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絵画の描き方について話してみよう!

2月8日(土)に個展「繰り返される物語」のイベントとしてオープニングトークがありました。トークの内容がとても面白かったから文字でも楽しみいただけたらなあとおもって準備しました。画家の本田健さんと私のトークは描き方について語っています。少し専門的過ぎてわかりにくいところもありますが、臨場感が伝わるようにそのままにしています。画家同士の会話をおたのしみください!

第1部アニメーション上映

第1部では2008年から2012年まで作られた山口典子のストップモーションアニメーションを上映。ショートバージョンはこちら

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アニメーション:ツチタラシより

第2部トークショースタート

ギャラリーオーナー:ここから第2部のトークに移りたいと思います。ご紹介します。本日のゲストの本田健さんです。本田さんは岩手県の遠野市在住でいらっしゃいます。山口さんとは別なタイプですが絵をずっと描いてらっしゃいます。遠野の森の中を毎日のように歩かれて、そのシーンを切り取ったかのような一画面を、非常にスケールの大きいチャコールの作品としてずっと作っていらっしゃいます。2009年にはACACからNYに在外派遣されまして、ドローイングセンターの展覧会で紹介されました。2015年に岩手県立美術館で2人展をされています。

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お二人は少し前から交友関係があり、同じ画家として啓発されつつ、本田さんは先輩なので、山口さんは話を伺ったりといった関係で、今回は是非同じ画家としていろんなお話を伺いたいと思い御呼びいたしました。それでは今から1時間くらいなんですがお話をしていただきたいとおもいます。


掛川チャエンナーレ


本田(以下H):僕が山口さんに会うよりも先に作品の方に会いまして。2017年10月ごろに掛川チャエンナーレというグループ展を偶然見る機会があって。1泊2日でゆっくりみて歩いたんですけど。山口さんが豪商の方が泊まる貴賓室の2階全部でインスタレーションしてだんです。

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2017年10月に静岡県掛川市で開催

会場に西日が強烈に入っていました。絵が展示されている空間で観るような絵ではなくって。絵をインスタレーションとして普通に掲げてあるわけですよ。イーゼルにおいてあるんですけどそのイーゼルも必然的に全部インスタレーションとして成立してて。なんだこれはというのが最初の印象だったんです。

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山口典子の展示風景

近寄ってみるとなんか変なものがあるなあって思ってちょっとこれすごいんじゃない?って思って。それですごい興奮して、帰りにMEMによって石田さんにすごい作家みつけたよって言ったら「うちでやってる作家ですよ」っていうから、なにー!?ってなって。それが一番最初だったんですよ。

僕は絵をかいているんだけど、今モノクロの絵を見てもらったように写真をトレースする仕事やってて、絵を描きながら実は自分のインスピレーションってほとんど絵の中にないんです。現代美術だと、それこそボイスとかいったように、絵画を描いている人たちは絵からアイデアを練ることはなくて、モノをモノとして見るほうが強烈なので、絵画的に見ると見切っちゃう感じが結構多いんですよ。だから名画でも、ミレーでもゴッホでも、展覧会に観に行ってもパッと2,3点観て帰るだけなんですよね。だから、自分の絵も含めて、みんな素通りされるなってのが正直思うことで。昔ギャラリーQで友達とやったとき、会場に人が入ってきて5秒間いたら勝ちだねって話をよくしてたんですよ。10秒いて、いくらですかって訊いてきたら勝ったって。山口さんの絵は久しぶりにつかまったんですよね。それから本人に会ってみて、本人と話すと絵以上に話がすごく面白い。いきなり級友にあったみたいにすべて会話が成立したんで不思議だった。この会場に掛川に出てた絵がある。あと掛川のインスタレーションで太鼓に麺がうつるやつをみて、あと骸骨が外向いてた立体があった。作品の関係性が第1部で見た映像でわかりました。全部つながってるんだなと。ここまでコンセプチュアルな事をすでにやっちゃってて、今絵を描いているんだなって。まず自分自身の問題として身体的なものが終った後に絵画的な行為が始まっているんだなって思いました。


展覧会のイメージは神話から

それで最近の作品も含めてやっぱりおもしろいなって。そのおもしろいなって僕がかんがえているものを、山口さんにふっても、「いや、何となくかける」ってしか答えない(笑)。僕は頭でっかちに絵を構築的なことをかんがえるんだけど、山口さんはそれをもっと直感的にやってて。せっかく絵画があるので、絵画の中で僕が思う絵画の疑問的な話を何となくふってトークを進めていけたらと思います。その前に山口さんが今回の絵で何をイメージして作っているかをしゃべってくれない?

