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作家と作品の時間について話そう

2月15日(土)に恵比寿映像祭連携プログラム関連のトークショーを東京都写真美術館で開催しました。今回はMEMのギャラリーオーナー石田克哉さんと作家と作品について話をしました。私たちは15年の付き合いがあり、山あり谷ありのアートワールドを一緒に作ってきたのですが、今回はケイタイガールという作品を中心におおくりする対談です。

MEMのオーナー石田克哉さん

石田(以下i):私はこちらの東京都写真美術館から歩いて10分のところにあるナディッフアパートというビルの3階でギャラリーをしています。扱っているのは近現代美術で、絵画、彫刻、写真、ビデオを展示しています。今回恵比寿映像祭の地域連携プログラムの会場にもなっており、山口典子さんの絵画展「繰り返される物語」を開催しています。

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恵比寿のNADiff A/P/A/R/T

今回の恵比寿映像祭のテーマは時間を想像する、そしてこのトークも時間に関連あるテーマで、タイトルが「時間を比べる、作家の人生と作品」ということになりました。作家が生きる時間と作品が生きる時間は重なっていますが、作品の方は300-400年たっても生きながらえている、それは全く違う時間軸なわけです。私たちが美術の現場でその時間にかかわることを考えますと、作家が生きる時間を共に創造したり共有したりします。近代現代の作家になると時間を共有できず亡くなった方も多くいますが、その場合は遺族の方に会いに行き、残っている作品の調査や記録をして、周りのご縁の方にインタビューをとったりして、記録し、編集し、展示を行うまでが仕事です。一方、現代作家さんとは一緒に現場を同時代に作っていく。この活動で時間を共有するという作業になります。美術館も似たような仕事されていますが、画廊の場合ちょっとちがうのは、特定の作家の方と人生の長い時間にわたりおつきあいします。このような仕事を通じて美術史などの大きな時間に我々の仕事がつながっている、過去の時間を未来の時間につなげていくという仕事だと考えています。

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MEM.inc


展覧会を作り上げる画廊のお仕事

具体的に時間を想像する例をご紹介します。2018年から2019年に画廊で行った展覧会「浪華写真倶楽部3人展」です。浪華写真倶楽部は1904年に大阪で設立されました。現在でも活動を続け、日本のアマチュア写真団体では史上最長です。昨年から今年にかけて創立115周年記念の「浪展」を大阪、京都、神戸で開催しました。日本写真史上多くの重要な写真家を輩出しています。今回は、戦後すぐの浪華写真倶楽部の活動に注目し、主要な三人の写真家の展覧会の開催を企画しました。そのなかでも、焼け野原になった戦後の大阪で倶楽部を復興させた中心的写真家の津田洋甫さんの調査についてお話し致します。YHTD005のコピー

津田洋甫 「 椅子」1958年 ゼラチンシルバープリント

残念なことですが、私が調査を始める少し前の2014年に津田先生は亡くなられました。津田さんは日本各地の自然を撮る風景写真の巨匠として有名です。しかし、今回注目したのは、ほとんど知られていない、歴史的に重要だと思われる戦後50年代から60年代の前衛表現です。この作品は「回帰ーIRON(鉄)」というタイトルがついていて、戦後すぐに取り組んだ「輪廻転生」をテーマにしながら「鉄」を主題に据え、その誕生から終演までをストーリーにしたシリーズのひとつです。映っているのは力強く動く蒸気機関車の車輪です。津田さんは太平洋戦争に従軍し、復員したときに、写真家として再出発しようと思われました。戦争で弟さんも亡くされました。そこで目の当たりにしたのは、大阪の町のめざましい復興、鉄がどんどん作られ機関車は力強く走り、高層ビルが次々と建っていきます。軍国主義が終わり、信じていたものが脆くも崩れ去り、復興する都市の風景を複雑な心境で捉えながら実験的な作品を作り上げました。この時代でしか作ることができなかった素晴らしい作品です。

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津田洋甫 「回帰」

浪華写真倶楽部

浪華写真倶楽部は、現在複数の幹部の方々が中心になって運営されています。今回浪華写真倶楽部さんにご協力いただき、倶楽部で保管されているプリントや資料を調査することから始めました。数百枚のプリントを拝見しながら、当時の資料と照らし合わせ、発表や制作年を特定しながら展覧会をつくりあげていく作業です。関係者へのインタビューも行いました。注意深く作品を選び、津田洋甫、酒井平八郎、関岡昭介という戦後の浪華の3人展を、私どもの画廊とParis Photoで開催致しました。

