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《ドMの晩酌:第16夜》 ドMのバイト(ボウリング場編:後編)

さよならクリスマス

今日は12月25日。
クリスマスということで、子供たちや若いカップルにとっては待ちに待った日なのかもしれない。

我が家の場合は、一昨年に私がサンタクロースであることを息子たちに告げてしまったため、次第に彼らのクリスマスへのワクワク感が薄れ、とうとう今年はクリスマスらしさすら消え失せてしまった。

息子たちが要望するプレゼントが私の知識の範囲内だったら、きっと今でも我が家はクリスマスを楽しんでいたと思う。

モデルガンにハマっていた次男に「ボク、サンタさんに『東京マルイのL96○△☆(品番を言っている)が欲しい』ってお願いしたんだ!」と言われても、ノリコサンタはそれがどんなモノなのかわからない。

そして、長男には「お母さん、僕はもうサンタさんに頼んであるから大丈夫」と、まるで自分とサンタクロース二人だけの秘密っぽい感じを醸し出され、ノリコサンタが入り込む隙がない。


ええい!もう面倒くさい!
真実を話してしまえっ!
ということで、彼らにサンタクロースの正体を明かしたのであった。


その翌年からはツリーを飾ることも無くなり、家の収納がパンパンになったのを機にそれを廃棄した。そして、兄弟のケーキの好みが合わずホールで購入することもできなくなってしまい、さらには、クリスマスなんだから好きなものが食べたいと言い出し、ラーメンと焼き餃子が夕飯となった。

彼らの欲しいモノも年々高額になり、「君たちのお年玉も少しは出しなさいよ」とか「来年の春まで待ってよ」という生々しいやり取りが加わり、完全にワクワク感が我が家から消えた。

親としては息子たちにワクワク感を与え続けていたかったけれど、彼らは現状に何の不満を感じていないように見える。従来の役割を卒業する機会を与えてもらったってことなんだと理解して、さっさと晩酌でも始めるか。


涙の理由

さて、今日の晩酌もキンッキンに冷えたアサヒスタイルフリー。それを、ぬるくならないように缶専用のマグにスポッとはめる。つまみは息子たちのラーメンの具として多めに購入した「味付けメンマ」だ。

たまに固く筋っぽいメンマに遭遇しテンションがさがることがあるが、今日、スーパーで購入したそれは合格点だ。よしよし、ビールが進む。

私が子供の頃は「メンマ」ではなく「シナチク」って呼んでたな。なんで変わったんだろ。理由をググってみると歴史的な背景があったようだ。ちなみに「メンマ」の語源は「ラーメンに入っている麻竹(まちく)」から来ているそうな。ふむふむ。

いやー、今年のクリスマスは楽だったなー。ていうか、とうとう我が家はこのイベントから卒業したんだな。

私が子供の頃はオモチャを買ってもらえることが楽しみでならなかったけど、それが次第にお小遣いをもらうイベントに変わって、さらには家族ではなく交際相手と楽しむ方向にシフトして・・・。

なんだか切ない感じもあるが、息子たちもきっとそのようになっていくのだろう。なーんて親目線で昔を懐かしんでいたら、おかしな場面がババーンと頭に浮かんだ。


そう、20歳のクリスマスの日、私は高熱を出して自宅のベッドの中で泣いていた。理由は具合が悪かったからでも、交際相手とのイベントが台無しになったからでもない。

ボウリング場のバイトに行けない悔しさからだ。

バイト先の人たちに迷惑をかけることも嫌ではあったが、それ以上に、1年で最も忙しい日を体験できないことが悔しくてならなかったのだ。

朝9時から夜中の2時まで心拍数マックス状態で働くことができる、いわばドM冥利に尽きる1日を棒に振るとは。高熱のあまり熟睡できず、何度も目を覚ましては時計を見て泣く私。


どうかしている。
恥ずかしさのあまり、あっちゅう間にビールが減っていく。


兵隊ノリコと軍師ノリコ

渋々大学生となった私は、あまりにつまらない日々を打開しようと自宅近所にあるボウリング場でアルバイトを始めた(経緯は「第十五夜 ドMのバイト「ボウリング場編(前編)」参照)。

当時はスタッフが充足していたため、私がシフトとして入ることが許されたのは、日曜日の「早番」と呼ばれる時間帯のみだった。

朝9時に出勤し、場内の自動販売機や景品つきゲーム機への品物の補充、受付や精算業務、レンタルシューズの受け渡し、ボックス清掃、電話対応、会員さんの世間話にお付き合いするなどして17時に退勤となる。

日曜の早番はベテランのオバさん社員と私の2名体制。ボウリングピンの裏側に機械を調整する社員がいるが、基本的には表に出てこない。
そして、超ラッキーなことに、このオバさん社員はあまり仕事を増やしたくないタイプだ。よしよし、ドMノリコには最高のシチュエーションだ。


徐々に仕事に慣れてきた私は、どれだけひとりで仕事を抱え込むことができるかという闘い(というかゲーム)を始めた。オバさん社員もなんとなくそれを歓迎している気がする。

