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《ドMの晩酌:第15夜》 ドMのバイト(ボウリング場編:前編)

気味の悪いヤツ

息子たちと夕飯を囲んで団欒していたときのこと。
若干ネガティブなトーンで「ボク、学校に友達5人くらいしかいないんだ。」と次男がつぶやいた。

「オレもそんなもんだよ」という長男の返答に表情が明るくなった次男は、「じゃあ、お母さんは、学校に通っていた頃、友達何人いたの?」と聞いてきた。

「そうねぇ、お母さんはねぇ・・・」 

そう言えば友達の人数なんて、今まで数えたことなかったな。頭の中で数えていると、ちょっとヤバイことに気づき始めた。
なぜなら、幼馴染み1人しか頭に思い浮かばないからだ。

私が小学生の頃は、ドッチボールやバスケットボールをしている男子の群れを見つけては「いーれーてー」と、当然のように加わっていたものの、休み時間や学校の行き帰りはひとりのことが多かった。

中学生の頃は、先ほど述べた幼馴染みとつながりがある同級生と交流はあったが、相手が私を友達と認識しているのか自信がない。

そして、高校と大学時代、学校における友達は・・・なんと、ゼロだ。

暗黒時代の記憶が蘇ることを恐れた私は、慌てて息子たちとの会話に意識を戻し、その人数を伝えると、彼らは想定外の回答に困惑と同情が入り混じった表情を浮かべた。

次男を勇気づける効果を狙っていたのに、逆に彼らから勇気づけられてしまい、私にとっても想定外の事態となった。

ここは適当に「お母さんも君たちと同じくらいだったよ」と言っておくべきだったのかもしれない。

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今思い返すと、私は人と適度に付き合うことが上手ではないタイプだった気がする。「昨日、テレビで○○観た?」みたいな世間話に楽しみを感じられなかったし、なんとなく同調することに罪悪感もあった。

自分の本気じゃない度合いが相手にバレたらどうしよう、とか、無駄に考えすぎているうちに、輪に入れてもらうタイミングを失うパターンが高校と大学で続いた。

さらにタチが悪いのは、孤独な自分を哀れだと思うことから逃げるために、「ひとりでいる方が気楽だ」と思考のすり替えを行ったフシがある。

休み時間に機嫌が悪そうな表情で窓の外を見ていた自分、机に突っ伏し寝たフリばかりする自分、校舎の外でランチをしていた自分、どの自分を思い出しても、心底気が滅入る。


本当は友達が欲しかったんじゃないのか、ノリコ。
そんなんじゃ、気味が悪くて誰も声かける気になれないっちゅうの。


モチベーション

私は、中学までは地元の学校に通っていたが、高校は学区外の進学校を選択した。入学すると、壁には田舎者の私でも聞いたことのある有名大学の合格人数が貼り出され、周囲のクラスメイトからも先々の進路についての話が聞こえてきた。おまけに予習や復習も相当量こなすことを求められ、私は高1の後半からついていく気力を失い、次第に落ちこぼれていった。

私のようなケースはよくある話だと思うが、要はモチベーションが影響するってことだろう。

私の場合、中学時代の「誰の力にも頼らず完璧な成績をとる」という謎なモチベーション(ドMの晩酌 第八夜「ドM流試験勉強法」参照)のもと、3年間の成績をパーフェクト状態にしているうちに、難関と言われる進学校が視野に入ったから受験しただけであり、その先の展望とかモチベーションは何もなかった。

無理やり進学する大学を選ぼうにも、何を基準にしたらよいかがわからない。同級生の意見を参考にすべきかもしれないが、それを相談する友達はゼロ。当時の私は親や先生を敵認定していたため、当然アドバイスを求める気にもならない。

こうして、自らを四面楚歌状態に追い込み、ノリコはますます勘違いしていくのである。

 あー、めっちゃ恥ずかしい。ビール飲も。

さて、今日の晩酌もキンッキンに冷えたアサヒスタイルフリー。それを、ぬるくならないように缶専用のマグにスポッとはめる。

つまみはフグ皮ポン酢だ。

チビチビつまんでグイッと飲むスタイルの私にとって、冬の季節に出回る細切りにされたフグ皮はベストなつまみだ。柚子胡椒を溶いたポン酢にフグ皮を一、二本ずつサッと浸し、口に入れる。最初はゴムのような歯応えのそれが、次第に口の中で溶けていく感じ。んー、不思議な食べ物だ。人類で最初にフグ皮を食べようと思った人はスゴイな。

