考えます。これを解釈するためには、$${Mary's  book}$$がどこにあったのかを特定する手間が必要です。一文とかなら良いですが、長い文だったり、garden path sentenceのような場合は、どこから移動したのかを特定することは難しくなります。これがコミュニケーション (language use) を困難にしている要因の一つです。移動現象なんてものは無ければ無い方がコミュニケーションとしては楽だし、例えば上の文を日本語で表す場合 (例えばcontrastive topicの意味を表す場合)、「私はMaryの本は読みたい」) という風に、移動を使わなくても同じ意味を表すことは可能です。日本語でwh移動が不要なことも、wh疑問文の意味を表すためにwh句の移動が必須ではないことを示していると思います。Mother Natureは、言語能力を授ける (?) 際に、最もefficient、simplestな方法を取りました。Mergeにより二つの要素から構造を作るという操作です。ただし、その操作を一度認めてしまうと、上で見たように移動操作も自動的に出てきてしまいます。言語がコミュニケーションに最適になるように発生したのであれば、そういう風にはならなかったのかもしれませんが、そうではなく、(後先考えずに) simplestなやり方で言語が発生したために、filler-gap problemという「弊害」が起こってしまった、というのがここで述べられていることです。

25. para. 4 ll. 6-9: Evolution Process

The winnowing stage is never reached, possibly because of lack of time, possibly – and more interestingly – because the optimal system is so delicately designed that it’s either all or none – which might be the case, recent work suggests.
reviewその④の13個目のトピックでも触れた進化のお話ですが、ここでは具体的な進化のプロセスについて言及しています。突然変異が起き、それがsimplestな形で生物に取り入れられ、natural selectionが起きる、という流れです。言語が3つ目の段階に至っていないのは、時間が足りてないという意見の他、言語は完璧な設計をされているのでnatural selectionを受けるような対象ではない、という見方が述べられています。面白いですが、後者について、他に類するような生物的特徴があるのかは知りません。

26. para. 5 ll. 1-6: Strong Minimalist Thesis

We are approaching an interesting conclusion: I-language might be perfect and a common human possession. This was proposed 25 years ago as the Strong Minimalist Thesis (SMT). It was not then regarded as realistic: rather as a long-term goal that might guide research. Recent work suggests something more audacious. The thesis might indeed be true, as evolutionary theory leads us to expect and empirical inquiry increasingly suggests.
genuine explanationと並び、もう一つこの論文のタイトルになっているstrong minimalist thesisについてです。元はChomsky (2001: 1) に見られる単語で、以下にオリジナルを引用します。
The strongest minimalist thesis SMT would hold that language is an optimal solution to such [interafce-legibility] conditions. The SMT, or a weaker version, becomes an empirical thesis insofar as we are able to determine interface conditions and to clarify notions of "good design." While the SMT cannot be seriously entertained, there is by now reason to believe that in nontrivial respects some such thesis holds, a surprising conclusion insofar as it is true, with broad implications for the study of language, and well beyond.
言語は、意味解釈、外在化にかかる二つのinterfaceに対して最適に設計されているというものです。当時は経験的な証拠があるというよりは、理論のguiding principleに近いものでしたが、2023年の論文では、2001年よりも現実的なものとしてこの考えを受け入れているようです。

27. para. 6 ll. 1-3: traceとPRO

There is a good deal of further evidence for these conclusions. To take one case, consider the distinction between trace and pro, keeping to earlier terminology, now abandoned.
以下の二つの例を考えます。

$${\rm{(5)  one  interpreter  (each)  seems  [t  to  be  assigned  to  the  visitors]}}$$
$${\rm{(6)  one  interpreter  (^*each)  tried  [PRO  to  be  assigned  to  the  visitors]}}$$

