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ハンバーグ

「あ、猪川いかわだ」近所の川の堤防の上を歩いていたオレは、親しくもない同僚を見つけて呟いた。部署は違うが、面白くない工場勤務に耐えているという点においては同志だし、たまに聞こえてくる猪川が変人だとの噂を思い出して、オレは猪川に近づいて行く。

 日曜日の昼前の河川敷にはそれなりに人が行きかっている。中学や高校の部活のランニング、老夫婦の散歩、小さな子供を連れた幸せそうな夫婦……、充実や充足、夢や希望といった明るいモノで満たされた彼らの往来の中で、一人ベンチに座っている猪川は異質な存在に見える。
 堤防の上から河川敷に続く階段を下りながら、オレは川を見、河川敷の人々を眺め、ポツンと座っている猪川を注視する。変人という噂はどんなものだったか。ま、変人であろうがなかろうが、相性の合う合わないは必ずあるし、ちょっと喋ってみて、そういう事を自分で確かめるのは有意義なことだろう。

「よぉ、猪川」十分に近づいたオレは声をかける。
「え、えーっと……」猪川はオレを見ながら困惑した様子でそう言った。
「あぁ、スマンスマン。自己紹介もした事なかったかもな。部署は違うが、同じ工場で働いている田中だ。よろしくな」
「あ、あぁ……そうだったんですか。スミマセン、存じ上げなくて」
「あぁ、いいさ。部署も違うし入社時期も違う。知らなくても謝る事じゃない」
「はぁ、はい」
「突然話しかけて悪いな。一人で何してるのか気になってな」そう言いながら、オレは猪川の隣に腰掛ける。猪川の右手には箸、左手には弁当箱。そうか、昼飯を食っていたのか。「スマンな、昼飯時に邪魔をしてしまって」なんとなく、オレは謝る。
「いえ、いいです」そう言いながら、猪川は箸を口に運ぶ。何気なく見てみると、猪川の弁当箱にはぎっしりと炊いた白米が詰まっていて、中央に溶けかけのバターが載っている。
「変わったスタイルの日の丸弁当だな」オレは率直な感想を口にした。
「……、田中さん」
「うん?」
「最近、高級なステーキなんかをワサビで食べる、みたいな事をテレビで見たりするんですけど……」
「あぁ、あるね、そういうの」
「あんなのを見る遥か以前から、僕はスライスベーコンを炙って、そいつにワサビをつけて食べたりしてたんです」
「え、あぁ、うん」相槌を打ったはいいが、いったい何を言っているんだ、猪川のヤツ。
「僕の朝食は二択です、納豆とごはんか、もしくは、そのワサビベーコンとごはんか。貧乏暮らしですし、あまり贅沢出来ませんから」猪川は淡々と話す。
「そ、そっか。うちの給料、安いもんなー。お互い、大変だな」
「それでね、その、高級ステーキにワサビっていうのを見た時思ったんですよ。そのステーキと、僕のベーコン、値段は千倍くらいの開きがあるかも知れないけど、味の系統は同じで、味そのもののレベルに千倍ほどの開きはないぞ、と」
「あ、あぁ、うん」何を言い出すんだ、猪川。猪川の意図が見えな過ぎてオレは生返事を繰り返す。

「味の系統っていうのは確実に有って、上質だとかリーズナブルだとかって差がそこにはあるかも知れませんが、飢えに飢えて『なにか食べ物を……!』ってなった時に、口にするのが高級ステーキであってもスライスベーコンであってもそこに差は無いと思うんですよね」
「ま、まぁ、飢餓状態にいきなり脂っこいものはどうかと思うけど」猪川の不思議な情熱に飲み込まれないよう、オレはなんとか反論を試みる。
「あぁ、それはそうですねぇ」猪川はそう言って、白米を口に運んで咀嚼する。
「な、なんか猪川のアツい気持ちが伝わってきたけど、それは、その変わった日の丸弁当と何か関係があるのか?」オレはおずおずと質問してみる。
「あぁ。順序立てて話した方がいいかと思って遠回りしましたけど。味って、要素で分解できると思うんですよね。肉の旨み、脂っこさ、脂の甘み、ワサビの刺激……、これらに色んな付加価値を山盛り載せたら、一食数万円のワサビで食べるステーキですし、付加価値を削り倒したら、僕のワサビベーコンだと思うんです」
「なるほど。面白い見方だな」うんうん、面白いヤツじゃないか、猪川って。
「で、味を要素で分解して、自分なりの落としどころを見つけたら、食事というのがもの凄いワンダーランドになったんです」
「うんうん」何を言っているのかはよく分からないけど。
「田中さんには変な日の丸弁当に見えていると思いますが」
「変なっていうか、……あぁ、なんか、ごめん」オレは素直に謝る。
「僕は、今日は、ここで、ハンバーグをおかずにメシを食べてるんです」
「え?」オレは再度猪川の持っている弁当箱を見る。もう溶けきってしまいそうなバターの欠片と溶けた黄色が見えるだけで、あとには炊かれた白米が入っているだけだ。何を言ってるんだ、コイツは。
「今日のおかずはハンバーグなんです」猪川はそう言いながら、ゆっくりと箸でつまんで、ゆったりと白米を口に運ぶ。何を言っているんだ、コイツ。

