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《ドMの晩酌:第19夜》 想定外な存在たち

迷惑なお土産

我が家は息子たちのモノで溢れている。
もはや、息子たちが暮らす家に私が居候させてもらっていると言ったほうが正しいかもしれない。

リビングには長男の複数のゲーム機とモニター、次男のゲーミングPCがドドンと置かれ、あらゆる充電コードが棚や床の上にダラーンと垂れている。

ソファはもちろん彼らの特等席で、クッションの裏にはお菓子の包みやクズが仕舞い込まれており、毎日片付けても毎日出てくる。

さらに、彼らが趣味にしているプラモデルやエアガンの箱が堆く積まれ、捨てることを許してくれない。

ということで、私の居場所はキッチンとダイニングだけとなっている。

リビングのソファに腰掛けたのはいつが最後だったのだろうか。

年に数回催される大掃除の際に、増えすぎたモノを捨てることを息子たちに許可してもらい、私の精神状態をギリギリ維持するのも束の間、彼らは迷惑なお土産を年に数回、我が家に持ち帰ってくる。

それは、学校の図工で作成した様々な作品だ。

できることならば記念に取っておいてあげたい。
しかし、保育園時代からの作品が段ボール6箱相当にもなるのに、まだ増えるんか。どの作品もサイズはバラバラな上に壊れやすく、非常にしまいにくい。

息子たちが保育園に通っていた時のこと。
毎年、節分のお迎え時には彼らが工作した鬼のお面を持ち帰るのが慣しだったが、度肝を抜かれたことがある。なぜなら、案山子かと思うサイズの鬼の工作を長男が保育室から持って出てきたからだ。

風船を大人の頭部ほど膨らまし、その上から新聞紙を貼り付る、いわゆる「張り子」という手法で鬼の頭部を作り、それにしっかり和風の装いの胴体がついている。

当時、自転車の前と後ろの座席に騒がしい息子たちを乗せて送り迎えをしていたが、このでっかい案山子みたいな鬼をどうやって連れ帰ったらいいんだ。

後ろの座席に乗っている長男に鬼を持たせ、シルエット的にはルール違反の四人乗り状態。お巡りさんに止められませんように。

そう、切に願いながら慎重に自転車を漕いで帰宅したこともある。

息子たちを担当した保育園や小学校の先生たちは、その瞬間の感触や思い出のために必死に企画してくれていたのだろう。その重すぎる想いが各家庭でどのように保管され続けているのか。

正直、我が家では飽和状態をとうに超えている。ああ、どんどん彼らの趣味やら思い出やらで我が家が埋め尽くされていく。先生や息子たちの想いも理解できるので言葉にはしないが、この場だけで正直な気持ちを吐き出させてもらいたい。

めっちゃ迷惑なお土産、もういらねーよっ!!


信じてもらえない話

ふー、今夜も我が家の王子様たちが床についてくれた。
私の理想とは180度違うリビングを見て見ぬふりして晩酌でもするか。

今夜の晩酌もキンッキンに冷えたアサヒスタイルフリーを、ぬるくならないように缶専用のマグにスポッとはめる。つまみはマグロの赤身のお刺身。

マグロといえば、やっぱ中トロでしょ!と思う方も多いと思うが、私はさっぱりとした赤身が好きだ。

近所の魚屋さんに息子たちが好む鮭やらアジやらを買いに行くと、マグロのお造りがひとつ残っていることが多い。
魚屋のおっちゃんは、私が息子たちが寝た後の晩酌を人生の楽しみにしていることを知っており、「このマグロ、持ってってよー。」と半値くらいの金額で勧めてくれる。

これをラッキーと思う時もあれば、買い取ってあげることが自分の使命と思う(つまり、今日はさほど食べたくない、という意味)時もあるが、私はおっちゃんの勧めをほぼ受け入れている。

マグロの切り身は7切れ。つまみをチビチビ食べたい派の私にはサイズがデカすぎる。マグロ7切れと缶ビール3本。毎度どちらもバランスよくいけるように頑張るが、やはり2缶めでマグロがなくなってしまう。