$${each}$$がそれぞれ入ると、後ろの$${the  visitors}$$それぞれに対して$${one  interpreter}$$、というdistributive interpretationが出ることになりますが、(5) ではそれが可能で、(6) では不可能だ、というのが基本的な観察になります (Chomsky (1981))。
ここで、$${t}$$、PRO位置にあるのは両方$${one  interpreter  (each)}$$です。上で見たdistributive readingの可否は、(5) では$${one  interpreter  (each)}$$が$${t}$$位置で解釈可能 (reconstructionが可能) で、(6) ではPRO位置で$${one  interpreter  (each)}$$が解釈されていないことを示します。
先程22個目のトピックで、Preservationを紹介しました。その中で、internal Merge (移動) が適用すると、二つの要素の解釈が変わることが無いため、reconstructionが自然な帰結として出ることを見ました。reconstructionはinternal Mergeを前提とすると、(5) ではreconstructionが可能なのでinternal Mergeによって関係が結ばれており、(6) ではそうではないことが示唆されます。
もう一つ、$${t}$$、PRO位置は双方$${one  interpreter  (each)}$$の解釈があるので、$${seem}$$の前にある$${one  interpreter  (each)}$$とcopy関係はあるだろう、ということも前提としてあります。以下にまとめます。

a. (5)、(6) には、それぞれ$${t}$$、PRO位置に$${one  interpreter  (each)}$$が存在する。
b. aで言及された$${one  interpreter  (each)}$$は、$${seem}$$の前にある$${one  interpreter  (each)}$$とcopy関係を結んでおり、そのため発音されない。
c. reconstructionのためにはinternal Mergeによって関係が結ばれていなければならない。
d. (6) により、copy関係構築のためには、internal Mergeが必要条件ではない (internal Merge以外にcopy関係を結ぶ方法が存在する)。

特にdは衝撃的でした。これまでずっと (少なくともcopy theory of movementが出たChomsky (2004) 以降)、copy関係は移動操作に付随して得られるものだと考えられていたためです。
dを導くためのChomsky (2021) のロジックは以下のものでした。

構造的に同じ要素が二つ統語構造に存在した場合、解釈部門でそれらの関係がcopy$${(John  was  killed  \sout{John}.)}$$なのか、repetition$${(John  liked  John.)}$$なのか見分けなければなりません。統語操作によってcopy関係を定義する (internal Mergeが適用していればcopy) とする考えでは、解釈部門が、統語部門でどういう操作を受けたのかを記憶しておくメモリーが必要です。Chomsky (2021) では、言語システムにはメモリーが無い (言語はstrictly-Markovianである) 考え方を取りました。そうすると、copy関係を指定する操作が別に必要となります。このために、Chomsky (2021) は、Form Copyという操作を想定しました。Form Copyは二つの統語要素を見つけて、その間にcopy関係を与えます。これにより、copy概念とinternal Mergeという操作が分離されることになります。

この論文ではForm Copyという名前は用いられていませんが、(5)、(6) ともに主語位置にある$${one  interpreter  (each)}$$と、$${t}$$、PRO位置の間にそれぞれcopy関係が与えられています。
ここで、何故 (6) ではinternal Mergeが使用できないのかというと、Preservationを用いて以下のように述べています。(5)、(6) では、$${one  interpreter  (each)}$$は、$${t}$$、PRO位置で$${assign}$$からtheta-roleを受け取ります。(6) では主節動詞に$${tried}$$が用いられており、$${one  interpreter  (each)}$$は$${tried}$$からもtheta-roleを受け取ります。従って、もしPRO位置から主節主語位置にinternal Mergeを行うと、$${(assign}$$から受け取ったpatientから、$${try}$$から受け取ったagentへ) theta-roleの情報が変わってしまい、解釈が変わらないことを保証するPreservationに違反すると考えているようです。従って、(6) においてPRO位置から主節主語位置へのinternal Mergeはあり得ません。reconstructionはinternal Mergeを前提としていたため、ここでreconstructionが起きることはなく、distributive interpretationが出ないということが説明されます。一方 (5) では、$${seem}$$はexternal argumentにtheta-roleを付与しませんから、主語位置に移動してもtheta解釈が変わるということはありません。従ってこの場合はinternal Merge及びその帰結としてのreconstructionが許され、distributive interpretationが得られます。
重要なのは、Chomsky (1981) 以降、このようなreconstructionの振る舞いの違いから、control構文にはPROという要素を独自に想定してきました。Chomsky (2023) では、動詞毎に付与するtheta-roleが異なることと、Preservationという計算一般にかかる条件からPROの振る舞いを導き出すことにより、PROの想定無しに (obligatory) controlの現象を説明しています。