私はジュースの箱を自分の背丈ほど台車に積み、広い場内を走って押して補充しまくる。この仕事を終えないと接客ができないからだ。

汗だくでフロントに戻り受付やら精算やらを行いながら、玄関を映し出すモニターに何度も目をやる。来場者の人数を把握しながら、次はどのレーンが空くのか、プレイする人の志向を見ながら推察する。

マイボールを持つ客は練習に集中したいはずだから、団体から離さなくちゃ、とか、○時に団体の予約で5レーン使うから一般客向けに待ち時間を表示しなくちゃ、とか、短時間で判断することが沢山ある。

そんな中、ボールが戻ってこないだの、ゲームの景品が引っかかって落ちてこないだの、インターホンが頻繁に鳴る。

なんてスリリングなんだ。

私は今、何をすべきか、どの位置でスタンバイすれば一人でやり切れるのか、ノリコという兵隊役を演じながら、それをどう最大限に活かすかを考える軍師役ノリコ、一人二役で大忙しだ。

一方、オバさん社員は私が呼ばない限り会員さんと談笑したりミカンを食べたりして、兵隊ノリコに活躍の場を譲ってくれる。鳥肌が立つほど最高だ。

でも、日曜日しかこの体験ができないなんて、つまらない。もっと量(=時間)を増やしたい。支配人にその旨を伝えると、徐々に出勤日数を増やしてくれた。

平日は毎晩、同好会や企業の大会が行われており、いわゆる常連さんが毎週来場することを知った。そこで私は常連さんの会員番号やロッカー番号を暗記し、玄関を映し出すモニターにその人の姿が見えると、先回りして申込書を代筆しロッカーキーを用意した。

常連さんも喜んでくれて、これぞWin-Winの関係だ。
しかし、これでもまだまだ物足りない。

このボウリング場の支配人はアイデアマンでなんでも自前で作ってしまう人だった。売上を上げるために新たな企画を立てる度に、ルーティンワークだけをやっていたい社員やバイトが愚痴を言っていたが、私はそんな支配人にグッときた。

私は前のめりに仕事をもらいに行き、POPの書き方やカッティングシートを使った装飾方法を学んだ。

支配人はレーンを増設したり、ビリヤードや卓球コーナーを設けたり、週末夜の営業時間を拡大し、天井にミラーボールを設置し暗闇の中でゲームを楽しむ企画を始め、私は仕事の量と幅が増えることが快感だった。
そして、バイトが辞めるとその空いたシフトを奪い、最終的には朝5時から始める場内清掃までやっていた記憶がある。

アンタ、ついさっきまで深夜シフトで働いていたじゃないの。

さらには、少しでもバイトに時間を費やせるよう車を購入し、通学時間を短縮すべくルールを無視し大学まで車で通ったほどだ。

電車やバスの定期券を購入する方がうんと安いのに。
いやいや、お金がかかったとしても、あのゾクゾクする感じが欲しいんだ、ワタシは。


就職ってなんですか

私にとって大学とは仮眠をするところ。成績表は「可」しかなかったのではないか。必修のドイツ語もチンプンカンプンだった。なんで男性名詞と女性名詞があるんだ。ブツブツブツ。「『野ばら』をドイツ語で歌えば単位をあげましょう。」という先生の寛大な提案により救われた。

ゼミの単位は、先生をススキノまで数回送迎したことでゲットしたんじゃないかと思っている。

どう考えてもフリーターにしか映らない大学4年を迎え、スーツを着ている学生を頻繁に見かけるようになった。しかし、友達がひとりもいないために理由を聞くことができない。

近所に住む親友が大量のハガキに何やら書き込んでいる。それは何かと聞くと「説明会の申し込み」とか言っている。

みんな、いったい何をしているんだろう。

しばらくしてわかったことは、同じ年代の人たちは「シュウショクカツドウ」なるものに精を出していることがわかった。

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私の両親も「ノリコ、就職はどうするんだ」なんて一言も言わなかったから、大学を卒業したら就職するということが、当時の私にはよくわかっていなかった。

次に、私が疑問に思ったのは、みんなは何を基準に就職先を決めているのか、ということだった。

当時はまだ転職にネガティブなイメージがあったし、就職先を決めることは相当な決意を伴うものだと私は考えていたのだ。
「私は御社で一生がんばります!」そう思える企業がないのに社員になるなんてイヤだな。就職活動もしていないのに、私は偉そうにそんなことを考えていた。

大丈夫です、あなたのような人は社員になれないから安心してください。
そう、当時の自分にツッコミたい。

では、ボウリング場で働き続けるのか。3年以上あの調子で働いてきた私は、自分をゾクゾクさせてくれるような感触が失われつつあることに気が付いていた。


あ、そうだ。
まずは家を出よう。
子供の頃からの夢だったじゃないか。

同じ地元出身の恋人が既に東京で仕事をしているから、それを頼りに東京に行っちゃおう。
そのためにはもうちょっとお金を貯めないと。


そして私は、卒業に必要な単位取得を完了するまでの2ヶ月間、そのままボウリング場で働いておけばいいものを、より多い収入と新たなゾクゾクを期待して未知の世界に足を踏み入れることになる。それは水商売のバイトだった。


ノリコ22歳。

水商売という世界で、自分のポンコツさをイヤというほど味わったり、ドMキャラでは太刀打ちできない領域があることに、この時のノリコはまだ気がついていない。

(イラスト:まつばら あや)

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