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土曜日生まれの女の子、水曜日、火曜日生まれの男の子

今の時代、土曜日生まれや日曜日生まれの新生児の割合は以前よりも減っているのだろうか。
はまざ家は
・父と長女が土曜日生まれ
・母と長男が水曜日生まれ
・次男が火曜日生まれ
である。
曜日が同じなのは偶然だろうが、はまざ父と長女、次男は自然分娩、はまざ母は無痛分娩、長男は陣痛促進剤を使っての自然分娩だった。

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長女の生まれた日

長女の出産時は金曜日の午前に破水してしまい、歩いて病院に行った。
誰も付き添わず、たった一人で来院した私を見て、
病院の方々はひどく驚いていた。
次の日の明け方産気づき、分娩台に上がった。
だが土曜の早朝のせいかただでさえ人手が少ないうえに、
ちょうど朝食の配膳準備などが始まり、
そのまま取り残されてしまった。

その後すぐに子どもが生まれそうになり、
大声で何度も看護師さんを呼んだが、誰もなかなか来ない。
生まれてしまわないように必死でこらえていたことを今も覚えている。
ようやく長女を取り上げてもらったあと、
白衣を慌ててひっかけながら医師が駆け込んできたのが見えた。

私がこらえていたせいかわからないけれど、
母子手帳の「分娩の経過」を見ると

前期破水 
弛緩性出血(出血量 多量 860ml)
羊水混濁 
臍帯巻絡頭部1回

とあった。
長女はさぞかし苦しかっただろう。
ちなみにこの日の天気は大荒れだった。
朝方曇りで昼が土砂降り、
けれど、やがて止み、
夕方には本当にきれいな夕陽が見えた。
翌日見舞いに来た夫と天気のことを話し、
「この子の一生を象徴しているのかもしれないけれど、最後にあんなきれいな夕陽なんだから、きっといい一生だね」
といったことを話した記憶がある。

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長男の生まれた時

長男の時は、予定日を一週間以上過ぎても生まれなかった。
医師から陣痛促進剤の使用を打診された。
私がなるべく薬を使いたくない旨を話すと、病院は1日待ってくれた。
けれど、2日目に「これ以上は子どものためにも」と説得され、承諾した。
年配の看護師さんが何度も見に来てくださり、
「大丈夫」「大丈夫」と励ましてくださった。
午後2時ごろで、病院の管理体制は完璧。
医師が3人、看護師も7,8人いたと思う。
生まれた時、看護師さんの一人が
「羊水が澄んでいてきれい、床を拭けるくらい」
と声を上げたのがすごく印象に残っている。長女のことがあったから。
ちょうど、予防接種で来院していた夫と長女がガラス越しに見ていた。
看護師さんが生まれたばかりの長男をきれいにして、
抱いて2人に見せに行ってくれた。
長男も、長女と同じ病院で出産したが、こんなにも違うものかと驚いた。

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次男が生まれたころ

引っ越し後生まれた次男は、個人病院で出産した。
朝、陣痛が始まったので、複数のタクシー会社に電話したが、
みな出払っていた。
始発のバスの時間まで待ち、一人で駅前の産婦人科まで行った。
バスの中は混んでいて、立っていた10数分間が長かった。
病院に着いたら着いたで
上二人が陣痛後比較的早くに生まれたので、
なかなか生まれないのがもどかしかった
(と言っても、着いてから1時間ほどで生まれたが)。
そして、次男の場合は、生まれるときよりも生まれた後が大変だった。
と言うのも、夫が上二人を病院に置きっぱなしにした時間があったからだ。
たまたま病室が開いておらず、
次男出産後も陣痛室で過ごすことになった。
畳敷きで、子どもたちには過ごしやすかったのかもしれない。
それはともかく、子どもたちがいた時間が少し騒がしかったのだろう。
私は子どもがそばにいるのはうれしかったが…
出産した次の日に「もう、3人目だから、大丈夫でしょう」
と退院させられてしまった。
あんまり大丈夫ではなかったのだが、しかたがない。

みんな比較的大きかった

長女は3870gで54㎝、長男は3608g、
次男は予定より2週間ほど早かったが3200gだった。
ちなみに私の身長は148センチ。
この人たち、よく入っていたものだと思う。
3人目を妊娠中に医師がしみじみと
「あなたは、木でいうとリンゴやナシの木だ」
と言っていたことを思い出す。
だが大きく産んだからといって、
からだはそれほど大きくは成長しなかった。

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