《ドMの晩酌:第二夜》 ドMのバイト(ラーメン屋 : 前編)
滑った瞬間に思い出した過去
息子たちはラーメンが好きだ。私がたまに仕事で遅くなった時は、彼らと駅前で待ち合わせ、ラーメン屋に行く。もちろん私には大切な晩酌が控えているため、息子たちだけがカウンターに座る。その間、私は、待っている客など誰もいないのに、脇のベンチに座っている。
お店の主人はこの状況に慣れているので今さら何も言わないが、周りの客は私たち親子をどう思っているのだろうか。貧乏ながらも子供にだけはお腹いっぱい食べさせたいと思っている健気な母と、それに気づかない無邪気な息子たち、なのか。
それとも、お母さんは夜の仕事をしていて、出勤前に子供にご飯を食べさせようとしている、ちょっと悲しい感じの親子、なのか。
まぁ、こんなことを書いているとキリがないので、本題に入ることにしよう。
これは「ラーメン屋あるある」だと思うが、ラーメン屋の床は滑る。特に雨の日なんかは油断すると大変危険だ。大怪我につながる可能性すらある。この日も例外にもれず滑ったわけだが、その時、遠い昔の「全くもってどうかしていた」自分の過去を思い出してしまった。
ヤバイ。これはヤバイヤツだ。
今日の晩酌は、恥ずかしさのあまり、かなりのハイレベルで悶絶することは避けられない。
虎視眈々と獲物を狙う獣のように
私の人生初のアルバイトは、高校一年の夏休みから始めたラーメン屋だった。
正しくは、その数ヶ月前に経験した、焼肉屋での「金網をひたすらタワシでこすって時給475円」というバイトがそれにあたるが、手肌の潤いが超絶奪われただけのエピソードしかないため、この思い出は軽く削除しておく。
自宅から自転車で十分ほどの国道沿いにあるラーメン屋。ここで働くことになった経緯は覚えていないが、恐らく共に働くことになる親友が見つけてきたものだと思われる。市内で三店舗を構え、そこそこ繁盛していたと記憶している。
店内はテーブル席が三つ、カウンター席が十席ほどあり、休日は三時の休憩までほぼ満席。オーナーの奥さんが店長を務めているが、子育てが忙しく、スープの仕込みとレジのお金を取りに来る以外、二階の自宅に引っ込んで出てこない。
最近、若いアルバイトが辞めてしまったらしく、五十代の女性(ここではオバさんAと呼ぶことにする)と、六十代の女性(オバさんB)の二人だけで店を切り盛りしており、疲弊しきったオバさんたちは、救世主と言わんばかりに我々を歓迎してくれた。
ここで、私が入店した時のフォーメーションを説明しておこう。
オバさんAはラーメン、チャーハンの調理とレジ。
オバさんBは餃子を焼き、ライスを盛る。
私と親友はオーダーを取り、空いた席の片付けと食器洗い。
お客様がいない時間帯は全員でネギやナルト、チャーシューを切り、もやしを洗うといった下ごしらえを行う、というものだった。
働き始めて数日たった頃、任された仕事をマスターしてしまった私に変化が起こる。隙さえあれば常にオバさんたちの仕事に目が行っているのだ。
中華鍋からはみ出す炎を物ともせず(本当のところはわからない)、チャーハンや野菜を意のままに操りながら、醤油や味噌を寸分狂わぬ量で丼に入れ、茹でている麺が固まらないように手早く箸で混ぜる、オバさんA。
定食用のライスをいくつも盛りながら、餃子を焼く鉄板に、ジュワーっという音を立て水を差す、オバさんB。
私の目はまるで虎視眈々と獲物を狙う獣のそれだ。
「やってみたい」
それからというもの、自分が任された仕事をいかに早く終わらせるかに、私は全精力を注ぎ込むことになる。
自分の仕事を早く終えなければ「手伝いますよ!」と爽やかに(本当は相当ギラつている)言う権利は与えらない。それを阻む敵の筆頭が、お客様が「何を食べようか」と悩む時間だ。常連さんが来れば「今日も○○ですか?」と、笑顔で先手を打つ。これは相手をお得意さん扱いすることにもつながり、いわゆるWin-Winの関係になれる。
