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はじめまして。池田哲子(のりこ)です。


株式会社咲美堂(しょうびどう)で代表取締役をしております、池田哲子(のりこ)と申します。

2008年から薬膳の講師の仕事を始めて、2013年からは漢方薬店で漢方カウンセラーもしています。

「薬屋を経営しています」と言うと、「薬剤師を目指して勉強されたのですか?」とか「ご実家が薬局かお医者さま?」と言われますが、まったく違う世界から医療業界に入りました。

その経緯について、書かせていただきます。

1.人生を変えた病気「子宮内膜症」

元々、まったく目立たず「病弱な子」というイメージがある人でしたし、高校の体育の授業は見学していることが多かったです。

そして、今から17年前の32歳のときに、私の人生を変える病気になりました。

その病気の名前は「子宮内膜症」です。

月にいちどの生理痛が、毎週のように起こり、そのうち週に数日、そして毎日…と痛みがひどくなって、動けなくなったのです。

それまで生理痛なんて無縁で過ごしていたので、どんどんひどくなる痛みが怖くなってきました。

WEBや本で調べていると、「どうやら子宮内膜症っぽい」ということが分かりました。

私は、「病院に行けば治るだろう」という軽い気持ちで病院に行きました。

いろいろな検査を経て「あなたの病気は子宮内膜症です」と言われて、正直ちょっとホッとした気持ちもありました。

でも、次の瞬間に私は耳を疑ったのです。

2.「治らない」病気

「この病気はねぇ…治らないんだよねぇ」と目も合わせずに医師から言われたのです。

私は言葉が出ませんでした…。
病院は病気を治してくれるところで、医師は病気を治してくれる人だと思っていたからです。

「治療をするとしたら…」と3つの選択肢を告げられました。

(1)手術をする
(2)妊娠、出産をする
(3)ピルで生理を止める

(1)の「手術をする」は、すぐに却下されました。

なぜなら、私の病巣は骨盤内に点在していて、手術をしても3ヶ月以内に再発率が95%だったのです。

(2)の「妊娠、出産をする」は、今すぐどうこうできることでもないですし、そもそも子供ができにくい体です。

しかも、その半年前に私は元夫のDVが原因で離婚したばかりだったので、再婚する気はなかったのです。

仕方なく、(3)「ピルで生理を止める」を選択してお薬を受け取りました。

3.人生を諦めた瞬間

お薬を飲みだして数日後、私は自分の体の異変に気付きました。

まったく動けないのです。
身体機能的にではなく、やる気がまったく出ない…。

仕事にも行けない、痛みはなくならないからずっと痛み止めを飲む、トイレにも行けない、食欲もない…。

病院で言われた病名は、「薬の副作用によるうつ病」。

「どうしますか?お薬を飲めばこの状態は続きますが、痛みは治まる可能性はあります」という医師に対して、「飲まなければどうなるのですか?」と尋ねました。

「痛みはひどくなります」

その答えに、何も言えませんでした。

それでも、何とかしたくていろいろな病院を探して、5件目の病院に行ったときに、生きる意味が分からなくなったのです。

検査を終えて診察室に入り、内診を受けるために診察台に座ったときのことです。

壁1枚向こうの診察室から、「ご懐妊です!おめでとうございます!!」「うゎ~!嬉しい!!」という会話が聞こえてきました。

激痛と戦う日々を過ごしている私と、人生最大の喜びの瞬間の誰か知らない人…。

このギャップに耐えられなくて、泣きながら診察室を出ました。

廊下で泣き崩れる私に母が駆け寄ってきて、「お母さん、もう嫌だ。帰る…」と言うと、「そっか。帰ろう」と言って抱きかかえるように支えてくれて病院をあとにしました。

4.毛布だけが友達の日々

毎日激痛で、寝ているときにも痛みで目が冷めて、叫ぶたびに母が部屋に来ました。

あまりにも痛がるので母が救急病院に電話をしても、「生理痛では受け入れられません」と言われるばかり。

「娘がこんなに苦しんでいるのに、なんで見てもらえないんですか!!」と母も泣きながら電話に向かって叫びます。

さすがに我慢できず、「もう嫌だ。死にたい…」と何度も言いました。

家にいても、仕事に行っても、常に側には毛布があり、痛くなったら痛み止めを飲んで呼吸が止まりそうなほど苦しみ、意識を失って寝る…ということの繰り返しでした。

