Chomsky (2023) "Genuine Explanation and the Strong Minimalist Thesis"のreview その④

はじめに

今回扱う内容はpp. 350-354となります。Chomskyの話が広がれば広がるほど、僕の知識の付け焼刃感が露呈されていくので、お気づきの点があれば何でもよろしくお願いします。

11. p. 348 para. 1 l. 2: Language Acquisition

FL must at least explain how language is acquired.
reviewその③の5つ目のトピックで見た、Chomsky (1995: 17) の言語理論の目標を再掲します。このbがこの内容に当たると思います。
a. What does Jones know when he has a particular language?
b. How did Jones acquire this knowledge?
c. How does Jones put this knowledge to use?
d. How did these properties of the mind/brain evolve in the species?
e. How are these properties realized in mechanisms of the brain?

12. para. 2 l. 4: Plato's Problem/Poverty of Stimulus

it's the problem of how we can know so much given so little evidence
11個目のトピックに対するより具体的な問題提起です。刺激の貧困についてはちょっと検索しただけでも僕ができるより詳しい説明がいくらでもあるのでそちらに説明を譲ります。Berwick and Chomsky (2016) では、言語理論が解決すべきProblemシリーズがあり、Plato's problem, Darwin's/Wallace's problem, Gallistel's problemが挙げられています。それぞれ、1つ前のトピックのb, d, eに関連するものかと思います。

13. para. 5 ll. 2-3: Darwin's Problem

How can FL have evolved under the conditions of human evolution?
子供は世界のあらゆる言語を学ぶ能力があるため、faculty of languageの中身はrichであることが示唆されます。一方で、このパラグラフで示唆されていることが正しければ、人間と他の生物を隔てる要因であるfaculty of languageは進化の観点においては一瞬のうち (a flick of an eye) にできたことから、その中身は単純なものであるはずだ、ということにもなります。これがconundrumと以下で称されます。
もう少しこのconundrumをわかりやすく説明しているのがChomsky (2021: 7) で、以下に示します。Itは言語理論の目標と理解すれば良いかと思います。
(i) It must be rich enough to overcome the problem of $${poverty  of  stimulus}$$ (POS), the fact that what is acquired demonstrably lies far beyond the evidence available.
(ii) It must be simple enough to have evolved under the conditions of human evolution.
(iii) It must be the same for all possible languages, given commonality of UG.
ここで大事だと思うのは (i) と (ii) のrich enough、simple enoughの部分です。特に (i) ですが、faculty of languageの中身は人間言語をカバーできるくらいrichであれば良いので、もし、人間言語自体がすごくシンプルなものだということがわかれば、それを説明するためのfaculty of languageもそんなに複雑なものである必要はないです。究極的には、人間言語の特性を説明するために特別に仮定しなければならないものがMerge (とそれが依拠するrecursion) だけだとすると、POSを説明するためにはfaculty of languageの中にrecursive Mergeのみ考えれば良い、そして、Mergeだけがfaculty of languageにあるのだとすると、Darwin's problemも同時に解決できる。これが理想的な筋道です。もちろんこれが100%正しいという保証はまだないけれど、この路線で説明がどこまでいけるか考えてみよう、というプロジェクトがMinimalist Program (極小主義) の動きだと思います。
もちろん、言語にはいろいろ他にもあるじゃないか、Chomskyもtheta-theoryを言語理論の中に取り入れてるじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、あくまで言語能力のコアのコアの部分 (Hauser, Chomsky and Fitch (2002) が述べるところのfaculty of language in a narrow sense) がrecursionの能力だ、というだけで、言語能力はそれ以外の特性も取り入れることができます。例えば、Chomsky (2021: 15) は以下のように述べます。"It is reasonable to suppose that when the capacity emerged for recursive generation of linguistic expressions, it appropriated a lexicon of elementary items available to proto-humans; and only later, as the combinatorial possibilities of generating language and thought became available, concepts of the distinctive human character appeared"
完全に僕のspeculationか、どこかで聞いた話だったか定かじゃないですが、theta-theoryのようなものは動詞の意味に由来するものなので、動物とかでも何となく使える概念のような気がします (これは食えるとか、俺はあいつを追いかけるとか)。何か研究をご存じの方、教えていただけると助かります。ただ、Chomsky自身はp. 354 para. 7で、(色々なphrase levelの元になるような) concepts that serve as primitivesは動物界には無いと述べてますね…そうするとsemantic conceptのようなものも人間固有なのでしょうか…そしてこのことはたった今引用した内容とどう整合するのでしょうか…ちょっとわかりません。
ここまで長々と言語進化について述べましたが、Chomsky自身、言語進化は化石が残らないので、speculationしか述べられないということも述べており、もちろんChomsky以外の色々な考え方もあります。遊佐 (2018) の進化の章や、池内 (2022) では、Chomskyが考えるようにMergeは一度に出てきたものではなく、前段階があったのではないか、というような仮説も示されています。

