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《ドMの晩酌:第六夜》 意図せぬ筋トレ

もう一人のターミネーター

昨日の晩酌(第五夜)で、当時の自分の母親を「ターミネーター」に例えたが、実は、もう一人、私の人生において、もっと「ターミネーター」な人物がいたことを思い出した。

彼もまた、嫉妬してしまうほど、私の想像を超えた人物であり、私のドM力を遺憾なく発揮させてくれた人物でもある。今夜の晩酌は、その、もう一人の「ターミネーター」について思い出してみることにする。


あれは私が高校一年生の時のことだ。

私は、北海道千歳市という、空港があり、札幌のベッドタウンに位置付けられている町で育った。

中学まで地元の公立に通った後、高校は札幌のそれなりの進学校に進んだ。

その高校は札幌の西側に位置しており、自宅からJRと地下鉄を乗り継ぎ、片道一時間半ほど要する場所にあった。

そのため、雨の日も雪の日も朝7時の電車に乗らねばらなず、地元から少しでも離れたいとか、私服だからという理由でこの高校を選んでしまった自分を呪いたくなるほど、朝夕ただただ電車ばかりに乗り、睡魔と闘う三年間だった。

そんな苦痛極まりない電車通学の唯一の支えが、自宅から徒歩2分の場所に住む幼馴染の存在だった。彼女はラーメン屋のバイト(第二夜)で、レジに「1010円」を「100万10円」と打ってしまう(しかも頻繁に)面白い人だ。

彼女は、小学校4年生の時、他校から私の通う小学校にやってきた転校生だった。

彼女は体も大きく目立った上に、それまで通っていた小学校の相撲大会(決してどこの小学校でも開催されているわけではない)において、男子すら負かし優勝したという鳴り物入りの人物で、普通の女子ならば封印したい名誉をオープンにしているキャラクターに興味をそそられ、私から声をかけて以来の仲だ。

この幼馴染は、札幌の東側に位置する私立高校に進んだため、最寄駅から札幌まで、私は彼女と一緒に通学できることになった。

さらに雨や雪の日は、彼女の両親が駅まで車で送ってくれた。

彼女と彼女の両親が存在していなかったら、私は高校卒業を断念していたかもしれない。


熾烈な戦い

今夜の晩酌のツマミは、自分用に購入してあったポテトチップス、「カルビー堅あげポテト ブラックペッパー味」にしようと思っていた。

息子たちのおやつ箱とは別の場所に隠していたつもりだったが、どこにも無い。私の隠し方に本気度が足りなかったせいか、どうやら彼らに奪われてしまったようだ。

こんなことは日常茶飯事なので、さほど落ち込むこともなく、逆に彼らのおやつ箱から「森永マリービスケット」をコッソリいただくことにした。

塩っ気とは無縁の優しい味に物足りなさを感じるが、もう一人の「ターミネーター」が、それを十分過ぎるほど補ってくれるだろうから、まぁ、良しとしよう。

*******

その「ターミネーター」は、入学式の数日後、朝の通学電車に現れた。その前に、電車内の様子について説明しておこう。

私たちの最寄り駅は始発の次の駅だったため、座席は八割ほど埋まっていはいたものの、ほぼ毎日二人並んで座れた。

札幌駅に着く頃には、通路はもちろん電車の連結部分にも人がギューギューに立つほどの混み具合で、座って通えたことはラッキーだったと思う。

なぜなら、私の選んだ高校が進学校だったため、課される予習の量が半端ではなく、朝の通学時間も使わなければ、そのノルマをこなせなかったからだ。

幼馴染は予習のサポートもしてくれたが、問題を出すつもりがウッカリ答えまで口にしてしまい(しかも頻繁に)、あまりのトンチンカンぶりに二人で爆笑するという、実に楽しい通学だった。


しかし、あの日を境に、楽しい通学が一変した。


その日、自宅最寄駅から2駅先の駅に停車した時、とあるスーツ姿の男性が私の前に立った。

なぜか彼の足は私の膝と膝の間に触れている。

通路はさほど混んでいないのに。


私は幼馴染に小声でそのことを告げるも、お互いどうしてよいかわからず、雑談や予習に意識を集中させていた。

すると、徐々にその男性は、足が触れ合うレベルを超え、強く私の膝に押し付けてきた。

この流れを微塵も想像していなかった私は、その力に負け内腿にその足を侵入させてしまった。

この事態を飲み込めず混乱していた私だが、咄嗟に内転筋に力を入れ、その男性の足を押し出した。

「(やばい、一体このオッサン、なんなんだ)」


私たちは二人で顔を上げ、精一杯そのオッサンを睨んだが、なんとオッサンは不自然過ぎるほど明後日の方向を見ており、せっかくの睨みも効果ゼロだ。

オッサンは、その表情から恐らく知的障害を持つ方なのだと思われた(あくまでも私見)

