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キャンディーズが教えてくれたこと

キャンディーズが教えてくれたこと (その1) 

共感を得るということ

1977年7月の日比谷野外音楽堂でのとつぜんの解散宣言は正直いってその時点では無謀だった。渡辺プロとの交渉が進展しない中での思いあまっての行動であったが、普通に考えると勝機はほとんどなく、やもすればただの身勝手な行動とも取られかねない危険な賭けだった。ところが、その後の顛末は皆様もご存知のとおりである。キーとなったのはそれまで彼女達が本当に誠実に仕事に取り組んでいたため、業界内(番組スタッフや雑誌編集者)に彼女達の思いを理解する大勢の味方がいたこと、そして最初は突然の話に茫然としていたファン(全キャン連など)がこれを「裏切り」とはとらえずに「彼女達の希望をかなえる」の一点で信じられない結束をしたこと。一見無茶とも思える行動がすばらしい”共感”を得て、最高の結果(ファイナルコンサート)に結びついた”奇跡の9ヶ月”は実は必然でもあった。"共感を得る”というのはこういうことなのだ。

キャンディーズが教えてくれたこと (その2) 

キャリアを決めるのは意思であること

同じく1977年7月の解散宣言になった元となったのは、結成時に3人が誓った「3年間は必死でがんばる」という約束であった。よく人気絶頂での解散宣言と言われるが、宣言時には頂点というよりはどちらかといえばやっと上り調子気味という程度というのが事実だ。事務所としてはこれから投資回収という考えが強かったはずだし、普通に考えると彼女達自身も頂点を目指すというのが常套だ。ところがキャンディーズは違った。なぜならば彼女達のキャリアの目標は上述のように「3年間がんばる」だったからである。そしてその後は”普通の女の子に戻りたい”と考えたからだ。これが”意思の力”である。本当は彼女達の性格からすると「迷惑をかけることになる」という考えも頭から離れなかったに違いないし、事実そのように悩んだ末の解散宣言ではあった。でも最後は”意思”が勝った。これがキャリアを決めるということの本質である。

キャンディーズが教えてくれたこと (その3)

 人が人を思う気持ちがもっとも尊いということ

キャンディーズの解散宣言時は私は12才だったので、この”奇跡の9ヶ月”の実感は当時は全くなかった。ただ「春一番」以降のシングルはどの曲も口ずさむくらいに好きで、またテレビの「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」でのコメディエンヌぶりがあの「電線音頭」とともに子供の頃の思い出として残っている。一番覚えているのは当時の”明星”という雑誌に載っていた(と思う)、「微笑がえし」のエピソード。解散前に未だオリコン1位を取ったことのなかったキャンディーズのために、阿木曜子さんが渾身のアイディア(過去のシングルのタイトルを歌詞で綴る)で作詞したこと、それを実現するために2枚、3枚と買う(当時はありえない)大学生のお兄さんたちがいることなどが書いてあり、なんだかすごく感動した記憶がある。これは今のAKB48のシングルを何枚も買うオタクたちとは本質的に違う行為だ。前者は”本当に好きな人のため”であるが、後者は”好きな人のために買う自分が好きなため”である。昭和を無駄に美化するつもりはないが、それでもやっぱり昭和はまだ”人が人を思うこと”を素直に表現できたという良さはあった。

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