山口(以下Y):まず展覧会タイトルなんですけど、繰り返される物語っていうのは、絵画を描く前に物語を作っていたことがあって。神話とかを調べたりしながら、オオゲツヒメという穀物神の話までたどり着いたんですよ。穀物神というのは女性で、口からモノを吐いたり、排泄物だとかそういうもので食べ物を作って、スサノオノミコトに食事として出した。それで汚いという理由で殺されてしまう。その殺された体から稲とか麦とか出てきてその土地の主食になったっていう神話なんです。それをもとに物語を書いたり絵画を描いたりしていました。ここにある絵はその物語を下敷きにしたものです。根っこの間に骸骨がある絵、これは埋葬シリーズって言って、土の中に埋めた動物を中心に描いています。周りの白い線みたいなものは根っこです。それが骸骨に絡んでくる絵なんですけども、オオゲツヒメの神話は縄文神話と呼ばれていて、縄文時代に作られた物語とも言われています。皆さんが知っているように縄文時代の地層から縄文土器がいっぱい出土していますが、ちょっとつぶされて土の中からでてくるんですけど、それは大概女の妊婦さんで。縄文時代にはその人形の足とか手を切って土に埋めることでその土地の豊穣を願う呪術があったようなんですね。それで妊婦を埋めるという絵を一番最初に描いて、そこから骨を埋める埋葬シリーズが出来上がったというかんじ。その埋葬シリーズが終った後にオオゲツヒメはどうなったかな、やっぱり生まれ変わっただろうとおもって。生まれ変わっても吐く能力は持っていたんじゃないかと私は考えたので、その能力を生かして女中になりましたというのが隣の部屋にある絵なんですが、隠れながらその家で食べるものをどんどん吐いて、自分で作って自分のご主人に出しているという絵なんですよ。また殺されてはいけないから隠れたかった。隠れるためにカーテンを引いて吐いているんですけども、絵を見る人達はそれの目撃者してしまう。
そのほかの絵はそれの派生でどんどん当事者が見せたくないシーンを描いていってます。

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タクトとタスク

H:絵を描くときに僕は自分が絵描きだからプロセス的に描いていくんですが、山口さんは白と黒だけで仕上げていく。実はその段階で絵は決着ついてますね。色を使うときは絵が成立するためにぬるんだよね。

Y:そうなんですよ

H:結果的にぬりえ的になって。タクトとタスクがあって、タスクは決められたことをこなすことなんだけど、あなたはタスクの作業を色の段階にしている。タクトとタスク、この2つは50年代のミニマルアートとコンセプチュアルアートが突きつめていって、自分の描きたいものをずらして行って組み立てていった。サイ・トゥオブリーであれば左手で描くように不自由な感じで、幼児のような絵のように描いてタスクとタクトの問題を追及していった。これは林道郎さんの「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」に書いてあったんだけど。あなたはそれをやってるってことかな。色を使っているけど、どこで止めるんだろうか?どこで完成とさせているんだろうか?明暗とか存在しないよね。

Y:ぶっちゃけちゃうと明暗ができなかったんですよ。でもデッサンをやる必要をかんじなくて。

H:初めからね。そうきちんときめて、色がきちんとおさまっているんですよ。色を置いたときにこの色のおさまりはいいなとあなたはいったじゃないですか。普通その感覚は相当鍛えている人しかできないんですが、あなたはできちゃっている。例えば髑髏をみても怖くない。むしろホッとする。

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怖いものを怖く描くのはできるけど、つばとか排泄物を見て美しく描けるかどうかというのが実は絵画の歴史的にあるわけじゃないですか。この古典の話が現代に生き返ってきて。絵画を描くのではなくて、描く自分の行為も絵画の中にいれてるってことになる。どうしてこんなふうに色がバランスよくおさまってしまうんだろうか。

Y:油絵の扱う感覚としては性質上なんですが、粘土みたいなんですよ。絵は描くものではなく造るものだったりする。なので描くために何も見る必要がなくて。絵画を造るっていうとすごく難しい話になりそうなんですが。


油絵への信頼

H:なんでアクリル絵具にいかなかったの?

Y:油絵は歴史があるからとか評論もあるし今から始めるのは難しいと言われるけど、私としては絵具からの権威みたいなものをいっさい感じなくて。抽象的な言い方をすると油絵具と会話が出来た。アクリルは薄っぺらさとかが際立ったり、図を描かないといけなかったり。あとポップアートから権威を感じてしまって自然ではなかった。

H:僕はあなたが油絵具だったからスキだったんでしょうね。表現手段としてはアクリル絵具の方が手っ取り早いけど、油絵具の持ってる物質的な力が信じられるのかな?