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Paris Photoは、国際的な規模の写真のフェアで、世界各国から、写真の評論家、学芸員、コレクターがお越しになります。会期中海外の美術館の学芸員の方々が私どものブースに立ち寄り調査するとともに、美術館のサポートメンバーをお連れくださってトークをしてくださったり、大変反響がありました。このあといくつかの美術館に作品が収蔵されました。このように我々がやった仕事は、当時の写真家の過去の時間を想像し、人生を追体験し、作品を調査し記録し、編集することで、まずはまとまったご紹介を展覧会という形でしたということです。しかし、今後これらの作品が生き続けるであろう時間と比べると私どもはあくまでも最初のきっかけをつくったに過ぎません。

アーティスト山口典子との出会い

次に、現代作家と一緒に仕事をする時間を共有することについてお話します。ここから山口さんとのお仕事の話をしたいと思います。画廊の場合は、作家のかたがたと生涯のおおくの時間を一緒に共有し展覧会などの現場をつくりあげ、作品を紹介していく。出来た作品はどんどん過去の作品になっていきます。それは売れる作品もあるし、ある程度置かれている作品もある。これをアーカイブ化し、なんとか未来につなげていくというのが画廊の仕事です。こちらは、山口さんの代表作で、恵比寿映像祭の第7回にも呼んでいただいた作品です。

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keitai girl 制作年:2004

私は最初お目にかかったのは大阪府立現代美術センターで。山口さんがこの恰好で飛び出してきたことに衝撃を受けて。ケイタイガールという率直な名前にもあらゆる意味で衝撃を受けました。

山口(以下Y):山口ですよろしくお願いします。これは携帯電話のキーパット部分を体中にはりつけた女の子です。当時携帯電話のリサイクル工場でアルバイトしていました。ガラケーのキーパット部分というのはリサイクルされずに廃棄されていて、それを工場長にたのみ、大量に、段ボール箱5箱分譲ってもらいました。最初は自分が描いていた抽象画にキーパットを貼り付けることをしていまして、だんだん自分の服にも貼りたくなりケイタイガールを作り始めました。その時母親にいらない服はないか聞いたところ、看護学校に行ってた母がくれたのが学生のときに来ていた制服、ナース服でした。なので最初のケイタイガールはナース服だったんですよ。その後、服をからだに添わせるために全身タイツでつくるようになって、顔を白く塗ってロボットみたいになりました。

I:こちらが私が最初に目撃した大阪府立現代美術館のパフォーマンスですね。

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2004年です。現代美術コンクールというのがありまして、賞をとられまして、おひろめの受賞式でパフォーマンスをするという華やかな舞台でした。その模様をお話しください。

Y:会場には100名くらいの観客の方がいらっしゃって、ケイタイガールは携帯電話でしか話せない女の子というパフォーマンスをしようと思い、携帯電話のナンバーを掲げた状態で何も言わずに舞台でたたずんでいて。気が付いた人が一斉に電話かけてきて、混線でパンクして。何がおこってるかわからない大勢の観客がぽかーんとしていて。

I:コンクールではコスプレ的な、小学生の工作的な感じが満載だんたんです。で、山口さんがバーンと会場に登場してきて。見てた時、これはなんかトラブルだなというのはわかったんですよ。でも失敗とか問題とは別に、人間が動いて何かするというのは風が起こるんですよね。何かインパクトがある。僕はスーツの完成度というよりもこれをやるということの風に非常に感銘をうけたんです。

Y:ありがとうございます(笑)

SIGGRAPH参加

I:最初に山口さんとなにかやりましょうかとなり、うちのWEBサイトでのせたりして、ケイタイガールがネットでひろまり、ボストンで開催されたSIGGRAPHのデジタルファッションショーでパフォーマンスをやってくれないかとなりまして、それで結局山口さんの交通費しかでなかったんですがエンジニアさんも含めて3人で向いました。この話がきた時どうおもいました?

Y:SIGGRAPH(シーグラフ)のことは読み方もしらなかったころでして。エンジニアさんからすごい大きなイベントなんだときかされました。じゃあ頑張らないと!となり、何をしたらいいか話し合って、ケイタイガールだしパラパラを躍らないと!となりました。

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2002年、ソニー(ソニーマーケティング株式会社)はエンターテイメントロボットシリーズ「AIBO」の新モデルを発表しパラパラを踊っていた。当時、ロボットはみんなパラパラを踊ったのだ。