このつまみも、できることなら家でひとりで食べたい。なぜなら、私がチビチビ食べている間に、相手に取られてしまうからだ。きっと、その人は私がそれを好きじゃないと思い気遣ってくれてるのだろうから、責める気は毛頭ない。だって、それくらい減りが遅いんだもん。

で、孤独な学生時代の話だった。

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勉強へのモチベーションも持てず、友達もいない孤独な私は、ただただ高校を卒業できる日を待ち望んだ。早く卒業して家を出たい。目的もないのに親の世話になり大学に行くなんて、冗談じゃない。全部自力でやりたのだ、ワタシは。

一方、私の両親は、娘が高卒で家を出ようとしていることは全く想像していなかった。しかし、両親は世の中の進学事情に疎いため、センター試験なるものが存在することを知るわけがなかった。よーしよし、この試験を受けなければ、私は大学に行かなくて済む。

そして高校3年の1月になり、両親から初めて「大学どこ受けるの?」と聞かれた私は、行きたい大学がないから受験しないし、そもそもセンター試験もとっくの昔に終わったと伝えた。

すると、「オマエみたいなヤツが高卒で社会に出たら危なくてしようがない!どこでもいいから絶対に大学に進め!」と父が激しく怒った。


うん、うん、父さん、ノリコのことよくわかってるぅ!と、今は思う。
しかし、当時の私はあと4年も牢屋で過ごすことを宣告された気分だった。

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渋々、新設で偏差値が低い私立の4年生大学を受験し合格したものの、母親から振り込むよう預かった入学金を手に、ギリギリまで銀行に行くことをためらった。そして、まだ振り込んでいないことが両親に発覚し、締め切り当日にそれを完了させた。ノリコって、なんて諦めの悪い人なんでしょう。


大学生活は、ほとんど記憶にない。単位ギリギリの出席日数、授業は全て居眠り。当然、友達も作らない(作れない)。

めちゃくちゃ親不孝な学生だ。
大学に行きたくても叶わない人に怒られるよな。

しかし、当の本人は、高校生活と似たような人生をあと4年も送らなければならないことに絶望していた。

あー、どんだけ先が長いんだ。
バイトでもしよう。


ノリコ流バイト探し

私が育った千歳市は空港もあるし札幌にも近いため、当時は田舎ながらもそれなりに商業施設があった。一般的にアルバイトを探すには、求人募集の貼り紙があるか、求人誌に掲載されている場所から選ぶものだと思うが、当時の私はそれに頼るという発想がなかった。

おそらく、自分が興味あるところで働くことが当たり前、という、雇用者側の視点を完全に欠いていたものだったと思われる。

自宅から車で5分くらいの場所に建つボウリング場に以前から興味を抱いていた私は、全く募集をしていないにも関わらず、履歴書を手にアポイントなしで訪問した。

「ドンドンドン!たのもう!たのもう!私のコンプリート欲を、ここで満たさせてはくれまいか!」

きっと、気分はこんな感じ。キミは、どこぞの道場破りか。


受付を担当した従業員の方は「今、募集していないと思うんですけど・・・」とつぶやきながら、奥にいる支配人室に入って行った。そして、ありがたいことに支配人が会ってくれるという。

履歴書を渡し雇って欲しい旨を伝えると、先ほどの従業員同様、その人は「今はちょうど人が足りてるんだよなぁ」と困った表情をしていた。

しかし、少し考えて「じゃ、とりあえず、ウチで働いてみな」と返してくれた。
なんて太っ腹な支配人なんだろう。

そして、この日を境に、私の大学時代は「大学」とは全く関係ない領域で、寝る間もないほど充実していくことになるのだが、続きはまた今度の夜に。

ノリコ18歳。

バイトに精を出すうちに学生であることを忘れ、しまいには、父親に卒業証書を取りに行かせるほどの親不孝をすることに、当時の彼女は全く気がついていない。

(イラスト:まつばら あや)

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