14. p. 351 para. 4 ll. 1-4: Diversity

That problem would be greatly reduced if diversity of language is sequestered in a particular component of the overall system. The natural place to look is in externalization, excluding the I-language operations that yield the thought system.
Principles and Parametersのモデル (Chomsky (1995)) では、言語間差異を (大体二つのoptionがある) parameterをいくつか考えることで捉えようと試みています。reviewその①で見たようなhead parameterもその一つです。head parameterは外在化に帰せられたことを見ましたが、ここでもChomskyは同じ姿勢を取っています。この論文では扱われていませんが、Chomskyがよく言及するもう一つ差異の出どころはlexiconです。lexiconの内容は、後に見るように学習がかかわってくるところなので、言語間差異の他に、個人差すらあるでしょう。
個人的には、parameterのいくつかは外在化に帰すことは難しく、語彙特性由来のparameterもあるのではないかと思っていますが、あまりChomskyはそこまでは突っ込んで言わない印象です。例えば、wh句が移動するか否かに関するparameter等は、wh particleがlexiconに存在するかで決まる、というような研究もあり (Cheng (1991)) (もちろん批判もありますが)、lexicon由来のparameterではないかと思っています。
Roberts (2019) がexternalizationから見たParameterについて本を書いており (709ページ!)、Chomskyも度々言及しています (このすぐ後に出てくるRobertsの名前もこの本を含むプロジェクトを指していると思います)。

15. para. 6 ll. 1-4: SM System

Externalization is not strictly speaking language. Rather, it is an amalgam of the internal system for generation of thought and sensory-motor systems that have nothing to do with language and were in place long before language appeared. We might expect that mapping the internal language system into completely unrelated sm systems would be a complex task, solvable in many ways, easily subject to at least superficial change.
syntaxの中でMergeによって作られた構造はC-I interfaceで意味解釈を、SM interfaceで外在化を受けます。ここで、音に代表される外在化のためのSM systemの方は言語とは無関係であると述べられています。人間と他の動物でSM systemは本質的には共通だ、という立場です。言語がthought-generating systemなので、thoughtの方は言語無しでは存在しない、したがって、他の動物には (人間と同じ意味では) 無い、という立場でしょう。ただ、C-I systemのすべての特性が人間固有かと言われるとそうでもないと思います。13個目のトピックで引用した箇所でも述べられているように、動物にもあるC-I system+言語 (recursion) により、人間のthought systemができていると考えても良いのかもしれません。Hauser, Chomsky and Fitch (2002) でも、C-I systemはfaculty of language in a broad sense (FLB) の中に区分されています。他にFLBに区分されているのはSM systemと、他のsystemもあるかもしれないことが示唆されており、大事なのはFLBはfaculty of language in a narrow sense (FLN) であるrecursionとは区別されている点です。FLNであるrecursionが人間と動物とを区分していると考えて、FLBは部分的にでも共通していると考えても、生成文法の基本的な考え方に問題は出ない気がします。

