見出し画像

”読書の秋”・・・本を読むこと

10月初めとは思えない暑さから始まり、ようやく涼しくなる気温になったかと思えば、前日との気温差からなのかむしろ寒さすら感じる近頃の季節。

頭の中で秋を連想させると、”読書の秋”というワードがパッと出てきた。

私は秋だからといって特別読書に邁進するわけではなく、好きなタイミングで自分がこれだと思った本しか読まない。ふらっと本屋に立ち寄り、ふらっと目に映った本を手に取り、ビビっと来た本をその場の勢いで買うことがほとんどだ。

読書についてnoteを書こうと思い当たってから、自分の読書歴・過去を思い出してみて一つ気づいたことがある。

読破した本の数はさして多いわけではないが、携帯の電波が入らない職場での昼休みのお供に本を読んでみたり、何かとスキマ時間が出来ると本を手に取る位には”読む機会”は多いんじゃないかということだ。

また、少年時代の苦い思い出も、少し顔を出してきた。夏休みの宿題・受験勉強に少し飽き飽きしていた頃、勉強の休憩も兼ねてポータブルゲーム機で遊んでいた。勉強の様子が気になるのか、親が自分の部屋へ入ってくることがあった。こっちは休憩中と考えていても、向こうからしたらその時目にした状態ですべてを判断するため、当然ゲームなどしていれば怒られる。そんなことは分かっていたので、部屋へ近づく音が聞こえてきたら急ぎゲームを隠し、勉強の休憩でも文句を言われないような”本を読んでいる”状態を作り出すことで、勉強中でも休憩中でも、親に文句を言われないような行儀のいい子供を演じ続けてきた。読書をしていれば勉強から逃げることが出来、親からの注意を回避できる便利ツールだと、当時の自分は疑いもしなかった。

十五少年漂流記、東京タワー、某戦場カメラマンの自伝、自己啓発書・・・”逃げの読書”とはいえ、いろいろなものを読んだなと振り返れば思う。内容はただ読んでいたからか、そのほとんどはもう覚えていない。

そんな思い出がまだ頭の片隅にあるのか、読書をするという行為が”逃げ”や”回避”の行動に結びついてしまっている自分は、社会人となった現在でも”逃げの読書”を続けてしまっている節がある。

やりたいこと・やらなければならないことにどうしても取り組むやる気が起きない時(むしろそんな時ばかりなのが何とも笑えない話なのだが)ほど、とりあえず本を読んで目の前のことを忘れようとする。

何も考えず、ただ本の世界に没頭できるのは読書の良いところであり、面白いところである。

私は紙媒体の本が好きだ。タブレットなどにひとつにまとめて持ち運んで読めるという点では電子書籍はとても便利で、「使いたい!」と常に思ってはいるのだが、紙をペラペラめくる瞬間は私がワクワクする瞬間ランキング上位に位置するという、ある種宗教上の理由からどうしても乗り換えることが出来ない。

しかし紙媒体の本は置いておくにも部屋のスペースを取るし、私の悩みの種のひとつであることは間違いない。

令和最初の秋の季節。何でも令和最初で片付けるのは幾分いい加減ではあるが、何かを始めるいいきっかけであるのは間違いないだろう。本屋さんやインターネットから面白そうな本を見つけるもよし、入りやすいところで言えば、SNSやインターネット記事から探してみるのもいい。この季節だからこそ、形式が何であれ文字に触れてみることに時間を費やす秋もきっと楽しい。本一冊読み終わるころに外に出れば、吐いた息がうっすら白くなっていたりして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?