自分でマグロをさらにカットすればいいだけなんですけどね。

この難しい感じをどうにかしようっていうところにドMならではの喜びを感じているので、どうぞ、私のことを放っておいてください。

さてさて、今夜の晩酌で、過去の何について振り返ろうかな。
ていうか、本当にこの家のゴチャついた感じ、耐えられないな。
息子たちの想定外の言動に私はどれだけ驚かされ振り回されてきたのだろうか。

いや、他にも私を驚かせたり振り回してきた存在がいたな。

しかも、このネタは何度か人に披露してきたが、「えー、嘘でしょ」というリアクションがほとんどだった。まぁ、嘘つき呼ばわりされることを覚悟で今夜はそのネタについて書こうと思う。

*******

あれは、私が小学校低学年の冬休み。
休みも残すところあと数日で、私は冬休みの工作をどうしようか悩んでいた。

すぐに終わる工作ってなんだろう。両親は仕事で不在だったが、そもそも子供の宿題に関与するような人たちではなかった。

兄もどこかに出かけていて相談相手がいない。

クラスメイトの女子たちは編み物とか砂絵とか、時間のかかることをやっているようだ。今の時代は様々な工作キットが販売されているが、当時はそんなもの無かった。あったのかもしれないが、田舎の文房具屋には置かれていなかった。

とりあえず千円くらい入った自分の財布を握りしめ、防寒着を着て真冬の道を文房具屋目指して歩いた。

店に入ると、臭い付き消しゴムとかサンリオ系の文房具が目に入る。

これ欲しいな。
いやいや、違う違う。

工作に使える何かを探しに来たんだ。

目に入ったのは折り紙と紙粘土。

私は折り紙が苦手だった。新しいことにチャレンジしようにも、添付されている作り方がイマイチ理解できない。だって、立体のものを平面で説明するんだもん。唯一折れる「やっこさん」を学校に提出しても変だしな。

じゃ、紙粘土か。

私は何の構想もなく安易に紙粘土を購入し店を出た。


平日の日中だったせいか、辺りは車も人通りもなく静まり返っている。空はどんよりと曇り、自分の雪を踏み締める音だけが聞こえる。

すると、後ろから「タララッ、タララッ」という音が接近してくる。

なんだろな?と思い振り返ると、遠くから白い犬が物凄いスピードで接近してくる。

自分の飼い犬でもないのに、遠くから私目掛けて走ってくるなんてありえない。

きっと途中で曲がったり止まったりするんだろうと思ったが、それもない。

そして、私に好意的な雰囲気が全く感じられない。


どうしよう、なんなんだろう、と混乱していると、犬が私目掛けて飛びかかってきた。

「ぎゃー!」私は犬に背を向け体を硬直させた。

すると、犬は手に持っていた買い物袋を奪った。
そして、その場で袋を食いちぎり、死に物狂いで紙粘土を食べ始めた。

きっと次は私が食われる番だ。私は怖くなって逃げ出した。


私は50メートルくらい走っただろうか。

犬が追ってくる気配がないので恐る恐る振り返ってみると、その犬はまだ紙粘土を食べ続けており、私の恐怖は「自分が犬に食われる」ことから「犬が紙粘土を食べている」ことに変わった。

あの犬、大丈夫か。
どうしてあれを食べ物だと思ったんだろう。
粘土がお腹の中に詰まって死んじゃうんじゃないか。

私は、犬の様子が急変するのを恐れ、振り返ることなく家まで走って帰った。

犬がクンクンと鳴きながらそばに寄ってくれたら、家から適当に食べ物を持ってきて与えてあげたのに。

紙粘土なんかじゃない物を食べさせてあげたのに。

結局、私は冬休みの工作に何を提出したのだろうか。

紙粘土事件のインパクトが強すぎて、まったく記憶にない。

想定外の存在たち

あー、あの紙粘土事件、今思い出しても背筋がゾッとする。

常軌を逸した行動って本当に恐ろしい。

そして、やっぱりマグロの方が先に無くなっちゃったな。

しゃーない、ちりめんじゃこをつまみに晩酌を続けますか。

犬といえば、中2の時に我が家にやってきたパグ犬のゴンタもなかなかな存在だった。


ゴンタは、兄の友人が飼っていたパグ犬に母が惹かれ、どこかのブリーダーさんから譲ってもらった犬だ。
見た目の愛くるしさから私も一発で気に入ったが、犬の序列意識のせいか私はゴンタの下僕だった。