28. p. 357 para. 5 ll. 3-5: Head Movement

Headraising is constantly used, but there is no such operation within any existing framework. It turns out to be dispensable within the framework I’m outlining.
Chomskyは、head movementをsyntaxでは認めない立場を取っています。head movementはChomsky (1995) chap. 4でも議論されていますが、extension conditionに従わない点でずっと特別な移動扱いを受けていました。extension conditionとは、構造$${\rm{[_β  Z  [_α  X, YP]]}}$$において、例えばYPの移動は、β全体をターゲットとして行われなければならず、その途中のαをターゲットとしてはいけません。一方、head movementをXに適用する場合は、Xはβ全体ではなく、その中のZをターゲットにして行われます。この点で、head movementは他のphrasal movementとは違う特性を持っていました。このextension conditionは、構造のcyclcityを保証するものであったのと同時に、現在の枠組みの観点から述べると、head movementは、reviewその②で述べた、認めてはいけない種類のMergeと同じ状況になっています。従って、head movementをシステムの中で許してしまうと、sideward movement、parallel Merge、counter-cyclic Merge等も許されてしまうことになります。そのために、Chomskyはhead movementをsyntaxで認めることはできません。それでは、head movementの効果をどのように出すかというと、externalizationに求めることになります。Chomsky (2021: 36) では、V-to-T (Chomsky  (2021) ではV-to-INFL) 移動は、externalizationの際に、VとT (INFL) を一つにする、amalgamationという (mapping?) 操作で扱うようです。
syntaxの操作としてhead movementを想定しないという立場の背後には、head movementは意味には影響しないというものがあります。VがTに移動するフランス語でも、移動しない英語でも意味に違いは無いという事実です。一方で、Roberts (2010) のように、head movementは意味に影響するとする立場もあります。もしこれが正しければ、head movementはsyntaxの中で行われていることになるために、Chomsky (2023) の立場は取れません。どちらが正しいかは、更なる研究が待たれるところです。

29. para. 6 ll. 1-6: Sequences

Sequences have been a hopeless problem since the early days of explicit grammar. Take a simple example, like “Tom, Dick and Harry danced and sang all night.” Both the subject and verb phrase sequences can extend without limit. Within phrase structure grammar, that would require infinitely many rules. Transformations don’t help, nor do any other mechanisms that have been proposed.
Chomsky (2021) でunstructured unbounded sequencesと呼ばれていたものです。NPの連鎖も、Vの連鎖も、上限がありません。transformationでこれが作れないというのはなんとなくわかります。基本的にtransformationは今ある要素の並び替えだと理解しているので、transformational rulesにより要素をどんどん付け足して無限の連鎖を作り出すことは難しいと思います。ただし、phrase structure grammarで説明することができない (無限のルールが必要)、というのは正直よく分かっていません。例えば、以下のようなルールの組み合わせではダメなんでしょうか?

$${\rm{NP→NP,  NP}}$$
$${\rm{NP→NP  and  NP}}$$

Minimalist Programの台頭と同時に生まれた人間なので、phrase structure rulesを自分で使ったことがなく、馬鹿みたいなことを言っているかもしれませんが、詳しい方はご教示いただけると幸いです。

sequenceの特性に目を移すと、sequential interpretationとそうでないものがあります。

$${\rm{a.  Tom,  Dick  and  Harry  danced  and  sang  all  night.}}$$
$${\rm{b.  Tom,  Dick  and  Harry  danced,  sang,  and  worked  all  night, respectively.}}$$