16. p. 352 para. 2 ll. 1-10: Learning

I should make a side comment on learnability, which is commonly misunderstood. To say that something is learned is vacuous until we are told how it was acquired. There is a spectrum of development of the organism from some initial state to a relatively stable final state. At one extreme, we have what we call “growth”: nutrition is required for an embryo to develop into a cat, or a human, but the course of development is overwhelmingly internally determined. At the other end of the spectrum we have parameter setting – English is an svo rather than an sov language – or arbitrariness of pronunciation: the sound [kh aet] means cat. What happens at that end of the spectrum is called “learning”. But that tells us very little.
learnabilityはPOS/Plato's problemとも通じるもので、言語 (理論) は、限られた言語データから子供がlearnできるほど単純なものでなければならない、という観点で用いられていた単語でした。しかし、ここでlearnという単語は二つの異なる概念を含んで使われていることが述べられています。一つ目は"growth"で、これは、例えば植物の種 (人間でいえばfaculty of language) に、適切な刺激 (日光やら水やら) を与えれば、勝手に育つ、というイメージで捉えれば良いんじゃないか、という話を聞いたことがあり、僕もそれで納得しています。何か能動的にlearnするというよりは、(勝手に歩けるようになるように) 自然とその能力が開花する、というイメージが良いのかなと思っています。言語間差異はどう考えれば良いのだろうと難しいですが、例えばアジサイの花が外的環境 (土のpH) により、アジサイの種に許される範囲で花の色が変わる、という比喩で良いのかなとも思っていますが、もっと良いイメージがあれば教えていただければと思います。一方で、Sassurean arbitrarinessや、語彙的なルール (英語であれば自動詞か他動詞か、自動詞でどの前置詞とくっつくかみたいなことでしょうか) は一つ一つ覚えていかなければならないのは間違いなく、これが、growthと対比された場合の"learning"です。前者と後者は全然違うことをしているので、言葉を分ける方向になるのかもしれません。その方が誤解も無くていいと思います。

17. para. 3 ll. 2-4: Structure-Dependence

the most fundamental property of human language, one that is quite surprising in many ways and has rich consequences that are not always sufficiently appreciated
この論文のタイトルにもgenuine explanationという表現が入っていますが、Chomsky (2021: 13) では、"I think it is fair to say that the case of structure-dependence is the first genuine explanation of a significant property of language,  a surprising and highly significant one in this case."と述べられています。やはりこの性質の驚くべき点は、例文 (4) の3つ下のパラグラフでも述べられているように、僕らが目に見え、耳に聞こえているのは語順 (線形順序) であるのにもかかわらず、その情報に一切子供は頼らずに、目に見えず、耳に聞こえない階層構造に従って自らの言語を構築していく、という事実です。Mergeという操作一つ考えれば、この特性がきれいに説明できます。
何故人間言語が知覚できる線形語順に従わず、知覚できない階層構造依存なのかというと、そういう風に人間の脳が設計されているからだ、というしかないのだと思います。どんな人間も、教えられることなくいずれ2本足で立つ (即ちそういう風に設計されている) のと同じようなことでしょうか、全然的外れの比喩だったらすみません。

18. p. 354 para. 4 l. 5: 言語使用 (コミュニケーション)

To put it metaphorically, when Mother Nature created language, she found the simplest possible solution – which is, incidentally, the way evolution works generally.
structure-dependencyの話からこの辺りまででSM systemがI-languageとは無関係だということが再度強調されています。Chomskyはよくrewiringと述べていますが、脳のどこかで再配線が起こることで言語能力 (の元) を手に入れると、そこからsimplest possible solutionに基づいて言語能力が形作られていくというストーリーになります。言語能力が出てくる際は、どのように言語が用いられるか、ということは全く考えられずに発達します。これに関連して、言語はコミュニケーションにとっては最善ではない、ということも、Chomskyはよく述べます。例えば構造的曖昧性がそのことを示す例として挙げられますが、Chomskyがこの論文で出している例では、$${the  man  who  fixed  the  car carefully  packed  his  tools}$$において、$${carefully}$$が修飾している要素が$${fixed}$$なのか$${packed}$$なのか曖昧です。何故こんな曖昧な表現が至るところでにみられるのかというと、言語がコミュニケーションに最適に設計されているのではないからです。言語がMergeによって作られているために、自然とこの曖昧性が出てきてしまいます。
それと、garden path sentence等もコミュニケーションにとっては甚だ不都合なものです。また、「言えそうだけれど言えない文」も、コミュニケーションの利便性と文法のルールがある場合に後者が優先されることを示します。例えば、「君はJohnが何をあげた人を探しているの?」のような文は文法的で、意味としても適切です。しかし、英語で同様の文は島からの抜き出しを含むために言えません: $${^*What  are  you  looking  for  the  person  who  gave  John?}$$
この内容を表すためには回りくどい方法を用いなければなりません。池内 (2022) や、Chomsky (2021: 8) でも、言語がコミュニケーションのためではない、ということが述べられています。
これはもちろん言語がコミュニケーションに使われるべきではないということでもないし、人間が持っている手段の中で言語がコミュニケーションに一番ましなシステムであることを否定するものでもないと思います。
何の進化においても、進化は目的を持って起こるものではなく、simplestな形で進んだ進化の内容に直面した生物が、それらを (使用に最適なものではないにせよ) あるもので頑張って用途に間に合わせる、というストーリーとして理解しています。