その日は、内転筋に私の八割程度の力を入れることで、オッサンの攻撃を防ぎ切った。

翌日も、そしてその翌日も、オッサンは私の前に立ち「オッサンの足」VS「私の内転筋」の熾烈な戦いが繰り広げられ、私たちは、このことが偶然ではないと悟った。


それからというもの、私たちは、あの楽しかった通学時間を取り戻すため、一両前や後ろの車両に移動したり(地下鉄への乗り換えの都合上、あまり大幅な車両移動はできなかった)知恵を絞った。

しかし、オッサンは人混みをかき分け、私の前に立ちはだかった。

オッサンが乗る駅のホームに電車が止まった時、ホームをダッシュし、車窓から私たちの姿を死に物狂いで探している彼の姿を見た時、これは車両を移っても無駄だと観念した。逃げても逃げても絶対に追ってくる。

そう、彼は「ターミネーター」だ。

毎朝、「今日はオッサンに見つかりませんように」と心拍数マックスで祈る私の頭には、もちろん、「ダッダッダッダダーン、ダッダッダッダダーン♪」という、あの映画のテーマソングが鳴っていた。

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オッサンの足が内股に侵入したとしても、具体的に何か被害を被るわけではない。

しかし、私の太ももの間におっさんの足がはまっている状態は、どう考えても異様だし、そこまで見ず知らずのオッサンに譲歩したいとは思えない。

「やめて下さい!」と大きな声を出してみたこともあったが、オッサンは斜め上を向いたまま「ボク、何にもしてませーん」を精一杯演じている。

なかなかの役者だ。

そこで私と幼馴染は、今まで選ばなかった四人向かい合わせのボックス席に座ることを考えた。

さすがのオッサンもそこには入ってこないと思ったからだ。

しかし、オッサンは私たちの想像を軽々と超えてきた。

なんと、堂々とボックス席の隙間に入ってきたのだ。


大雪や人身事故等でダイヤが大幅に乱れた時以外、私はボックス席の隙間に人が立っているところを見たことはない。

私は小五から続けてきたバスケットボールで鍛えた内転筋をフル稼働させ、私の幼馴染は、私の太ももを外側から相撲で鍛えた両手で抑えサポートした。

私は、小声で彼女に「ううううう! 負けないぞ!」と言い、彼女も「ノリコ! ガンバレー!」と声援を送ってくれていた。

私たちは、そんな意味不明な戦いを、一学期が終わるまで毎朝続けていたのだ。


私の信念

ビール3缶目に突入した私は、ここで大いなる疑問にぶち当たる。

あの時の私たちは一体何をしていたのか。
その状況に、持ち前の負けず嫌いを発揮する必要があったのか。
そして、そんな声援を送る幼馴染は、ほかにできることは無かったのか。

さらなる疑問は、周りの大人たちはなぜ助けてくれなかったのか。


まさか、そのオッサンと私たちが知り合いで、内腿をめぐる攻防戦をゲーム感覚で楽しんでいるとは思わないだろう。

昭和のサラリーマンが「コラッ!」と怒鳴ってくれたら、あのターミネーターも観念したのではないか。


しかし、当時の私は、第三者が助けてくれるとは1ミリも考えてはいなかった。

自分に降りかかる大変な状況は、当然、自分一人で引き受けるものだと信じ込んでいた。

なぜなら親や親戚といった身近な大人は、常に自分のことばかり考え、自分の身を守るために周囲を振り回すか、見て見ぬ振りをしていたように、幼い私の目に映っていたからだ。

その経験の数々が私の信念へと昇華し、妙な自立心が芽生えてしまったのだと思っている。

だからと言って、他者に救いを求めない私は悲しかったのかと聞かれれば、決してそうではないと答えたい。


そう、私はどこかで災難を楽しんでいた。

他者に救いを求めなくとも、自ら回避できた災難は山ほどあったのに、私はそうしなかった。

むしろ、前のめりに災難に突っ込んで行ったフシすらあるのだ。


自ら罠にハマり、「くっそー! 弱音なんて吐くもんか!」と、その罠の痛みをいつまでも味わっているだなんて・・・。

私は相当ヤバい奴だ。


大人になり、そんなかつての自作自演ドラマを視聴することは、ハッキリ言って拷問だ。だがしかし、当時ほど災難が無い今となっては、その辛さを味わうことが私の唯一の楽しい遊びなのかもしれない。


これをお読みの方は、その後「ターミネーター」との戦いがどうなったのか、知りたいところだと思う。

私は、あまりの勉強のレベルの高さにすっかりモチベーションが下がってしまい、二学期から遅刻常習犯となった。

つまり、乗る電車を1〜2本遅らせたのだ。

さすがのターミネーターもそこまではできなかったようで、彼とはそれ以来、一切会うことは無かった。


そして、この出来事による意図せぬ副産物として、私の内転筋はガッチガチに鍛えられ、今も私を支えてくれている。

(イラスト:まつばら あや)

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