aでは、三人が踊って歌った、という解釈です。bがsequential readingで、NPとVPの数が同じで、$${respectively}$$が含まれる場合は、$${Tom  danced、Dick  sang、Harry  worked}$$がそれぞれ成り立ちます。しかし、Chomskyは、これは談話の特性であり、syntaxが説明するところではない、と述べます。その次に出てくる長い例$${Tom,  Dick  and  Harry  are  close  friends.}$$  (…)  $${They  teach  at Harvard,  Oxford,  and Peking  University,  respectively.}$$は、文を越えた指示において、sequential interpretationが可能だという例ですが、やはりsyntaxで構造構築の差異に扱うレベルは、どんなに大きく考えても文単位だろうので、この例のようなことが可能だということは、sequential interpretationはsyntaxの操作で得られるものではなく、$${respectively}$$の語彙特性により、談話レベルで得られる解釈なのだということを示しています。Pullum and Gatzdar (1982) でも、例えば視覚的な順序が与えられた場合でも$${respectively}$$でその順序を受けることができることが述べられています。
従って、Mergeからは作られないようなsequenceのためにForm-Sequenceという操作を独立に想定することはしない、やはりsyntaxにある (構造構築) 操作は、set-formationのみである、という立場です。
syntaxで作られたsetをexternalizeする際にsequenceにするという考えみたいです。head movementと同様ですね。syntaxは極力シンプルなものでとどめておきたい、という考えがうかがえます。

30. para. 6 ll. 1-4: Strong Minimalist Thesisの二つの機能

SMT has several functions. One is a disciplinary function: it sharply restricts the options for description and thus deepens explanation. But it also has an enabling function: it provides options for what I-language might be, for what modules might exist.
Minimalist Programを代表する考えであるstrong minimalist thesisは、完璧に設計されたシステムとして言語を考えているため、理論に余計なものを想定できません。例えば、indexや、trace、X'-schema、ひいてはtree structureさえも、(説明のために用いるだけなら良いのですが) それらが実際に理論内や、人間の頭の中に存在する、とは考えません。絶対に存在するのは階層構造を持ったset structureと、それを作り出すMergeです。それに加えて、Chomsky (2021: 3) で述べられている、language-specific conditionsが存在します。この、計算一般の原理 (Preservation等) や人間の脳の生物学的特性 (strictly-Markovian property、Phase等) 以外の、言語特有の条件というものに何が入るかはまた精査する必要があると思いますが、島の条件等はそうなるかもしれません。theta-theoryなんかは、syntaxの中の条件として定義するよりは、 Chomsky (1993) section 3.3で述べられているように、「これを満たす構造でないと解釈システムに送った時にダメになる」という、解釈側の条件として考えることも可能かもしれません。言語にラベルが必要だとかいうのも、恐らくこちらのinterface conditionsに入ると思います。このように、syntaxの中からどんどん無駄なものをそぎ落としていくことがstrong minimalist programのdisciplinary functionであり、普通SMTの名で僕らが想定するものでした。
面白いのが二つ目のenabling functionです。これは、(disciplinary functionに従い) 理論をきつく制限すると、逆説的ですが、これまでは考えられなかった可能性が出てくる、或いは、今までは単にstipulateしていた特性が導かれるというものです。例えば、27個目のトピックで見たように言語システムからメモリーを無くすと、面白いことに、何も新たなものは仮定せずにPROの特性を導くことができました。
何故external Mergeが存在するのか、何故internal Mergeが存在するのか、という問いを考えてきましたが、これまでの理論では、何故controlという現象が存在するのか、何故PROが存在するのかには説明が与えられていませんでした。Chomsky (2004) で、Mergeが存在するならばdisplacementの現象が存在することは当然の帰結であったということと並行的に、理論をきつく制限すると、controlという現象が存在することは当然のことである、という結論を導いたのがとても面白いところであり、ここで述べているenabling functionの内容だと思います。

おわりに

これで本文の内容は終了です。
今回の内容はやはり最後というだけあってかなり理論理論したものになってしまい、上手に説明できなかった箇所もあると思います、申し訳ありません。わかりにくい場所があればご指摘いただければ加筆しようと思いますので、ご連絡いただければと思います。
残念ながらAppendixの内容は僕の手に余るものばかりで、全世界に向けて僕の理解を公開するのは恥ずかしすぎます。もちろん面白い問題ばかりだと思っているし、これ前もChomskyのトークで聞いたな…というトピックもあるので、こちらも気になるものがあればご連絡いただければ喜んでディスカッションに参加します。
お付き合いいただきありがとうございました。Chomskyの考え方のイントロダクションとして、少しでも役に立てれば幸いです。
需要があればまた次Chomskyの論文が出た時に似たような紹介ができればと思います。林先生の次回作にご期待ください!

References

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