19. para. 6 ll. 3-6: Mergeの適用を受けるconcept

We need only add that the primitive elements of the system are
elementary concepts. Elaborated by Merge, these become phrases. Translating straightforwardly to event semantics, these phrases would be the syntactic exponents of participants in events.

elementary conceptsがMergeを受けphraseを作り、それがeventの参与者になる順序が示されています。elementary conceptsについてはあまり述べられていませんが、rootが対応するのかなと思います。Halle and Marantz (1993) のDistributed Morphologyの考え方を取り入れ、名詞や動詞はcategoryが未決定のsemantic rootとcategorizerがMergeすることで作られます。この考えでは、$${see}$$と$${sight}$$は同じsemantic root $${√SEE}$$からなり、categorizer $${v}$$とMergeすると$${see}$$、$${n}$$とMergeすると$${sight}$$となります。このようなconceptから、動詞の表すeventの参与者になれるphraseが作られます。例えば$${people  who  you  know  well}$$のようなphraseです。phraseとpredicateがMergeして、(argument levelの)イベントを表す$${v\rm{P}}$$レベルが構成されます。

20. para. 8 ll. 1-3: Mergeの種類

There are two logical possibilities for Merge of X and Y: either the two are distinct, or one is a term of the other – where A is a term of B if A is a member of B or a member of a term of B.
reviewその②でformalな形で導きましたが、全く無関係なもの同士をMergeするのがexternal Merge、一方がもう一方に含まれている (メンバーになっている或いはメンバーのメンバー(のメンバーの…) になっている) 場合のMergeがinternal Mergeと呼ばれます。

次回で終われると良いなと思います。

References

Berwick, R. C. and N. Chomsky (2017) $${Why  Only  Us:  Language  and  Evolution,}$$ MIT Press, Cambridge, MA.
Cheng, L. (1991) $${On  the  Typology  of  Wh \text{-} Questions,}$$ Doctoral Dissertation, MIT.
Chomsky, N. (1995) $${The  Minimalist  Program,}$$ MIT Press, Cambridge, MA.
Chomsky, N. (2021) "Minimalism: Where Are we Now, and Where Can we Hope to Go,” $${Gengo  Kenkyu}$$ 160, 1–41.
Halle, M. and A., Marantz (1993) "Distributed Morphology and the Pieces of Inflection," $${The  View  from  Building  20:  Essays  in  Linguistics  in  Honor  of  Sylvain  Bromberger,}$$ ed. by K. Hale and S. J. Keyser, 111–176, MIT Press, Cambridge MA.
Hauer, M. D., N. Chomsky & W. T. Fitch. (2002) "The Faculty of Language: What is it, Who Has it, and How did it Evolve?" $${Science}$$ 298: 1569.
池内正幸 (2022) 『新・ヒトのことばの起源と進化』開拓社
Roberts, I. (2019) $${Parameter  Hierarchies  and  Universal  Grammar,}$$ Oxford University Press, Oxford.
遊佐典昭 (2018) 『言語の獲得・進化・変化: 心理言語学、進化言語学、歴史言語学』開拓社


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