Y:角から落としたら写真作品は割れるけど絵画は割れないんですよね。すごいつよい。パートナーとしての安心感が一番最強と思うんです。

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Guy Bourdin

H:ゴッホが病院に入ったときにレー先生にお世話になったらしく、絵を描いて渡したら、レー先生のお母さんがその絵が気持ち悪いからってウサギ小屋の敷居につかってたんだって。穴から逃げないように、壁としてつかって。ゴッホが有名になったからその絵は美術館にはいってる。ゴッホは最高の絵具を使ってるから大丈夫だった。丈夫な材料を使うのはだいじだよね。

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《医師フェリクス・レーの肖像》プーシキン美術館に所蔵

Y:臭くなったりとかは?

H:大丈夫だった。

観客:爆笑


線と黒

H:あとあなたの絵には網のようなものあるでしょう?線をひくとその線を残してるでしょ?マティスはそこを残すことで絵画が際立たせた。そのあとステラが線を残していったんだけど。網のようなものはのぞくとかもあるし、塗りえ的な感覚もあって。あなたはこれを有効的にはたらかせてるの?

Y:後ろに図をちゃんと描いて普通に色塗れば簡単。でもそこに網を描くと何が何だかわからなくなる。私にとってはこの状態で完成で。タクトがそこで終わっている。でも見ている人がそれではわからないからタスクとして色塗ってあげようって。

H:絵の終わりってまでに期間ある?意外に一発で仕上がる?

Y:2時間くらいでおわっちゃう

観客:笑

H:だから発色いいんだろうね!油絵具は4日以上触ると発色が落ちる。一発で決めてる力強さで絵具が美しく存在してる。

Y:私は肩を折ったことあるから負担がすごいんですよ。だから長い時間絵を描いてられないってのもある。

H:ワンちんもなし?

Y:体全部を使って描いている。

H:理想的だね

Y:親戚に東大出のおじさんがいて、彼から30分以上人間は集中力持たないときいて。それが今でもやきついてて、あまり長い時間描かないんです。

H:ゴッホも晩年は午前中だけであれだけの絵を仕上げているんだよ。絵画は一般的に描けばかくほどどんどん自分を不自由にしていって最終的につまんない絵になってしまう。その不自由のギリギリのところで絵を完成させているよね。あなたは白と黒の段階である程度決まっちゃってる。補色関係とか意識してるの?

Y:してない気がする。あ、でもDMのやつは気にしてます。他の絵は知ってたけどやらないようにしてた。なぜなら自分の思い過ごしかもしれないから。

H:補色関係って対比したら色が引き立つ。何となく絵を描いててもこれでいけるかなーって考えて造ったりしちゃうけど、それに対してあなたははずけずけとやってるよね。畳の上を土足でどかどかと入っていく感じに。だからDMの作品は品があって。あと黒の使い方気をつけてる?

Y:芸大教育の中で黒はつかうなっていうから、それも思い過ごしかなと思って、わざと使ってやろうっていっぱい使ってる。絵はちょっといたずら心がはいるんです。黒を使うなって言われたら使ってしまう。ただ黒を使うのは品がなくなるから緑をいれてるんです。

H:マネは黒を使ってるけど印象派は黒を使わない。でも、ゴッホは仕上げに黒を使ってるんだよ。ちなみにシスレーとかモネとか学校行ったときそこの先生が塩と砂糖の描き分けをしなさいって教えたんだけど、あなたならどうする?

Y:塩だったら青がかった、、、、

H:白いコップにお酒と水。
缶ビールで入ってるものと空っぽ。

Y:かるそうに描くとか??

H:今はタクトの話。自由にかんがえて。あなたが本気でやったら全く新しい表現が出てきそう。僕は以前本気でやってみた。そしたら「わからん」っていわれて。で、米粒もかいてみた。そしたら展覧会にきたおばさんが米粒とろうとして。なんでとれないの?とかいいながらカリカリやってたんだ。これはやったーっておもったよ。

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本田健 No.17 米(流し台)

H:黒に緑を混ぜるとどうなるの?

Y:奥歯でかめないような柔らかさができるんです。

H:色をつける段階で黒を加筆していくことあるの?

Y:線は色として描いてなくて。オイルバーで線を描いているんですよ。

H:オイルバーね。。。あ、観客の皆様、話わかります?

観客→わからないーって顔

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オイルバー。廃盤になったので山口は困っている。


鑑賞者が参加できる絵

H:山口さんの絵は途中で終ってるように見える絵なんだけど、ずっとみてるとなんかすごくいいんですよ。サイ・トンブリーの評価は見るほうが参加できる感覚を持っているといわれている。逃げ場があるというか、自分を100パーセントおかない感じ。疲れたからやめたってわけじゃないでしょ?