「焼き肉屋で出てくるのって、大別すれば、筋肉か、脂肪か、もしくは内臓ですよね」
「あ、あぁ。そうだな」
「そう。僕らが普段肉って言っているのは筋肉なんですよね」
「……」何を言い出すのだ、この猪川という男は。返す言葉が見つからない。
「そして、ハンバーグっていう料理は、肉と野菜と繋ぎの卵や小麦粉なんかで成り立っている料理ですよね」
「う、うん」
「肉……、筋肉と、野菜……、植物。この二つの要素がこの河川敷にはたっぷりあると思いません?」猪川はそう言いながら箸で白米を口に運ぶ。その目線の先には中学か高校かは分からないが、どこかの学校の女生徒……半袖に短パンの運動部部員と思しき女の子が走っている。猪川が見ている場所が正確にどこなのかは分からないが、走っている女の子のむき出しの腕や足を見ているとしか思えない。ヤバいぞ、コイツ。ランニング中の女子をハンバーグの素材として見てやがる。
「味を要素で分解できたら、今度はその要素だけを脳に入れる事で味わう事も出来るんです。素晴らしいでしょ?それが出来たらおかずは無限だし、また、味を要素で分解して、それらを自分なりに色々混ぜるシミュレーションを頭の中ですることで、新しい料理を生み出す事も出来るんです。この特技はミシュランの星を持ってるシェフにも負けませんよー」
「そ、そうかー。それはスゴイな……。あー、オレはそろそろ行くよ。邪魔して悪かったな」そう言ってオレは立ち上がり、猪川に背を向け歩き出す。嬉々として語る猪川の言葉は大してオレの頭には入ってこなかった。

 思った以上の変人であった同僚に対しての嫌悪感が、どんどんオレの中で膨らんでいく。

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 それから、数か月が過ぎ、風の噂で猪川が工場を退職しただとか、クビになっただなんて話がオレの耳に入って来た。オレが猪川の上司に猪川のヤバさを何度も話した事が原因かどうかは分からないが。

 猪川は間違いなく変人の部類だろうが、実際に事件を起こした訳ではない。少なくとも、ヤツが警察に捕まっただとか、近所で謎の失踪事件が起きただなんて情報はオレの耳には入っていない。オレは僅かな罪悪感を覚えながら、今日は近所の商店街を歩いている。

 すると、やけに賑わっている店が目に入って来た。オレは吸い寄せられるようにその人だかりに近づいて行く。多くの人だかりで繁盛しているその店の看板には【精肉とお惣菜 ミートショップやまはる】と書いてある。遠巻きにその店を観察していると、店内に白い帽子を被った猪川の姿を見つけた。
「い、猪川!?」思わず大きな独り言を上げて、オレは店に近づく。
「あぁ、田中さん!」オレに気付いた猪川がにこやかにオレに会釈する。
「え、オマエ、どうしたんだ。こんなところで」
「僕、この店の一人娘と結婚したんですよ。入り婿ってヤツです。それで、今はここで働かせてもらってるんですよ」とても充実した、生き生きとした表情で猪川はオレにそう言う。
「ん?アキラくんの知り合いかい?」すぐ傍でせわし気に働いていた五十代くらいの男が話に加わって来た。
「えぇ。前の会社の同僚だった田中さんです。友達のいなかった僕に話しかけてくれたいい人です」猪川はその男性にそう言った。猪川の名前がアキラだと知らなかったオレがいい人かどうかは別にして、この男性はもしかしたら、猪川の義理の父になる人なのだろうか。
「いやー。アキラ君がうちに来てくれて、肉の目利きから、新しい惣菜の開発から色々と頑張ってくれているおかげで、繁盛しているよ。彼が来るまでは閑古鳥が鳴いてるような店だったのに」
「いやいや、閑古鳥は言い過ぎですって!」義理の親子はオレの前でそんなやり取りをしている。
「田中さん、アキラくんが世話になったようだね。どうだい、今のうちのイチオシのハンバーグをもって帰らないか? アキラくんが開発したこのハンバーグは美味いぞぉ。なぁに、お代は頂かないよ」
「は、はぁ……」オヤジさんの勢いに圧倒されるまま、ハンバーグが入った袋を手渡される。真空パックに入ったミンチの塊が二つ、袋の中には入っている。
「フライパンにバターを溶かしてその上で焼いてもいいですし、サラダ油なんかで焼いても美味しいですよ!僕のオススメは、テフロンの効いたフライパンで油をほんの少しだけ引いて、弱火でじっくり焼いて、青じそドレッシングをかける、ってヤツですけど、どんな食べ方をしても美味しいですよ!」猪川が嬉しそうに爽やかに言う。
「あ、あぁ。ありがとう」そう言って、オレは彼らに背を向けて歩き出す。
 十メートルほど歩いた後に、オレは振り返って店の中をぼんやりと見つめる。そこには楽しそうに働く猪川とオヤジさん、そして、その傍らには若くてかわいい女が笑っている。そうか、あれが、猪川の結婚相手か。

 オレは一人でトボトボと商店街の道を歩く。才能、努力、適正、出会い、キッカケ、適材適所、挑戦、理解者、愛する者と愛してくれる者……。そんな言葉がぐるぐると頭の中で回る。
 河川敷で聞いた猪川の言葉はただただ不気味だったが、猪川は別に猟奇的な犯罪を犯す訳でなく、味覚の世界に耽溺していただけだったのかも知れない。
 そして、味覚の世界を自在に泳ぐ術を持っていた猪川に、その才能を開花させる出会いがあって、アイツは才能を如何なく発揮し、努力を重ね、婿に入った店を繁盛させている。

 それに対してオレはどうだ。安月給に不満を募らせながら、誰にでも出来る仕事を与えられて、それをただこなす日々。仕事に情熱を注ぐ事もなく、時には同僚の悪い部分を大げさに上司にチクったりもする。なんだ、これは。なんなんだ、オレは。

 オレはパチンコ屋に入り、ゴミ箱にハンバーグを放り込み、騒音と電飾で騒がしい狭い道を歩く。

 その両脇にまばらに座っている人たちの人生を根拠なく想像しながら。

 -終-

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