一生懸命振り付けし、映像もつくりました。予算の関係上雇えるモデルの人数も限られてましたので、映像の中で人数を多く見せようとして、いろいろしこんだんですよ。

I:その時の模様をご覧にいれたいです。我々は非常にあせっていたんですよね。エンジニアさんもライトがつかないって言ってはらはらさせられるし、キーパットはとれるし。モデルの方も踊れるって言ったけど、実は踊れなくて。山口さんが鬼のようにおしえたんですがなかなか出来なくって。時間が近づいてくるし、やっちゃえってやったのがこれです。

会場:笑い

I:全然あってませんね

Y:パラパラなんでいいんですよ。かわいいし。

I:実は手のところにボタンがあって操作がむずかしいんですよね。

Y:あとライトのところはハートになっているんですよ。エンジニアさんの趣向です。

I:そうなんですね。これは5分以内くらいのパフォーマンスですね。

進化していくパフォーマンス

ケイタイガールが世界に一歩踏み出した瞬間でした。当初の府立現代美術センターで行った山口さんのケイタイガールからバージョンアップした形でした。その後いろんなところからお声がかかり、2008年のパリフォトの時、日本はゲスト国だったので特集してたものですからやってくれといわれ、パフォーマンスをおこないました。ルーブルの前が会場だったんですが、ルーブル美術館の前でパフォーマンスを繰り広げ、内部のステージでもやり、ルーブル美術館のすぐ外を行進している間に、警察に呼び止められ尋問されたりしましたね。

観客:笑

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Y:この時はパリの町をケイタイガールズが行進しているのを見てみたいといって始まったんです。ケイタイガールが6人います。それで光ったり音を鳴らしたりしたかったんですがこの時また私は失敗したんですよね。会場で光ったり音がならなかったんですよ。でも外で歩くときは光らなくてよかったので、行進はできて大成功だったんです。

I:この時大きく変わったのはチーム編成したことですね。

Y:振付、舞台監督、エンジニア、マネージメント、音楽、撮影、ダンサー、そしてアーティストというグループを作って。持ち場をそれぞれが担当して自分の考えで自分で動くという形で作っていきました。

I:チームを作ったというのが大きな変化でしたね。私もフェア内の自分のブースで、山口さんの写真をみせました。この時期露出が多くなったのですが、美術業界も全体的にバブルの様相を呈していました。アートフェアーに多く参加し、作品も多く売れました。そうすると当事者はなかなかわからないんですが、周りの状況にどんどんうごかされていきます。一連のケイタイガールのパフォーマンスで一番大掛かりでやったのがART HKですね。

Y:HKの時は私は京都造形芸大で非常勤講師してました。ダンサーは全員学生なんですよ。舞台学科や映画学科からダンサーが来てくれダンサーの質が高くなっていきました。一人だけ油画コースの子も来てくれました。他もパリの時のメンバーがリベンジする形で入ったので、みんな専門家のような動きができて。

い:みんなで現地で合宿して最後の仕上げをしたりして。

や:そうですね。みんなで鍋をつついたりして。おもしろかったです。

い:パフォーマンスがどのように進化したかを見ていただきます。ビデオの作り方も精度があがっています。

Y:HKでは3会場でやりました。KEE CLUBではイメクラショーをやりました。イメクラショーは観客1人しか入れません。その1人にケイタイガールが3人お相手します。それでおさわりタイムがあり、ケイタイガールのボタンに触れることができるショーです。ここではディナーショーでしたので、人数を入れたいということもあり、10人の観客席を用意しました。イメクラショーでは触れるというより触らせられるって感じなんですけども(笑)

I:山口さんの作品はガムや豆を体に貼ったり、といった触感をテーマにしてまして、キーパットを体に貼って触感を促すというのがコミュニケーションの他にもう一つのテーマとしてありますね。

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Peppermint Girl No.2

Y:第2会場はアートバーゼルHKになる前のART HKでした。アートフェアーの公式オープニングということで、踊ったりもしました。あと会場も行進しました。今見ると、高そうな作品の間を行進してますね。

I:危なかったですね。

Y:3会場目はアートフェアーのスポンサーの方でyanaさんという方の家でもやりました。ダンスも相当練習してくれて。大学でもケイタイガールしてきますっていったら授業ぬけれたらしいですよ。

I:そこまでご理解をしてくださったってことですね。

作家と作品のずれ。時代の流れ。

I:最初は一人で体にペタペタ貼ってただけなのですが、ここまで大きくなった。これがさてよかったのか、という話です。この時期は携帯電話の普及によって社会的におこったコミュニケーションの大きな変容が問題になってきた時代でした。他人とのコミュニケーションの問題をめぐって山口さんの個人的動機からたちあがった作品で、当初ケイタイガールの格好でひとりで路上にいるような極めてアングラ的な活動でした。それがここまでなったときにどう思われましたか?

