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《ドMの晩酌:第17夜》 2022ドM始め

逃げられないミッション

みなさま、新年明けましておめでとうございます。
本年も引き続きドSノリコがドMノリコを追い詰めていく「ひとりSMショー」に、呆れることなくお付き合いいただけますと幸いです。

今年はとてつもない変化が自分の身に起こる。
そんな予感にドキドキしているワタシがいる。

なぜなら、私は超×100難易度の高いミッションを遂行する決意をしたからだ。

このミッションを拒否すると、ドSノリコがターミネーターのようにどこまでも追いかけてくる。絶対に逃げられない。

当然、私が棺桶に入っても。


超難易度の高いミッション。
それは「女性らしさを自分に許す」ことだ。

「女性らしさ」の捉え方は人それぞれだろうけど、私にとってのそれは、ふわふわ、ひらひら、柔らかい感じ、ピンクや淡い色、可愛らしさ、色っぽさ、待つこと、受容すること、無防備。これらのエッセンスを含む人やモノを私は避けてきた。

それを受け入れてしまったら私じゃない。

かっちりとして、ピンとして、硬くて、ハッキリしていて、思考をめぐらして、攻めて、変えて、勇敢で、カッコ良くて、人に与えられる存在でありたい。


いいじゃないですか、これ。
社会的に役に立つと思いますよ。
子供の頃からこの路線でガッチガチに鍛えてきたんです。
これからもバリバリがんばりまっせ。
お願いですから、可愛いとか色っぽいみたいなもんと無縁でいさせてください。



だめだ、正気でいられない。
そうだ、晩酌しよう。

今夜もキンッキンに冷えたアサヒスタイルフリーを缶専用のマグにはめる。

つまみは、えーと、今日はいいわ。

*******


私には3年ほど前に知り合ったYUKOちゃんという素敵な仲間がいる。
出会った当初は「素敵な人だな」くらいの感覚でいたのだが、彼女が自分のビジョンに目覚め、女性が本来もつ美しさと神々しさを目覚めさせる「ヨニプレマ」という事業をスタートさせたことをきっかけに、ノリコセンサーは「コノ人ニ近ヅクト危険デス」と警報を送ってきた。

にもかかわらず、なぜかプライベートで会う回数が増えていく。
彼女が一歩一歩、私に近づいてくる。


彼女はドSノリコ様の使いなのか。
それとも、実は私が彼女に近付きたいのか。


彼女はサバサバしていて、私は強い親近感を感じる。話の内容もテンポも合うし一緒にいてとても楽しい。しかし、私が全力で遠ざけている「女性らしさ」をも余裕で扱える両刀使いのマスターのような存在で無敵感がハンパない。

彼女に触れるたびに、自分の小物感をビシビシと感じる。

「あ~ら、ノリコったら、いつまでそのキャラやってんの?」風に弄ばれている感覚もある。

もちろん、彼女は私に何かを強要することはないし、弄んでもいない。要は、私が勝手にそう感じているだけのことなのだ。

うう、飛び越えたい。その「女性らしさ」ってもんを難なくクリアしてやりたい。
ザワザワしながら逃げ続けるのは、もう限界だ。


YUKOちゃん、お願いです。

私のガッチガチに鍛えてきたアイアンスーツのようなキャラをぶっ壊してください。

できればソフトなやり方じゃなくて、めっちゃ厳しい方法で。その方がドM的にしっくりくるんです。



懐深い彼女は私のミッションに人肌脱いでくれることとなった。

具体的には、ノリコが全力で避けてきた「女性らしさ」的な装いで写真を撮影してくれるのだ。超こええ。

そして、その写真を「ドMの晩酌」にたっぷり掲載するという荒療治の道を私は選んだ。

だってドMだもん。
やるならとことん自分を追い込みますよ。ぬはははは。


「女性らしさ」は人を苦しめるもの

私はなぜ、こうも「女性らしさ」を避けるのか。
それは私の育った環境やいわゆる集合意識によるものが影響している。

私の母は強い人だ。仕事も家事も手を抜かないし、言いたいこともハッキリ言う。そんなパワフルな女性なのに、彼女は年がら年中「ノリコ、女は損だ。私は女中だ。」と言い続けた。私は母を幸せにしたかった。

彼女の労力を減らそうと率先して家事を手伝い、彼女を励まし、嘘まじりの明るい話題を振りまき、思いつく限りのキャラを演じた。


でも、母は幸せそうじゃなかった。
私が彼女を幸せにできたら、きっと私のことを気にかけてくれるはずなのに。

 
そして、私が小学生の頃、母に好きな人ができた。今思うと、あのパワフルな母も本当は自分を女性として扱ってもらい幸せになりたかったのだと思う。

私は母を毛嫌いするどころか応援した。率先して父に嘘もついたし、相手の人に懐いたフリもした。

その人と過ごしている時の母は楽しそうで、私は関係を維持する手伝いをしていることに満足する反面、日頃家族に見せる顔とは真逆の「女性らしい母」の振る舞いに困惑した。私は表面上では良い子を取り繕いながらも、次第に母を軽蔑するようになった。

母に捧げ続けても自分は報われないからだ。

そして、父や周囲の大人も軽蔑した。

誰もが私の嘘を真実と受け取って、本当の気持ちに気づいてくれないからだ。

 

母とその人との関係は数年で終わったが、きっとあの頃に私の中に強烈な信念が根付いたように思う。

それは、「女性らしく」すると大切な人が苦しむということと、誰も私のことをわかってくれないという信念。

そして、女性らしく生きても幸せになれないし、母程度のパワフルなやり方でも幸せになれないのだろうとも思った。


私は、母のようには、ぜったいに、ならない。
私は、その辺の女の人たちのようには、ぜったいに、ならない。
私は、自分は無力だと嘆く人生を、ぜったいに、歩まない。
私は、人の気持ちに鈍感な人間には、ぜったいに、ならない。