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Cy Twombly

Y:疲れたわけじゃないですね。作品をどこで終わった瞬間は、例えばまっすぐ描けばいい線を斜めに描いた。これが成功なんですよ。

H:絵描き側の人間として全部埋めないといけないと強迫観念的にあるけど、ミニマルな物は永遠に平行線をいって、どっかで引っ付くだろうって思ってやってて、右と左くっついちゃえばって思うときがあったりするけど、それをやったらおしまいだろう!って。だから大真面目に作っているわけですよ。僕も一生懸命勉強してきたわけですけど、さらっとこういうのみせられちゃうと。僕とは描くときの衝動が根本的にちがうんですよね。

Y:ある程度の歴史的にやってることはみんなやってるからやらないでいいとおもうんですよね。

H:それに絶対的な信頼感があるんだよね。

Y:こんな絵具の使い方、なめてる感じでしょ?

H:まったくなめてない(笑)

Y:描きまくると自分のものじゃなくなるじゃないですか。ものを見たまんま作ることは可能なんだけど、練習したら誰でもできるから、それはもういいんじゃないかっておもって。それよりも歪みをかっこよくかけることを見てほしい。私は会社ではPCでもまっすぐ線を描かけない女って言われてる。美意識がなかったからやらなかったんですが、それじゃまずいからシフトキー押しなさいっていわれてます。

H:僕はずーっとトレースして絵を描いているから余計あこがれるんだろうね。時間かけて描いたら安心できるみたいな勘違いしてる。過程が大切だと思うのは間違いってのはやっとこの年になってわかってきた。だからビックリしたの。作品のサイズと描いているものが一致していることも。たいてい失敗しちゃう。

Y:オイルバーでは描けないんですよ。細かく。

H:削りなさいよ

Y:あ。

観客:爆笑


描くときのバイアス

H:バイアスがあるんだよね。削ったらつまんないかも。与えられたものでこなせばいいってどっかで決着つけてる。

Y:筆も太いのしかつかわないんです。細かいところをしっかり描いたらだめになるんです。

H:印象派の人達はみんな太い筆だったんですよ。外で描くと間に合わないから一気に決着つけないといけない。結果的にいろんな意味でバイアスがかかって。身体的な、そして気象的な問題があって。見るということと描くということを徹底的にやってる。

Y:わたしが油絵始めたときは30歳オーバーで、教えてくれる人がいなくなってて。描けないといったら若い時から描いてないから当たり前だとか言われたりして。でもその中でアメリカ育ちのMADSAKIさんっていう人が基礎を教えてくれたんです。その時に絵は立って描くっておしえてもらった。絵というものは写実的に描くものではなく構図を描くものということも。この人はグラフティの人で私はスタートはロックだったんだっとおもう

H:絵の描き方はロックかもだけど、自分の表現としての考え方は徹底的にやってるよね。

Y:学生時代に学校で教えてもらう技術とか歴史は全部無視してました。表現を磨いていくと技術がついてい来るというのは学生時代に森村泰昌さんからもらったアドバイスです。表現をマイナスしていって残ったものは自己表現をも手に負えないところにいけるとおもっていた。

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H:そうなんだ。つまり予定調和に出来たものをダサいとおもっていたんだ。絵がこじれたときにわーっとできる感じ。

Y:だから本田さんがいいって言ってくれてビックリした。私の中では画家は敵だったから。

H:すっごい作家みつけたよと興奮したよ。それ失敗と思って描いてたの?

Y:うん。見に来た人から掛川チャエンナーレの時に絵画を飾ったのは失敗だったとも言われたんです。いつもわかんないって言われてばっかりで。こんな絵だと人集まらないよって今回の展示についても言われましたよ。

H:僕はぎゃくだったよ。普通の日常空間の中に絵画を置く勇気ないよね。あんな条件下なのにみれば見るほどいいとおもったんだ。僕はあんまり褒めないからけしてお世辞じゃない。でも僕の言ってることはマイノリティかもしれない。売れるの100年後でいい?

Y:観客の皆様、買ってください。

観客:爆笑

最後に本田さんより:山口典子の絵画を知るためにの手がかりを見つけるためにアドリブで対談したものでこの会話そのものが表現のずれそのものかもしれません。諸々不適切な言葉がありましたらお詫びいたします。

おわり

次回は2月15日に東京都写真美術館で行われるトークショーです。ギャラリーオーナーと2人でアートと作家の時間について話します。こちらもお楽しみに。


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