Y:そもそも衣装を作りたくてつくった作品なのに、見せた途端に「身体性」とか「パフォーマンス性」が重要といわれました。私はあまりアートを知らなかった時期ですので、そういうものがあるんだとうれしくて、言われるがままにつくっていきました。

I:もともと大学は絵画コースだったんですよね。

Y:ずーっと絵を描いてます。ケイタイガールもまずは絵を描いてから形をつくっていきました。

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I:作品も大掛かりになり、たくさんの方に買ってもらって持っていただき、いろいろな方にサポートもしていただきました。海外の教科書のイメージにも登用され表紙になったりしました。しかし次々と発展していく中で山口さんは矛盾を感じていった。

Y:そうですね。こう見えるからこうしたらいいのかなというのを目指していたら、自分の表現っていうのから遠ざかっていっちゃうんですよ。そもそもぶつぶつしたものがすきだから貼っていた。そして身体と触感をテーマに作っていた。自分を理解するために自分に触感を与えていったみたいな作り方だった。でもチーム編成をつくることで薄まっていく感じだった。例えば舞台は誰かのモノで私の仕事ではないと思ってしまったので、舞台に関して意見を言われたとしてもなんとも言えなかった。そうやって作品全体の責任を持てない中、観客の意見を訊くのがつらくなっていったんです。

I:画廊の方は作品も動いてましたので、山口さんの気持ちも知らず、どんどん仕事を入れていきましたが、ある日やはりまずいなとおもいまして、一度元に戻ろうということになりました。チームの維持でお金もかかりましたし、リーマンショックのあとのリセッションもありました。
山口さんは一度個人の仕事である油画に戻って、また自分自身の表現をかんがえはじめました。2010年の香港から2015年の恵比寿映像祭に呼んでいただくまで封印してましたね。

Y:ケイタイガールのパフォーマンスで私立大学2回くらいいけるほどの莫大なお金を2,3日で使うので、もうできないとおもいましたし。

I:経済的にいうと作品の売り上げがそれに追いつかない。

Y:そうですね。そもそも作品は環境で変化していくものだとおもうし。

I:2015年、第7回恵比寿映像祭に招待していただき、スーツのインスタレーションを展示し、パフォーマンスをしましたよね、5年ぶりにあらためていかがでしたか。

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恵比寿映像祭でのパフォーマンス:2015年

Y:府立現代美術センターのリベンジをしたんですよ。電話をかけてくださいとはアナウンスを全くせず、電話番号だけ掲げられてて、音楽も何もならない舞台でした。何も起こらないから何人も会場から帰っていきました。それで観客の一人が気が付いてかけてくれたんですよ。そしたら会場の観客みんなかけてきて混線し、またかからなくなりました。これは思ってた通りで、大成功でした。できた!って感じでした。一応サクラも頼んでおいたんですがかけてくれず。みとれてたらしいです。仕事してくれよって感じでしたが(笑)

I:当初の山口さんが一人で、手作り満載のスーツ着て路上に立って紙に携帯電話の番号を掲げていた時のように、非常にシンプルな形でできた。そういうことですね。

一人で制作していく作品。現時点。

I:今うちの画廊で地域連携プログラムとして絵画を展示してます。5年前くらいから本格的に絵画の方にすすまれた。これの大きな変化はチームから一人でやるところですよね。

Y:一人でやればすべてに自分で責任を持てるので。メディアアートとかやってると機材が新しくないとかで突っ込まれたりするんですが、それには責任がとれないんですよね。資金とか技術とか、人件費とかが問題であって。なのでプリミティブな技術にしたほうがいいんじゃないかなと。それでずっとやってる絵画にしました。「身体と触感」というテーマから「物質と触感」にテーマが動いていってます。絵画でも触感をだしたくて、画面を殴り書きみたいな形で描いていってます。

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I:これが今やってる展覧会の風景です。

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山口さんと15,6年一緒にやってきた軌跡をケイタイガール中心に話しをしてきました。行き詰まりや葛藤もありながら、一緒にそのときの時間と現場を共有しながら考えてやってきたわけですね。いま作った作品がどんどん過去のものになっていき、山口さんの生涯の仕事として残され記録されアーカイブ化されていく過程で、未来の美術史につながっていきます。

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一方、最初にお話しした浪華写真倶楽部は、100年以上にわたって活動し、歴史的に重要な作品が残されています。調査を通して作品が誕生したときの時代と時間を想像し、作家の人生を追体験し、改めて作品の生きる時間を未来へつなげていく、このように作家の人生の時間と作品がもっている時間についてお話しをさせていただきました。

FIN



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