私は、あななたちとは違うのよ。


都合の良いアイデンティティ

このような過程で誕生したドMノリコは、表面的には優等生として、気が利き仕事に積極的な会社員として、よく尽くす恋人や嫁として、求められていることを察知し応える人生を送る。

しかし、子供を大切に育む良き母というアイデンティティを強化する頃に綻びが出てきた。

私はビクビクしていた。

息子たちに自分の歪んだ動機がいずれバレてしまうのでないか。

外側に適応することしか知らないくせに、息子たちに「自分らしく生きなさい」とアドバイスするであろう薄っぺらい自分。


息子たちに私と同じ人生を歩ませたくないという誰にも負けないほどの強い思いを持ちながら、実のところ、その方法を私は全くわかっていないのだ。


一方で、自分のアイデンティティが社会的に正しそうで、誰からも批判されないこともわかっていた。

自分自身を生きるなんてワガママじゃないか。

嫁として夫に尽くし、母として子に尽くし、会社員として会社に尽くす。自己犠牲は美徳ですよ。

だから、私は間違ってなんかいない。

そう、何度も何度も自分を正当化した。

自分自身を生きることのできる人なんて選ばれし者だけ。
頼むから、そうであって欲しい。


しかし、息子たちにバレて軽蔑される未来への恐怖が勝り、私は自分や人間存在そのものについて学び始め、これまでのアイデンティティを壊すとともに母とのことを見つめ直した。


母からの愛

自己認識を進めていく過程で、私は自分の幼い頃の真の望みに気がついた。

それは、何も頑張らなくても、役に立たなくても、ただ「わたし」という存在でいるだけで、母に「ノリコはかわいいね」と頭を撫でてもらうことだった。

自分のアイデンティティを壊すために、そうしてもらう必要があると感じた私は、3年前の帰省時に思い切って母にそれをお願いした。

母は「何言ってんの?」と不思議そうな顔をしながらも快く応じてくれた。


ノリコ、かわいいね。あー、よしよし。


母が何を感じていたのか私にはわからない。

私も心からこの行為に感動した感触もなかった。
だって四十半ばのノリコだもの。


しかし、その直後、私たちはほぼ同時に「お母さん、大好きー!」「ノリコ、母さんも大好きだよー!」と、ノリノリでハグをしはじめた。

涙ぐむとかそういうことは一切なく、ただ無邪気にキャッキャとそれを楽しんだ。

今思うと、何の曇りもなく、母として、娘として、初めて私たちは出会った瞬間だったのではないか。

本当の意味で出会えるまでに45年もかかってしまうとは。

*******


私は自分が成長する過程で、母親から具体的に愛情ある言動を受け取った記憶はない。母は家計を支え、女性としての幸せを掴むために父を責め、外側にまで求めるほど自分のことに必死だったからだ。

さらには、子供にどのように育って欲しいというビジョンが彼女には全くなかったことも判明した。

私は必死にそのポイントを探り自我形成をしようとしていたのに。そりゃあ、キャラ設定に悩みこじらせるわな。


でも、すべて許せる。

と、大きなものが溶けていく感触を味わっている私の元に、数日後、母から思いもよらないメールが届いた。


「あんたには全て負けています。老いていく両親を頼みます。少しでも負担かけないよう生きていきます。」


私は愕然とした。
「負けています」という彼女の言葉に。


私は、自分は被害者ながらもそれを糧に歯を食いしばって生きてきたと思い込んでいたが、母に復讐するために彼女ができなかったものを掴むことで優位に立とうとしていたのだ。

そして、母はそれに気づいていた。

私は情けなかった。

愛して欲しい人への復讐で自分の人生を埋め尽くしてきただなんて。

それが母に無力感を与え、自分をも不幸にしてきただなんて。

私はこんなことのために生きたいわけじゃない。


被害者からの解放みたいなストーリーでエンディングを迎えられるかと思いきや、自分が思いっきり加害者であることにも気づかせてくれるとは、さすがノリコの母だ。ありがとう。これは「女性らしさ」から目を背けるわけにはいかないな。

**********


「私は、母やまわりの女性と同じ存在である。」


このことを私は受け入れられるのだろうか。

それをしてしまうと、私が私ではなくなってしまう気がして怖い。

こんな荒療治をしないと受け入れられないと思っている私は、本当に頑固でめんどうくさい人間だ。


撮影が進むにつれ、自分の中の強い抵抗が緩んでいく。
下着姿で撮られているのに恥ずかしさも感じない。
YUKOちゃんって本当にすごい。


可愛らしいとか、色っぽいとか、私が遠ざけてきたこと。

母や多くの女性が表現するこれらは、ごく自然で素敵なことだよな。

私だって本当はそれが欲しいのかもしれないな。


母から「ノリコを育てるのは楽だわ」くらいしか言ってもらえなかったけれど、私は、彼女の持つ「常識をも越えてしまうバイタリティ」をしっかりと引き継いでいるんだよな。

身体中をドクドクとそれが流れ、今日まで私を運んできてくれたんじゃないか。

そっか。

私は母から愛を受け取っている。

「引き継ぐ」という形でしっかりと受け取っていたんだ。

なんて心強くてありがたい贈り物なんだろうか。


母さん。
私、生まれてきて良かった。
母さんの娘で良かった。

そして、私を女として生んでくれて、ありがとう。

撮影: YUKO(ヨニプレマ

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