5.希望の光が見えたとき

眠れずに夜中にネットサーフィンをしているときに、「漢方薬で子宮内膜症が治る」という記事を見ました。

病院の先生に「この病気は治らない」と言われたのに、「治る」という文字。

意味が分からず、何度も何度も読んで、神戸で見てもらえる病院を探しました。

翌朝、電話をすると予約日は1ヶ月後…。

本当に辛いことを言っても、どうしようもないと言われて、1ヶ月待つことにしました。

そして診察の日、私は今までの辛さや病気を4枚の便箋に細かい字で書き、受付で渡しました。

完全に病院不信になっていたので、読んでくれないと思っていました。

名前を呼ばれて診察室に入ると、そこにはかっぷくの良い肝っ玉母さんとはまさにこの人!という感じの女医さんがいました。

「池田さんね。お手紙読んだわよ」という一言で、もう号泣…。

「先生…私、治らないんですか…」と聞くと、「治るわよ~!!あははは~!!」と私の肩をバシッと力強く叩いたのです。

「ただし、あなたは本当に重度だから、3年掛かるわよ。大丈夫?」と言われて、ただ頭をこくりとしたことしか覚えていません…。

お茶袋のようなものにパンパンに入った生薬パックを煮出して飲むように言われました。

6.未知の世界への扉

指示通り煮出していると、ものすごい臭いが漂ってきました。
まさか…と思って近づくと、漢方薬から発していることは間違いなく…。

コップに入れて一口飲んでみると…無理…。

でも、「これを飲んだら治る」と信じて口にするものの、「この世にこんなにまずい液体があるのか」と思うほどまずくて、たった100ccを飲むのに1時間も掛かりました。

「これを3年間…」と思うとちょっと心が折れそうになってしまい、「本当に効くのだろうか」と不安になって調べてみることにしました。

そこで見つけたのが、漢方スクールでのセミナーです。

「この薬を飲めば治るのか」を知りたいだけだったので、漢方薬パックを握りしめて「いつ先生に聞こうか…」とものすごく斜に構えて受講していました。

でも、15分ほどが過ぎたとき、私の手からスルスルと漢方薬パックが落ちたのです。

「私は、治る」と確信できたのです。

7.完治。そして、いま

それから、すべてのセミナーを受講して「自分がなぜ病気になったのか?」が分かりました。

半年間はほぼ変化はありませんでしたが、1年後には痛みとうまく付き合えるようになり、本当に3年後に完治しました。

人生のどん底から助けてくれた漢方医学を知ってほしい。

そう思っても、私は社長秘書やWEB・DTPデザイナーの経歴しかなく、医薬品を取り扱える免許がありません。

でも、「食べ物だったら伝えられる!」と思い、薬膳セミナーをはじめました。

それが、2008年です。

たったひとりのお客様からどんどんスクールが大きくなり、2013年に「やはり私の命を救ってくれた漢方薬を扱いたい」と思い、登録販売者の資格をとって漢方薬店を開店しました。

現在、神戸市中央区で漢方薬店と薬膳スクールを併設した店舗をしています。

漢方カウンセラーとして症状で悩むお客様の話を聞いて投薬をし、薬膳講師として社内・社外のセミナーや講演会などで薬膳のお話をしています。

8.私の夢

私の夢は、「私の仕事がなくなること」です。

私が伝えなくても、みんなが普通に薬膳を知っている世の中にすることが目標です。

薬膳で心を体が整えば、笑顔になれます。

自分が笑顔になれば、周りの人も笑顔になり、家庭、学校、コミュニティーで笑顔が増えます。

そうすれば、いじめや孤独死がなくなります。

みんなが笑顔で過ごせる世の中にしたいです。

子宮内膜症で苦しんでいる間、私には笑う時間がありませんでした。

だから、咲美堂に関わるすべての人々の「笑顔の花を美しく咲かせる」ことを経営理念としました。

私一人では、すべての方に薬膳を伝えることができません。

薬膳を伝える人を増やすために、これからも活動を続けていきます。

良かったら、仲間になってください。

長い長い文章を最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

株式会社咲美堂
代表取締役 池田哲子(のりこ)

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