それ以外のお客様で、スパッと決められないタイプとみなした場合には(何を根拠に?)、積極的にニーズを尋ね提案する。これは勝率五割以下で、思い返すとかなり余計な行為だった気がするため、同じ道(何の?)を志す人にはお勧めしない。
それほどまでに私は厨房に戻りたいわけだ。
次の敵は、そこそこ広い店内の移動だ。
フロアを移動するときは仕方なく早足で歩くに留めるが、厨房内は、あの「床を滑って移動する」戦法だ。どれくらいの力で踏み切れば目的地に到達できるか、運動神経抜群(当時は)の身体がしっかり覚えている。
幸い親友は、私とは真逆の「楽をしたい」タイプで、私の狙う獲物に全く興味を示していない。むしろ、グラスを割ったり、オーダーを間違えたり、1010円を100万10円とレジに打つなど、私の「任せとけ魂」に火を点けてくれる素晴らしきサポーターである。
そしてついに、この涙ぐましいまでの努力が実を結び、お客様が大体十名以下の時に限り、私はオバさんAとBのポジションも獲得することに成功する。
しかし、冷静に考えると、十六歳のアルバイトがたった一人で店を切り盛りしている飲食店って、いったい何なんだ。
そんな店、私は見たこともないし、あったとしても、同様の金額を支払いたいか、正直微妙なところだ。
コンプリートこそバイトの醍醐味
私が、この野望を達成できた理由として、子供の頃から培ってきた(正確には、培わざるを得なかった)観察眼とコミュニケーション能力の助けがあったことにも触れておきたい(その背景については、いずれ書くことにする)。
オバさんたちは、できれば働きたくないと思っている人たちだった。
オバさんAは、空き時間になると、常に「時給が安い」と愚痴を言い、自分がサボりたいがために、私たちに裏の休憩室で休むよう積極的に勧めていた。私はネギを段ボール一箱分スライスしたいのに(誰からも頼まれていない)。
一方、オバさんBはチャーシューを切るのを失敗したと言っては口に運び、餃子を頻繁に焦がしては、マイ皿に積み上げつまんでいた。
ここで私が言いたいのは、オバさんたちへの批判ではなく(オバさんBの塩分摂取量には批判的)、彼女たちも私にとって、むしろ強力なサポーターだったということだ。
私は、オバさんたちの疲れた表情や溜息の瞬間を決して見逃さない。
絶妙なタイミングで労いの言葉をかけ、家庭や社会に対する不平不満に全力で共感し、裏の休憩室で休むよう促す。その気持ちに嘘はないが、私の目的はただ一つ。
「全部ひとりでやりたい」
「全ての仕事をコンプリートしたい」
この一点に集中する十六歳の私は、あたかも自分一人でオープンさせた店かのように、日々、嬉々として店内を滑りながら働いた。
しかも、当時交際していたボーイフレンドからの誘いも「バイトが忙しいから」と断っていたほどだ。
この言葉は、相手に興味を失った場合か、キャリアウーマンでないと口にしないだが、私の場合は、そのどちらにも当てははまらない。
本当にどうかしているし、今の私なら、そんな人に決して近づきたくはない。
コワイし、面倒くさいからだ。
そんな「ひとり切り盛り状態」を満喫していた私は、数ヶ月後、これまた経緯は定かではないが、このラーメン屋の本店に異動することになる。
本店はメニューがさらに多い上に、「出前」というヨダレが出そうな新たな獲物が待っていた。時を同じくして与えられた、母からの「バイト途中に洗濯物を取り込みに毎回帰ってこい」という難題もクリアしつつ、この異動で私はさらに「どうかしている」ワールドを展開していくが、続きは、またいつかの夜に。
ノリコ 十六歳。
なぜ、こうまでして働くのか。
二十数年後に、三年連続で肺炎を経験するまで、彼女にその理由はわからない。
(イラスト:まつばら あや)
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