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墓参りに行けなかった、ただの12月の週末の日記

12月の中旬の週末は、毎年友の墓参りに行くのだけれど、共通の友達のしめちゃんと話し合って延期することにした。
新型コロナの感染拡大もあって、
「今はやめておこう」としめちゃんから言われた。
その後に、私の職場にコロナの陽性者の濃厚接触者やPCRの検査待ちの人が複数出てしまったから、延期して良かったとは思う。私よりも神経質なしめちゃんに不安な思いをさせたくないから。
私の友達でありしめちゃんの友達であるあの子があの世に行ってしまい、墓という仮の住まいみたいなものが山の上に出来てから、もう15年。
毎年、年に3回必ず墓参りに行っているが、延期したのは2回目だ。
延期した1回目は、墓が出来てすぐの年のあの子の誕生日近辺で、その時は私がインドを数ヶ月放浪していて帰る日を決めていなかったから、帰国してから行こう、としめちゃんに私から頼んだ。それから帰国してすぐにしめちゃんと2人で行った。
それ以外は、私とあの子の誕生日の5月末、8月のお盆、あの子の命日としめちゃんの誕生日の12月中旬の、年に3回の墓参りを欠かしたことはない。
当たり前のように自分たちが年老いて動けなくなるまでは必ず5月と8月と12月に行くものだと思っていたから、思わぬ理由で行けなくなることがあるとは思ってもみなかった。
ぽっかり空いた週末、風呂掃除をして、業者を呼んで排水溝を高圧洗浄してもらったり、1人鍋を作ったり、しめちゃんとメールをしたりした。
しめちゃんと私は、会わずに、いつものように職場の愚痴をLINEで伝え合った。
しめちゃんの会社は残業規制で残業ができなくなっていて、自分は一日中猛スピードで仕事をこなしているのに、1番仕事が追いついてない男が残業をしまくって残業代を稼いでいる、そしてその人の分のやれていない仕事が回ってきてこっちが後始末をしないといけない、仕事の速いやつばかりに仕事が回ってきて仕事倍増、残業代はゼロ、ボーナス減少、と畳み掛けるように私に今の現状を伝えた後、しめちゃんはLINEの最後を
「ほんましばいたろか」
と締めていた。
あかんあかん。
しめちゃんを怒らせたら本当にしばかれるよ、誰か。
「誰からしばく?」
とさりげなく聞いたら
「会社。いっそのこと会社、倒産したらええわ」
と即座に返事が来た。
せやな。会社やな、悪いのは。
そう言いながらも、しめちゃんはいつも誰よりも一生懸命に仕事をしているのは分かっている。
息抜きにヤサグレ会をやらないとお互いにそろそろヤバいなと思っていたら、
「ヤサグレ忘年会したいね」としめちゃんから来た。
ヤサグレ会は、毎月、居酒屋で7〜9時間コースで2人で喋りまくる会だが、もう長いことやっていない。
「職場でおもろない人とばっかり喋ってるからおもろなくなってるかも知れへん。それに口も回るかな。ヤサグレ忘年会まで早口言葉練習しとくわな。」と私が返事したら、
「ゆっくりでいいさ」
と、しめちゃんにしては珍しく、何故かとても気取った返事が来て、何となくほっこりした。

それから、しめちゃんがマンモグラフィーをしに行ったと報告。しめちゃんも私も胸に石灰化があるからお互い少し不安なのだ。
私は石灰化のある場所と胸の内部の種類的にマンモよりもエコーの方がいいと言われてから、マンモはやめてエコーの検査だけにしているが、マンモは地獄の検査だ。
男性は知らないかも知れないが、マンモの検査とは胸を板2枚で挟んでペッタンコにしてお餅みたいに引っ張ってじっと立たされて写真を撮る。
この令和の時代に、なんであんな拷問のような検査方法がまだ続いているのか謎だ。私が科学者なら何よりも早くマンモグラフィーに代わる検査を開発してあげたい。今はその前にコロナのワクチンかも知れないが。
しめちゃんは前回男の医者に「痛いねー」と笑いながら言われてブチギレていた。「お前に何が分かるねん。お前のイチモツここに置いて挟んでみろや。絶対死ぬぞ」と言いそうになったらしい。言わないのが大人のしめちゃん。大人で良かった。

しめちゃんから「マンモ、痛すぎて笑った」との報告が来た。「縦よりも横挟みの方が痛いということが今回分かった」という冷静な報告と、「終わってから笑いながら胸を揉むと痛みが和らぐよ」という謎のアドバイスがあって、
「笑うことによって、痛みがまぎれる。」
という名言をしめちゃんからいただけた。
ほんと、そうだよな。深い。

それから、焼売を写真に撮ってしめちゃんに送った。

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「焼けてるやん」
「せやで、トースターでカリッとさせるように焼いてん。
あの子の家で昔食べたやつ風にした。」

昔、あの子の家に中学校の頃遊びに行った時、あの子のお母さんとあの子と私と3人でごはんを食べた時に出てきた焼売。
なんとトースターでカリッと焼いてあったのである。
食べ物がパリッとしてたりカリッとしているだけで美味しいと思いがちな、まだ中学生の私は、めちゃくちゃ驚いた。
28歳の頃にあの子の家に遊びに行った時も焼き焼売が出てきたが、同じように美味しかった。
それは、お腹の調子が悪くなって入院したあの子が退院してしばらくしてから「実は癌やってん。手術して取ってん。」とあの子が言った夜。
あの子のお母さんが大量に焼いた焼売をテーブルに持ってきて、「そうなんや」と私が言って、3人とも大したことないよというフリして、笑いながら「美味しい!」と言ってパリパリと焼売を食べた。
だけど元気な姿はそれが最後で、すぐに転移が見つかり焼売の半年後に何も食べられなくなってそのまますぐに逝ってしまった。
あの子を思う時、時々この焼き焼売が食べたくなってトースターで焼く。
命日が近いし久しぶりに焼売を焼いた。

「ああ。でもあの子の家のはグリーンピースがのってる焼売やったな。」
しめちゃんからそう返事が来てびっくりした。

そうそう、そうだった。忘れていた。
しめちゃんって人は、いつも私と少し違う妙なパーツを覚えているから良い。しめちゃんも食べたことがあるらしい。出来合いの焼売をトースターで焼くだけのあの子のお母さんの料理の登場頻度にも笑ってしまうが、あの子のお母さんはシングルマザーで忙しく働いていたから、手抜き料理に助けられている今の私にはある程度理解できる。

しめちゃんと私とあの子の3人で遊んだことはない。
私とあの子、しめちゃんとあの子はそれぞれ親友同士だったけど3人での思い出はない。
だけど、私と同じようにあの子と過ごした時間がしめちゃんにもあって、その時間は私とは全く違うもので、当たり前だけどそれはしめちゃんとあの子だけのもので、だけどこのヘンテコな「焼き焼売」が、私の思い出としめちゃんの思い出と全く別の時間なのに同じ思い出のような、行き来できる架け橋にしてくれた。
あの子が生きていた時間の思い出を、私と同じように大切にしている人がいること、その人と友達になれたことがとても嬉しかった。
そして今年もやっぱりあの子がもういないことが、まだ悲しかった。

しめちゃんが「しばいたろか」と何かに怒っていても、一緒に墓参りに行けなくても、私たちが何かに心を痛めてそれを紛らわせるために笑っているとしても、私たちは生きてるんだなあと思える。今はそれだけ。


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