学校から帰宅後の散歩が私の日課で、決まったルートを歩いた先にある近所の原っぱでリードを外し、ゴンタの好きなようにさせていた。その間、私は原っぱの上に座り、ぼんやりと近くを走る電車や貨物列車を眺めることが好きだった。

すると、背中の方で「ターッ」という聴き慣れない音がする。

なんだろうと振り返ると、足を下げてそそくさと私から離れていくゴンタの姿。

次いで背中に生温い感触が。

「え?嘘でしょ?」私は慌てて立ち上がり、古着屋で購入したお気に入りのGジャンを脱ぐと、背中に思いっきりオシッコがかかっている。

私は木か電柱なんだろうか。

「ちょっと!ゴンタ!」と叫ぶと、ヤツは尻尾を振って嬉しそうに辺りをぐるぐると回っている。

パグの顔立ちのせいか「わ~い!ノリコにオシッコかけったったぜ~い!」と大喜びしているように見える。

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ちなみに、これは後にも数回続き、ついには私が気づかないフリをしてギリギリのところで立ち上がり「やーい!ゴンタ!バレバレなんだよー!」という遊びに進化した。


そして、こんなこともあった。私が帰宅し裸足でキッチンを歩いていると、足の裏と指の間に未知の感触が。

「え?嘘でしょ?」ゆっくりと足元を見てみると、私が踏んだゴンタの糞が足の指の間からニュッと顔を出している。

最悪だ。

「ちょっと!ゴンタ!」と叫ぶと、またまたゴンタは尻尾を振りながら嬉しそうにリビングをぐるぐる走り回っている。

「ノリコ、踏んだ!ノリコ、踏んだ!」

ヤツはそう言って興奮しているように見えた。

さらには、ゴンタは私がでかけようとすると、決まってズボンの裾に唸って噛みついた。遅刻するわけにはいかないので、ゴンタを引きずりながら支度するために、私のほとんどのズボンの裾がフリンジ状態になった。

昨今、カットオフジーンズなるものをちらほら見かけるが、私は何十年も前にそれを履いていたことになる。

私が昼寝をすると、決まってドスンと胸の上に乗ってくるし、きっとヤツは、私が出かけることなく常に自分の敷布団として存在することを望んでいたのだろう。


そんな憎めないゴンタが、私が上京し就職した早々に亡くなった。
当時、既に携帯電話があったのに、母は勤務先に電話をかけてきて、泣きながらゴンタが旅立ったことを私に告げた。私もとても悲しかった。

悲しかったけれど、それだけではない感情が同時にあった。

なぜなら、母の礼儀作法が全くなっておらず、電話を受けた会社の先輩にいきなり「ノリコ、あのね・・・」と話し出したからだった。

先輩は私に気を遣って「全然気にしていないから」と言ってくれたが、それがさらに私の恥の感覚を増幅させた。ちなみに、先輩曰くこのケースは過去にも数回あったらしい。


さらには後日、会社宛に母から手紙が届いた。

自宅の住所を知っているはずなのに、なぜ彼女は会社宛に送るのだろう。住む家も携帯もあるっちゅうねん。

封を開けると「ゴンタの死に目に会いたかっただろうと思って、息を引き取った時の写真を撮ったので送ります。」みたいなことが書かれた手紙と、ゴンタが突っ伏した状態の写真が入っていた。


生きていると、人生、想定外のことばかりだ。
それはわかっているけれど、母のそれは強烈すぎて、毎度全身の力が抜ける。


受け入れろ、受け入れるんだ、ノリコ。


そう言い聞かせて、47年。

ようやく受け入れ態勢ばっちりにしたものの、近年、母の強烈なそれが鳴りを潜めてしまい、物足りなさを感じる今日この頃なのであった。

(イラスト:まつばら あや)

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